05 『目撃と衝撃に進撃を感ず』
それからしばらく、本当にしばらくの間、静かに平穏に何事もなく暮らしていた。
もう七年ほどたっただろうかという時だ。
字を村長に習い続け、完璧と言ってもいいほどに覚えられた程の時間だ。
その間は瘴気が高まったにもかかわらず平穏な毎日だった。
瘴気に侵されたこの村――と言っても、それは俺が散歩していれば対処できる程度で、村のみんなはそれで出没の減った魔物に異常な事態が収まったのかと安心し、警戒を解いた。
母親の安心した表情がその証拠だ。
だからか、この七年、俺が対策を実行することはなかった。
俺がいれば必要なかったのもあるし、それに、少々手間なことが重なってしまって、どんどん間延びした結果だ。
まあ咎められるべきことではあるが(恩を返すとか言っておいて)、やらないわけではないし、平和だったからよしとして。
しかし、十二歳の誕生日を迎えて一週間もたたない頃に、進展が起こる。
最近では遅くまで出歩くことも許され、一人前として一人だけでの仕事も任される。
俺は、今日も内緒で魔物の探索も兼ねている「自分の仕事」を終え、暗い夜道を歩き家に帰っていた。
いつも帰り道は、村の連中の朝は早いためかもう寝ている人も多く、割と静かだ。
その静かな夜道に、しわがれた声が響いた。
「ちょいと、待ってくれんかな?」
村長の声だった。
夜遅くに珍しいな。
何の用事だろうか。魔物を探索・撃退していることがばれたのだろうか。
「少し、話をせんか」
村長の手には、七年前に盗み見たあの勇者の本が、すこしぼろくなって握られていた。
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「わしはな、知っておったんだよ。お主がただならぬ力を持っていることを。
何の見間違いかとも思ったが、確かにお主はあの恐ろしき力を持つ魔族を、さらに恐ろしい力で消し去りおった。
それを見た時からな、わしは自分に与えられた使命というものを感じておった。
お主を勇者のもとへ連れて行くというな。
そして、よくお主を見るようになった。
散歩にかこつけて、よくお主を観察したよ。
そして、おぬしが幾度となく凶暴な魔物を屠るところを目にしていた。そのたびに、わしはわしに使命をせかされたよ……ふふふ。ほっほ」
やばい。
全部見られていたようだ。
俺がとりつくろわずにはっちゃけているところを余すところもなく。
そして、村長はこう言った。
勇者のもとへ連れて行くと。
これは願ってもいない相談だが、それでも、急に言われると愕然とした。
そして、何故だかこの村から追い払われるような感覚が身を襲った。
「勇者……そう、勇者だ。
お主は勇者という存在を知っているか?
それはな、魔王を倒す存在と言われているただ一人の勇ましき者よ。
それが七年前、召喚された。らしいの。
わしは少年のように心を躍らせたよ。天災を自分の力で治めることにあこがれを抱かぬ男などいないて。
しかし、わしには関係のないことだ。わしには、関わることすらできないことだ。
こんななにもないような村の村長ごときではの。
そう思ってふて寝をしているときに、お主が現れた。
お主が目の前で広げた光景は、わしを諦めさせはしなかった。
この興奮が、収まらないのだ。
お主よ……エリフよ。
すまぬな、ここまで自分のことばかりを話して。
一つ、問おう。
エリフよ……お主は勇者をどう思う」
イカしてる。
会いたい。
語りたい。
一緒にふざけあいたい。
話をしてほしい。
「決まりだの。
行くぞお、王都へ」
その後、村長が王都へ向かうことは永遠になかった。
=====
瘴気とは関係なしにその事態は起こった。
村の端に、膨大な数の影が進軍してきた。
よく見るとそれは魔物で、数えるのも億劫とも思わない、数えようとも思わないような数がこちらへ向かってきていた。
虫のようなそれが大半で、中には動物、サイとか像とかの魔物も見えた。
村の連中は阿鼻叫喚、絶望に襲われ喚き散らしている中、そこで冷静だったのは村長と俺。あとは、俺を不安にさせないようにしているお母さんと、歯をくいしばって耐えるような父親だけだった。
母ももういい年齢で、二十歳も超えただろう。かわいい、よりも綺麗が目立つ。
冷静な村長は俺の存在を知っているからこそ冷静でいられているようだった。
「エリフ。やれるか?」
「一応」
「頼もしいな、はは」
村長はそう言って笑った後、
「しかし、これでお主を隠すことができなくなったぞ」
「十二歳で家族と別れるのか……」
「平気そうじゃの」
おそらくこの大軍を一人でやったとなっては、俺はもうここにはいられないだろう。
問答無用で勇者の御付きにに連行だ。まあ、勇者の御付きって、どれくらいの強さが必要なのかわからないけど。
まあ帰れないわけじゃないし、ぶっちゃけ母さんにどう話そうか勇気が出なかったところだ。これなら理由もたつ。しょうがないと送り出すしかないだろう。
なに、たまに仕送りを送ればいい。甘味がいいだろうから栗とか。甘皮も食えるよと伝えておこうか。
俺は迫りくる魔物の大群も目前に進んだ。
そこに、一切の焦りはない。
逆にほおが緩んでいる。
さあ、事態はどう転ぶか、そう思いながら、目の前に手をかざした。
「『――あくる日も彼の者は願った。叶うとは思えぬその願い。誰もが断じ、否定した。しかし、諦めることはなく彼の者は願い続けた』」
人生が一変しそうとわかると、特別なものにその進撃は見えた。
だからちょっと詠唱しちゃう。
ここまでの詠唱で星属性と呼ばれる土属性、火属性、光属性を合わせることでできる魔法。
そして、この詠唱には続きがあった。
「『――狂おしい心。とまることのない渇望。いつしか、それは内に秘められ、知られることのない輝きとなる。しかし、それは彼の者の身体を犯した』」
この詠唱を続けることで、魔法は分岐し、姿を変える。
別の詠唱につなげていれば別の魔法になっていた。
「――魔法『――」
ここで言ったところで、目の前に光の柱ができた。
魔物の大群に飛来した光る何かが、そのまま大群をぶち抜き、光をあげたのだ。
あと一歩で激突しそうなほどに魔物は接近していた。
つまり、目と鼻の先で光の柱が立ち上がったのだ。
上に行くにつれ針のように細くなっていた柱は、だんだんと収まり、姿を現した。
「やあ、坊や、さっさとうちに帰って、平和な毎日を過ごしてくれ。つまり、さっさと糞して寝ろ」
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全身を覆うような外套に身を包み、姿を成人男性のそれへと変えた。
そして、刻んでおいた単純な魔法陣とそれの核となる浄化の魔道書(瘴気用)で、ある魔法を完成させた。聖域という、瘴気を浄化する空間を作成する魔法だ。
村全体を覆うように設計している。
村は広大な大地を贅沢に使うように、広い間隔で家を建てていたので随分と広く、それを覆う空間は当然と大きくなった。
村の人たちは、何が起こったんだと騒ぎを立てている。
そんな中、俺は村長に一言言って、母親と父親にも一言言って旅に出た。
「エリフだけどわかる?」
「おお、やはりお主は常識では測れないのう。大人に変わるとは。――お前だけで行くのか?」
「そうするよ。早く行きたくなったし」
「そうか……頑張ってこい」
「エリフなんだけど……わからないか」
「ええ!
……いえ、わかるわ。
どことなく顔立ちが似ているもの。
だけど、一体」
「この前勇者が来て、魔物の大群を倒していっただろ?」
「ええ」
「ちょっと気にいってさ。勇者のことが。だから会ってくる。会いに行く」
「駄目よ……といっても、あなたは止まりそうにないわね」
「行ってくるよ」
「待ちなさい」
「なに。さっきも言ったとおり俺は行く――」
「気を付けて」
「行ってくる」
「は?」
俺は、そうして王都に向かった。