「魂」
イアンはほとんど時間が経たないうちに目を覚まし、慌てた様子で穴から出てきた。ティルとセイリアが魔法を勉強しているのを見て安堵し、その顔を見てセイリアも胸を撫で下ろした。キッテを蹴り飛ばした時のイアンは、今まで見た誰かの表情の中で一番、怒りに燃えていた。穏やかなイアンからは想像がつかないほど、恐ろしいほどに怒り一色だったのだ。あの時のイアンは、全くの別人であった。別人と言えば、このティルもだ。あの一件を境に、魔法を教えるということに積極的になった。何も知らないセイリアとイアンに、一つ一つを丁寧に教える。諭すように話すティルは顔つきさえ違って見えた。
「魔法というのは、奇跡の力のことだ。自然の力を司る精霊でもないものが起こせる唯一の奇跡が魔法。」
「奇跡。」
「そう。火や光といった自然の力、精霊がいなければ、人間は明かりを得ることができない。だけれど、魂と魂を繋ぐことができれば、奇跡が起こり、石だって光らせるし、火だっておこせる。」
「……魂。」
「うん。想像をするんだ、奇跡を信じて。その辺の石が光るのは、光ると信じるからだ。まー、俺は魔力を使った方が動かしやすくてさ、魔力を使わない魔法の方はずっとやってないんだけどね。明かりを得ようと思ったら、魔力で炎を作った方が早いと思うし。」
「魔力はそんなこともできますか?」
「できるよ。手を使って魔力の形を保つ。その魔力が熱くなる想像をする。どんどん空気を食って、炎になる想像を。魔力は自分のものだから、想像しやすいだろ。」
「魔力の形?保つ??」
「……火をおこしたことは?精霊とかじゃなくて。」
「えっと、ないです。」
「僕もありません。」
「そっか。俺も。じゃあ、炎を想像してみて。キースが火をおこす時は、石とか木とかを使う。最初は木屑しか燃やせない小さい火も、木を住処に空気を取り込んで膨らんで、大きくなっていく。」
ティルが胸の前で右の拳を握り締めた。その手が徐々に開いてくると、指と指の隙間から火が見た。手首を曲げて手のひらを上に向けると、一段と勢いを開けて炎が上がる。
「俺の魔力を住処に、小さい火が大きくなる想像をしてる。」
「あの、火は、最初の小さい火はどこから?」
「光魔術を使うときもそうなんだけど、魔力に熱を持たせるんだ。そうするとできる。」
「……。」
「えーっと……俺の場合はなんだけど、魔力がすごく速くグルグル回って熱くなっていく……そういう想像。でもこれは俺の繋ぎ方だから、お前のやり方は別の方法かもしれない。大体今はもうグルグル回る想像はしなくてもできるようになってる。でも初めは実際に魔力をグルグル回してた。」
「グルグル。」
「お前が熱くなる時ってどんな時?熱いものを考えると、何がどう見える?俺は怒った時に体や顔が熱くなるんだけど、その時グルグル回ってるんだ、すごい速さで、イライラするものがさ。それで気づいた。魔力も回したら、熱くなるんじゃないかって。」
「考えてみます。」
「うん。それで見つかったら、魔力をそういう風に扱ってみるといい。」
手から炎が消えると、三人は辺りが暗くなっていることに気づいた。太陽が落ちかけている。お腹も空いたので、穴の中に戻り、持ってきていた干し肉や乾いた草を三人で分けあった。そうして静かな時を過ごしているうちにいつの間にか眠っていて、気づかないうちに日がまた登る。
目を覚ますなり、ティルが苛立ちだした。あの凛々しいティルの表情はもうない。セイリアは理由をわかっている。今の今まで、キースが一度も戻ってこないからだ。キースだけでなく、キッテも。セイリアは実のところ、そのことについてはホッとしていた。あの二人の顔を見なくて済み、心の平静を取り戻すことができたからだ。魔法について学ぶ内に体力も戻ってきているように感じた。ティルの気持ちも理解できるが、この顔ぶれであれば衝突することはなく、すり減っていた前向きな気持ちを、徐々に立て直すことができている。とは言うものの、肝心のティルが穴の中で不貞寝してしまっているので、イアンと外に出て、昨日のおさらいをするしかなかった。
「魔法は、魂と魂を繋ぐもの。イアンくん、魂って、魂って何だろう。」
「魂とは、輪廻するものです。悪魔や精霊、魔物はもちません。」
「うん。でもね、それなのになぜ魔物のキッテさんは魔法を使えるのかな。」
「それは……わかりません。」
「私たちが魔法を理解できない、使えないのは、そこを間違えているからなんじゃないかって思うの。」
「なるほど。」
「言葉の、表面の姿に、とらわれてはいけないのかも。」
「そうですね。……難しいことですが。」
赤い土に赤い壁。長い年月をかけて風が削ってできた赤い谷には、今日も風が流れていた。二人はそれ以降話さず、その音に耳を傾けてどちらからともなく目を閉じた。昨日ティルから教わったことを、セイリアは心の中で復唱する。恐らく隣でイアンも同じことをしているだろう。イアンはキースから武術のようなものを教わっていたが、セイリアは、武術より魔法のほうがイアンにとって相応しいように思っていた。何より今は、共に学ぶ者がいることが嬉しい。
「……。」
ここ数日で魔術や魔法について得た知識は多かった。丁寧に整理整頓しておきたいところだが、一旦全て忘れることにした。自分の根本的な考えから改めたい。そういう気持ちを持って、一から向き合ってみようと考えたからだ。
“何か”を繋ぐと、魔法という奇跡が起こる。魔法という大きな括りの中に、魔力を利用した魔術というものがある。中でもセイリアが一番使えるようになりたい光魔術は、魔力を用いて傷を治癒する奇跡だ。光魔術は何を繋げているのだろう。どうして魔力を使うと傷がふさがるのだろう。光魔術の本には、“傷の治癒、細胞の活性化を促す”とあったのを思い出した。細胞とはなんだろう。セイリアは考えれば考えるほど、分からないことが増えるだけであった。
「セイ、ちょっといいですか。」
「いいよ。イアンくん、どうしたの?」
「僕は心の声が聞こえるでしょう。」
「うん。」
「人間も精霊も、もちろん魔物も。動物も、悪魔も恐らくわかる。」
「うん。」
「魂を持つもの全ての心がわかると思っていた。魂は輪廻するものしか持たないのに、それ以外にふさわしい言葉を思いつかなかった。では、人間、精霊、魔物……全ての生き物に共通することは何か。」
その時、風が変わった。イアンは言いかけた言葉を飲み込み、セイリアの前に立つ。切り替えが出来ず狼狽えるだけのセイリアだったが、間もなくビリビリと皮膚に感じるものがあった。神経が強張り、体が固まってしまった。全身を震わせるその正体は、セイリアにはわからない。イアンだけが静かに対峙し、受け止めていた。
「コロス。」
殺気だ。イアンは踏みしめた足をジリジリ鳴らしながら後退する。背中にはセイリア、その後ろには、ティルの寝ている穴がある。セイリアだけでもその穴に入れてしまいたかった。だが、声も出せないような張り詰めた空気の中、体が思うように動かない。全身は汗を噴き出すのに精一杯なのだ。
イアンの頭の中には、殺気を放つ生物の心の声で支配されようとしていた。呪いの如く、同じことしか繰り返さないその心は得体が知れない。なんとか気を引き締めて、セイリアだけでも守らなくてはならないと抗っている。
「ひ、」
セイリアも、気づかないまま殺気に体を縛られていたが、どうにか力を振り絞って視線を強く感じる上を見る。丘の上から大きな丸い目が二つ動いており、喉が引きつった。赤い顔は板のように平らで、くり抜いた丸からギョロギョロと動く目玉がのぞいていた。風に揺れている黒く長い毛の影が、イアンの目の前の丘の上でも揺れていた。頭上にいる同じ何かに取り囲まれている。膝と腰が震えだした。
20190310