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嵐と城壁

作者: 二宮酒匂

 十世紀末――

 西ヨーロッパにおける最先進国とはどこか。

 それはフランスではなく神聖ローマ(ドイツ)でもない、イタリアの諸地方でもない。まずキリスト教国ではない。

 その国はイベリア半島にある。

 後ウマイヤ朝アル・アンダルス、すなわちイスラムが統べるスペインであった。


 八世紀の侵略以来、イスラムの王朝はキリスト教徒をイベリア半島北部に追いやり、残りの全土に君臨していた。


 後にスペインやポルトガルの母体となる、レオン、カスティーリャ、ナバラといったキリスト教国の諸君主は、失った地の奪回、すなわち再征服(レコンキスタ)を志す。

 しかし、この時点でその道のりは果てしなく遠く思えた。


 文化・学問・技術のみならず軍事においても、キリスト教諸国は後ウマイヤ朝に勝てなかった。


 大臣ムハンマド・イブン・アミー・アーミルが後ウマイヤ朝の指導者だった時代はことにそうであった。

 通称を“勝利者”(アル・マンスール)というムハンマドは、キリスト教諸国の悪夢を人間の形にしたような男であった。キリスト教の拠点サモーラ、シマンカス、コインブラ、オスマ、カリオン、アストルガ、アラバ、サンエステバンといった都市や砦は、彼の軍に襲われ破壊され炎上した。

 王都レオン、大都市バルセロナ、聖地サンティアーゴといった中心都市でさえ例外ではなかった。


“勝利者”が毎年のように起こす遠征に対し、キリスト教諸国はどうすることもできなかった。

 戦いを選べば必ず負けた。

 分散すれば各個撃破されたが、結束してもまとめて打ち破られるだけであった。

 大都市バルセロナが叩かれたときはキリスト教系住民は奴隷にされた。

 聖地サンティアーゴ……西ヨーロッパ全土から巡礼者をあつめていたサンティアーゴが侵略されたときは、名高い聖具であった「聖なる鐘」が奪われ、“勝利者”によってイスラム都市コルドバに持ち帰られた。“勝利者”はその鐘を火鉢に使い、キリスト教世界全体を屈辱に青ざめさせた。


 地中海の東において、第一次十字軍がパレスチナの地のムスリムを虐殺し征服するその百年前に、地中海の西で起きていたことがこれであった。


 青ざめながらも、実際に“勝利者”の軍に向き合う諸王は生き残るために屈服するしかなかった。

 ナバラ国王は王女を“勝利者”の妻のひとりとして提供した。

 レオン国王は“勝利者”に毎年、莫大な税を納めることを誓った。

 最大の二王国でさえこうであった。無論それ以外の小君主であるキリスト教徒の伯たちも“勝利者”の軍に兵を提供したり、税を払ったりして恭順を示し、かろうじて息をついていた。


 キリスト教諸国が征服されず生かされているのは、“勝利者”の政治的な思惑、すなわち「異教の小王国の息の根を完全に止めてしまえば、今後遠征ができず、イスラムの勝利を自国民に示し続けられなくなる」という理由にすぎなかった。

 “勝利者”からすれば、深刻な脅威になるほど強くもない異教徒の存在というのは、国内統合のためにまことに便利なものであった。この時期、文明を爛熟させて内部からほころびかけていた後ウマイヤ朝を引き締めておくためには、近くにちょうどいい敵を置いておくことが必要だったのだ。

 彼はその軍事的天才にもかかわらず、根本的なところで武将ではなく政治家であった。

 要するにイベリア半島北部のキリスト教諸国は“勝利者”の政略の道具であり、属国であり、気ままに殴れる奴隷であり、実際の奴隷の供給源でもあった。


 だが、“勝利者”に這いつくばって慈悲を請いながら、キリスト教諸国は懸命に命脈を保った。

 そして、“勝利者”が栄光につつまれて寝台の上で安らかに死んだとき、キリスト教諸国は泥のなかで這いずりながらまだ生き延びていたのである。


 彼らの忍耐は報われた。

「敵より長く生存する」ことが勝利の条件ならば、キリスト教国は後ウマイヤ朝に勝利したといえる。


 “勝利者”とその後継者が死んだのち、ほんのわずかのうちに後ウマイヤ朝は滅びたのである。

 誰かに滅ぼされたというよりは、それは自壊に近かった。

 もはや後ウマイヤ朝の内部矛盾は限界に達していた。

 卓越した指導者の存在と外征の連続勝利が、かろうじて崩壊を防いでいたにすぎなかったのだ。その意味で、キリスト教諸国を生かさず殺さずで叩きつづけた“勝利者”のやり方はまちがっていなかった。



 後ウマイヤ朝は無数のイスラム系小王国に分裂した。

 歴史上これを「タイファ」という。

 タイファ諸王が群雄割拠し、激しく互いに争う様子を、北方のキリスト教国は雌伏のうちに見つめていた。“勝利者”にこうむった傷を癒やし、国力を整えながら。


 そして十一世紀は、キリスト教諸国が反撃に移った世紀であった。

 タイファ諸国が割拠するアンダルスは、文学と音楽を愛し育て、優雅な宮廷文化を築いていたが、軍事力においてはキリスト教世界に逆転されつつあった。

 それも時とともに差は開く一方だったのである。



 ――西暦一◯八五年。

 タイファの主要国のひとつトレド王国滅亡。

 じわじわ南下するキリスト教軍に首都トレドを包囲され、三年籠城して粘った末に屈服した。

 得意満面で入城したのは、アルフォンソ六世。「レオン及びカステーィリャの王」であり、このとき四十五歳。

「ついにトレドを獲った!」

 中央の古都にして大都市トレドの価値は、他都市とは比較にならぬ。

 イベリア半島の中央部に位置し、そこから発して四通八達する街道は、十日から半月そこらで半島全土に軍を派遣することを可能にするのだ。

「余はここトレドで、イスラムとキリスト教、二つの宗教の皇帝となったことを宣するぞ」

 高らかに勝ち誇るアルフォンソを見て、タイファ諸王は不快であった。

 長年タイファ同士で攻め合ってきた彼らは、トレド王国攻めではアルフォンソに協力していたのだが、それが済んでみると事態の深刻さは明らかであった。

「このままでは次は我らの国が北の野蛮な異教徒どもに滅ぼされる」

「だがどうする。口惜しいが我らでは勝てぬ」

「――異教徒に対する戦いだ。援軍の呼びようはある。海の向こうからな」

 かくしてタイファ諸王はジブラルタルの対岸、マグリブ(西北アフリカ)の地に、アルフォンソと戦うための後ろ盾を求めた。


 アル・ムラービト朝。

 彼らが以前からひそかに援軍を乞うていた相手である。このときいちじるしく勢力を伸張させたこのイスラム帝国は、現代のチュニジア、モロッコ、アルジェリア、ガーナに当たる広大な地を版図に収め、強勢を誇っていた。

 イスラム各宗派のなかでも厳格で禁欲的なマーリク派を奉じ、その軍は宗教的熱情によって無類の強さを持ち合わせていた。


 かくして――

 西暦一◯八六年の六月三十日、

 すなわち聖遷(ヒジュラ)歴四七九年の三月九日。

 ユースフ・イブン・ターシュフィーン――アミール()の称号を持つアル・ムラービト朝の指導者が、一万五千の兵を率いてジブラルタル海峡を渡った。


「もう来た!?」

 いざ動いたアル・ムラービト軍はその速度において、彼らを呼んだタイファ諸王をさえ狼狽させた。

 タイファのひとつセビーリャ王ムータミドは、急ぎ港町に駆けつけたが、彼はユースフを前にしたとき慄然たるものを覚えた。

 その目に。

 ムータミドに向けられた双の瞳は底光りし、砂漠(サハラ)の夜より冷たく乾いていた。

 ユースフ、このときアミール位にあること二十五年。転戦して彼の代でマグリブの征服を完了させ、軍事と行政の手腕にすぐれる。狂信に近い敬虔さを持つ有能な指導者であった。

「私は聖なる戦いのために来た」

 即刻北上し、不信心者どもを叩く――そう告げるユースフを見ながら、ムータミドは背筋を汗に濡らした。

「こちらが主導権を握って傭兵扱いできる相手ではない。獅子と戦おうとして砂漠の竜を呼んでしまったのではないか」

 だが武力を背景にした相手を追い返すことができようはずもない。ムータミドはユースフの求めるままにタイファ諸王を呼び、諸国軍一万五千を集わせた。


「イスラム連合軍、トレドを目指して北上しつつあり。その兵合わせて三万」

 報が届くや、アルフォンソは奮い立って出陣した。キリスト教軍、号して六万。実態は一万四千ほどであったろうか。だがタイファ諸国の兵の弱さを知悉する彼は、問題にすべきはアフリカからの新参の軍だけで、その相手にも同数ならば勝算はじゅうぶんにあると見ていた。

「すぐにも迎え撃つ。イベリア半島に来るなり出鼻をくじかれたとあれば、新手の異教徒どもはアフリカに逃げ帰るだろう」

 かくして両軍は、タイファのひとつバダホース王国北部の原野で相まみえる。


 戦闘序盤はアルフォンソの思惑通り、キリスト教徒軍の優勢のうちに進んだ。


 イスラム軍前衛をつとめるタイファ諸王軍は、アルフォンソ麾下の将アルバル・ファーニェスに蹴散らされた。一世紀前には無敵を誇ったアンダルシアのアラブ人たちは、小王国に分裂したあげく、目を覆わんばかりに弱体化していたのである。

 勢いにのったアルバル・ファーニェスの前進によってイスラム軍前衛は動揺の極みに達し、タイファ諸王はセビーリャ王ムータミドの軍ひとつを残して逃走に移った。

 この日もキリスト教軍の勝ちは揺ぎないかに思われた。


 だがイスラム連合軍主力、ユースフ率いるアル・ムラービト軍が動きはじめると、潮目は急速に逆流した。


 前衛に配置したタイファ諸王軍が殺されるのを冷たく乾いた目で見ていたユースフは、みずからの将スィールを呼び、かれにモロッコ人部隊の指揮をゆだねた。

「止めてこい」

 かくて突進するアルバル・ファーニェスの前に、スィールの軍がたちふさがった。

「このまま本陣まで突破してユースフとやらいう異教王の首を取れ」

 そう怒号してムータミド王のセビーリャ軍を切り刻んでいたアルバル・ファーニェスは、とつぜん、別の敵に直面した。まったく新しく、まったく異質の、そして信じがたいほど精強な敵に。


 その敵は無数の太鼓が鳴るや、大量の旗とともに秩序を保って進軍しはじめた。

 顔は目しか出ていない――黒い覆面つきのかぶとで隠されている。

 サハラのオリックスやガーナの河馬(かば)の皮が貼られた凧型盾は長く、隙なく胴体を防御している。

 ジャングルで産する竹の柄の長槍。

 黒人兵の黒い肌。

 駱駝部隊が前進すると、キリスト教軍の軍馬はなれない臭いにおびえて後じさった。


 それでも突破しようとしたアルバル・ファーニェスの軍は、そこかしこでたちまち破られることとなった。

 密集したアル・ムラービト軍の横陣最前列は、長盾をならべて堅固な壁をつくり、ひざをついて長槍を突き出す。後列はその頭ごしに投げ槍や矢を敵に降らせる。

 騎馬突撃をかけたキリスト教軍は、みずから串刺しにされに行くようなものだった。屍がつぎつぎ転がった。

「なぜだ、敵はなぜあれほど連携がとれる」

 キリスト教軍には異教の妖術としか思えなかったかもしれない。

 この時代のキリスト教軍には緻密な野戦の戦術などないに等しい。領主たちが兵を連れて王のもとに集まり、戦闘がはじまるや、個々の指揮官や部隊の勇気をたのみとしててんでんばらばらに戦うのである。指揮官が影響を及ぼせるのは自分の声がとどく範囲であった。

 対してアル・ムラービト軍は、その点においてキリスト教世界よりはるかに洗練されていた。歩兵密集陣を戦術の基本に置き、太鼓で進退の号令を発し、旗で部隊を統御する。騎兵も集団戦闘を前提とする。キリスト教徒が好む一騎打ちなどこの戦場に存在しなかった。

 加えて背後からのさらなる衝撃の報が、キリスト教軍全体に動揺の波を伝えた。


 ユースフ自身が、常備軍の親衛隊とサハラ遊牧民の部隊を率いて迂回機動を行い、キリスト教軍の背後から襲いかかったのである。

 アルフォンソのいる本陣に。


 戦場を横から回りこむユースフの軍を見たキリスト教軍部隊はもちろんいた。

 なにをしようとしているのか見えていた。

 だが本陣が急襲されるのを許すほかなかった。スィール軍の圧迫により苦闘に追いこまれて兵力に余裕がないのと、ユースフ軍の機動速度に対応できなかったためであった。


 とはいえキリスト教軍本陣も無抵抗でいたわけではもちろんない。敵総大将が眼前に迫っていると知るや、本陣はたちまち沸き立った。

「攻めこんできた異教徒の王の首を取れ!」

 さすがに弱兵はいない。アルフォンソの兵はユースフの猛攻にしばらくは耐えた。

 しかし、決戦兵力としてユースフが投入した黒人多数の親衛隊は、インド刀と河馬の革の盾を手に前進し、抵抗をがりがりと削っていった。駄目おしに、アルバル・ファーニェスを破ったスィールの軍が前進してきて、アルフォンソ本陣は前後から挟み撃ちされる体勢となった。

 局面は包囲殲滅戦に移った。


 キリスト教軍は壊乱し、それに続く虐殺によって消滅した。

「カスティーリャおよびレオンの王にしてトレド皇帝」アルフォンソ六世は、命からがら敗走した。

 片足を失うほどの重傷を負い、出血によって意識朦朧としながらも馬に乗り、約百kmを一夜で踏破して都市コリアの市壁の中に逃げこんだ。

 だが彼の兵の大半は殺された。公称六万のその軍で、逃げのびられた者はアルフォンソを含めわずか百騎だったともいう。

 前年に彼がトレドを攻略したとき名乗った「ふたつの宗教の皇帝」という称号は、嘲笑の的に変わった。


 一方、戦場においては、勝者による神への感謝が捧げられた。

 キリスト教徒の首が死体から切り離され、祭壇のごとくうず高くつみあげられた。その屍肉のピラミッドをぐちゃぐちゃと踏みしめて頂上に立ったユースフにより、荘厳に礼拝詞(アザーン)が唱えられた。

「アッラーは偉大なり

 アッラーのほかに神なし

 ムハンマドはアッラーの使徒なり……」

 この日の会戦はサグラーハスの戦いと呼ばれた。サグラーハスとは「滑地」という意味である。流血によって戦場は赤い泥濘と化していた。

「不信心者たちは打ち破られた」

 ユースフは兵を退いてモロッコに戻った。

 その途中で、防腐処理をほどこされた大量のキリスト教徒の首は、アンダルスやモロッコの各都市に、信仰の勝利の証として配られた。


 アルフォンソが破られ、ユースフがあっさりと去り、タイファ諸王国はもはや自分たちを脅かす存在はいなくなったと喜んだであろう。

 しかしながらその甘い夢を醒まさせられるのに、たいした時間を必要とはしなかった。


 サグラーハスの大敗あってなお、いやそれだからこそ、スペインのキリスト教徒は南下を止めようとはしなかった。


 百年前、後ウマイヤ朝の“勝利者”ことムハンマドによって毎年のように破られ、這いつくばってその靴を舐めながら生き延びたキリスト教諸国は、もはやその暗黒時代に戻る気は微塵もなかったのである。

 あるいは、それは新たに植え付けられた恐怖ゆえの攻勢であったかもしれない。

 スペインのキリスト教徒たちはまざまざと実感したのだ。

 どれだけタイファ諸国が弱かろうと、もはや安心できないことを。

 彼らはアフリカの嵐を呼べるのだということを。

 ジブラルタル海峡に接するわずかの土地であってもイスラム勢に残しておけば、そこを橋頭堡として、ユースフのごとき西北アフリカのイスラム帝国の支配者がいつでも渡ってきかねないのだということを。その根源的な恐怖は、タイファ諸国を完全にコントロール下に置くか、イベリア半島からイスラム勢の最後のひとりまで追い出さないかぎり永遠にぬぐい去れないということを。


 大敗の屈辱にまみれて余裕をかなぐりすてたアルフォンソのもと、キリスト教徒のなりふりかまわぬ攻勢が続いた。

 軽騎兵を使った長距離襲撃――「襲っては去る」方式で破壊、殺人、略奪、放火が戦略的に行われ、イスラム領アンダルスは前にもまして荒された。


 タイファ諸国は悲鳴をあげ、ついにふたたびユースフを呼んだ。

 ユースフに率いられたアル・ムラービト軍は一◯八九年にふたたびイベリア半島に渡り、アルフォンソに猛攻をかけ、またもかれを北に追いやってモロッコに帰った。


「キリスト教徒どもは追い詰めればすぐ城壁に逃げこむ。こんなところに足を止めていられない」

 ユースフが言い捨てるとおり、彼の主戦場はアフリカ大陸にあった。そこではイベリア半島の四倍にも達する巨大な帝国を防衛し、拡張しなければならないのである。彼にとってイベリア半島は前線のひとつにすぎず、異教徒相手の聖戦(ジハード)とはいえあまりかかずらってはいられないのだった。

 しかし、イベリア半島の人間たちからすると、ユースフの存在感は海を超えてのしかかってくる重圧そのものだった。

「アル・ムラービト軍はやはり強い」

 だれもがそれを再確認した。キリスト教徒もムスリムもなく全員が。


 その翌年、ユースフはみたびイベリア半島に上陸する。

 ただしこの遠征は、前二回とはまったく違った帰結をもたらすことになった。


 前年にユースフがモロッコに戻ったのち、タイファ諸王はささやきあったのである。

「ユースフはあまりに強い、そして怖ろしい。いつかユースフによってわれわれは国を奪われ、退位させられるのではないか」

「ありそうなことだ。奴はわれらを軽蔑している。われらの築き上げたこのアンダルスの輝かしい文化を、信仰の堕落の証として非難している」

 ユースフの奉じるマーリク派は、極めて厳しい戒律を持っている。

 ユースフは酒や詩作や音楽といったあらゆる享楽を憎み、それを支える聖典(クルアーン)にない税を民から取ることを拒んでいた。彼からみたらタイファ諸王は、聖典の教えをろくに守らず新しい税を考えだして贅沢にふけり、それでいて自分の身すら守れない軟弱者たちでしかなかった。

「文明の果実を毒同然に扱うとは、しょせんは強いだけの無粋な狂信者だ」と嘲りをささやき交わしつつも、タイファ諸王は笑えない。砂漠の夜より冷え冷えとしたユースフのまなざしがかれらの脳裏に浮かび、心胆をどこまでも寒からしめるのである。


 そして、彼ら以上にユースフに恐れをいだいている者がいた。

 他ならぬスペインのキリスト教君主の領袖、レオンおよびカスティーリャの王アルフォンソである。ユースフに出会うまでムスリム(イスラム教徒)に対して負け知らずであったからこそ、その恐怖は深刻なものであった。

 恐怖が異なる宗教のかれらを結びつけた。

 密約は成った。

 双方の外交においての、曲芸じみた方向転換。

 それはユースフを主敵とする同盟だった。

 アルフォンソはタイファ諸王の地位を保証し、ユースフがもしタイファ諸王を退位させようとしたならば、それを阻んで諸王を守ることを誓った。

 その見返りとしてタイファはアルフォンソに協力する。たとえば最も強力なタイファ王、ムータミドは、少し後のことであるが、死んだ息子の未亡人サイーダをアルフォンソに側室として与えた。彼女は王族ならではの持参金、すなわちいくつかの城や都市の権利を伴っていた。

 だがそれにもましてアルフォンソを嬉しがらせたのは、サイーダが身ごもって男児を産んだことだった。彼の初めての男児だった。


 そしてこの年、前述したようにアル・ムラービト軍が三度目にジブラルタルを渡った。

 常勝を誇るユースフの軍は北上し、アルフォンソがたてこもるトレドを包囲して攻め立てた。


 トレド攻防戦は火の戦いとなった。


 キリスト教側は火炎放射器――蛇腹のふいごと青銅の薬品タンクと真ちゅうの筒で構成された炎の槍ラ・ランサ・デル・フエゴ――東方イスラム世界の技術で造られた先進兵器まで持ちだした。はしごで市壁を登ろうとするアル・ムラービト兵に火を浴びせかけたのである。

 アル・ムラービト軍が門に突っ込ませてきた燃える荷車には、大量のワイン酢をかけて消火する。籠城においては酢より水のほうが貴重であった。

 屋根つきの装甲車で矢から坑夫を守りつつ、坑道を掘って城壁を崩そうとしたアル・ムラービト軍のうえには、これまたイスラム世界の技術である焼夷弾が落とされて屋根を焼いた。ヨーロッパの技術水準を遠く引き離すムスリムの技術者たちを、アルフォンソはトレドを落としたとき手に入れていた。


 激戦が続いた。

 とうとうトレドの市壁の一部が破壊されたが、アルフォンソは側近からの脱出のすすめに耳を貸さなかった。

「キリスト教世界の王として、半島中央の要衝トレドだけは放棄できぬ」

 目を血走らせてアルフォンソは腰をすえた。いまトレドをイスラム勢に奪回されれば、この国土回復(レコンキスタ)は一気に百年後退しかねない。タイファ諸王の軍など比べ物にならない強さで、アル・ムラービト軍が北部へもひたひた迫ってくるだろう。

「心配するな、包囲の外でアルバル・ファーニェスが援軍を組織している。

 タイファ諸王との密約もある。こうして耐えているあいだに諸王が油断しているユースフの背後をつけば、我らも城から討って出て挟み撃ちにできる」

 そう周囲を勇気づけていたアルフォンソは、部下の報せに冷水を浴びた心地となった。

「タイファ諸王、自領から動かず!

 ユースフが我らの首を締め上げているのを見ているだけです」

 悲鳴じみた報告に、内心青ざめながらもアルフォンソはどうにか鼻先で笑った。虚勢であろうと籠城戦で主将が揺らぐわけにはいかないのだ。

「あっちが苦境に陥ったら助けてやると取り決めたが、こっちが苦しんでいる時に助けるとは確約されていなかったな、そういえば」

「タイファどもは卑怯です! どちらの味方にもならず日和っている」

「……どうせあの臆病者どもが動いたところで何もできなかったろう」

 悔し紛れに吐き捨てて、

「だが利用はできる。どうあっても巻き込んでやる。伝書鳩を飛ばせ」

 アルフォンソの命令は、包囲戦の外にいた将アルバル・ファーニェスに届いた。


 アルバル・ファーニェスはアルフォンソの使いとしてグラナダ王国に兵を進めた。

 名目は、かつてアルフォンソの勢いが強いとき、グラナダ王が彼に支払うと約束した年貢が納められておらず、それを取り立てるということである。むろん真意は別にあった。

「ユースフとの戦いに参加せぬなら、せめて軍資金を出せ」

 剣幕に怯え、グラナダ王はやむなく金貨三万枚を彼に支払った。


 この出来事がユースフの耳に入ったのである。アルフォンソの謀ったとおりに。 

「グラナダ王は少し前、トレド包囲に参陣するのを断ったが」

 ユースフの声は静かだったが、そこにはいまや遠雷のような不気味に低い響きがあった。

「その理由はたしか“兵を雇う軍資金が集められない”ということではなかったか。にもかかわらず、異教徒どもに渡す金貨ならばあったのか」

 グラナダ王だけではない。

 アルフォンソと密約を結んだタイファの君主はみな、アル・ムラービト軍に同道せず言い逃れていた。

 ユースフはタイファ諸王の裏切りを悟った。

「口にうじ虫の湧いたやつばら()

 アル・ムラービトは男でも顔を隠す風習を持っていた。口を布で覆わぬほかの地のムスリムやキリスト教徒をそのように言って蔑んだのである。だがこの場合は、タイファ諸王の虚言に向けた憎悪であった。

 ユースフはタイファ諸国から補給を受け、戦況しだいでは彼らの領地に退いて兵を休めるつもりであった。だが、諸王が味方ではなく潜在的な敵であるとなると、前提はまったく変わるのだ。アル・ムラービト軍は敵地に孤立していることになる。長くトレド包囲にかまけることは危険であった。

 ユースフは長く沈黙していた。その眼からいまや暗い炎があふれていた。

「……軍を南へ向けろ」

 ユースフはトレドの包囲を解いた。


 都市トレドをついに防衛しきったキリスト教徒たちの歓呼を背に、ユースフと彼の軍は街道を下っていった。

「ついにユースフに勝った。奴になんの得るところも与えず退けた!」

 アルフォンソは拳を突き上げた。籠城の成功を誇示する必要があった。

「モロ(ベルベル人の呼称、ムーア人)どもは野戦では強いかもしれんが、攻城戦では必ずしもそうではないぞ。アフリカの嵐は城壁にこもっていればすぐ去るのだ。

 タイファ諸王がきさまの味方にはならないということを噛み締め、二度と来るなよ、ユースフ」

 しかし、アルフォンソの勝利の笑みはすぐにかき消えた。


 「グラナダ王国一瞬にして滅亡」の報が届いたからである。

 彼と同盟を結んだタイファが、まずひとつ地上から消えた。


「異教と通じた裏切り者どもに災いを」

 ユースフの号令下、トレド包囲を解いて急行したアル・ムラービト軍が踏み込むや、グラナダは粉砕され、王アブド・アッラーフは玉座からひきずり下ろされて投獄された。

 続いてはセビーリャ王国であった。セビーリャはタイファ中の最強国であったがやはり短期間で敗れた。いまやアルフォンソの義父となっていたムータミド王は囚人としてモロッコに送られた。

 アル・ムラービト軍の行くところ、タイファ諸国の滅亡が相次いだ。

 一◯九◯年から一◯九一年にかけての一年少しの期間で、グラナダとセビーリャに続き――

 アルメリア王国が陥落した。

 アルコス王国が呑み込まれた。

 カルモナ王国が踏み潰された。

 ロルカ王国、メルトラ王国、ムルビエドーロ及びサグント王国が抹消された。

 ユースフは退位させたタイファ諸王をモロッコに送り、拷問そして死を与え、彼らの国をことごとく併合した。


 タイファ諸王はアル・ムラービト軍に対し必死に外交対話を求めたが、その命乞いに近い持ちかけにユースフが耳を貸すはずもなかった。

 彼にとってはこの征服は、アンダルスのムスリムの堕落を一掃する、神への奉仕であった。

 同時に対キリスト教徒へのアンダルスの国防力を統一し、聖戦の地盤を固める戦略であった。

 ユースフは長期戦へと方向転換したのである。

 「アフリカの嵐」はいまや、イベリア半島に留まろうとしていた。その根拠地確保のためにタイファ諸国は滅ぼされなければならなかった。


「助けてくれ」

 タイファ諸王は悲鳴をあげてアルフォンソに援軍派遣を乞うた。

 アルフォンソは騎士道を発揮したといえるかもしれない。タイファ諸国がユースフに吸収されてはまずいという深刻な懸念からにしろ、約束を守って援軍を出したのだから。だが騎士道とは、勝ってこそ様になるものだった。

 野戦ではやはりアル・ムラービト軍に勝てはしなかった。

 アルフォンソの軍はアルモドバル・デル・リオの戦いで、コンスエグラで、クエンカで、マラゴンで連戦連敗した。

 一◯九四年まで粘っていたタイファの強国バダホースは、リスボンをはじめとする重要な都市をアルフォンソに割譲して来援を乞うたが、アル・ムラービト軍はアルフォンソ軍を歯牙にもかけずその目の前でバダホースを滅ぼし、リスボンを征服した。


 ユースフはこの時期、配下の将たちにイベリア半島の前線を託してモロッコに戻っている。それにもかかわらず半島に残ったアル・ムラービト軍はあいもかわらず無敵に見え、キリスト教徒の絶望は色濃くなりつつあった。

 アルフォンソはたびたび隣国フランスをはじめとする西欧諸国に援軍をせっついた。

 西欧諸国では、イスラムに対抗する軍がヨーロッパ各地から集い、一◯九六年に進発する。

 だがこの「第一回十字軍」として知られる史上有名な遠征隊が向かった先は、西のイベリア半島ではなく、地中海の反対側にあるパレスチナの地であった。

「聖地とはいえ遠方ではないか。わざわざそこまでいってイスラムと戦うくらいなら、足元のレコンキスタの危機にも兵を送ってくれ!」

 アルフォンソとしては西欧諸国の十字軍志願者たちにそう愚痴を吐きたかったかもしれない。


 だが一筋の光明は、予想外の方向から差し込んだ。

 ひとりの男がアル・ムラービトの不敗神話を砕いた。

 “エル・シッド”という二つ名を持つキリスト教徒の傭兵貴族ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバルが、東海岸の要衝バレンシアを実力で奪った。

 そこから彼は四千騎をかきあつめて討って出、クアルテの戦いでアル・ムラービト軍を破ったのである。

 野戦で、ついにキリスト教徒がアル・ムラービトに勝ったのだ。しかも“エル・シッド”は二度三度と勝利を続け、敵を警戒させた。


「ロドリーゴが!」

 アルフォンソは絶句した。とっさに言葉が出ない。

 “エル・シッド”はアルフォンソにかつて仕えていたことがある。彼の仲むつまじい妻ヒメナは王族であり、アルフォンソ自身の姪であった。しかし肝心の君臣の仲は険悪であり、アルフォンソは彼を追放していた。

「……やつは戦には強い。たしかに天才といっていい。が、王を敬わぬ。一度は許してやったにもかかわらず、増長することおびただしい」

 ロドリーゴが、とアルフォンソはもう一度つぶやいた。追放した彼の旧臣、下級貴族にして諸国を流れる騎士、イスラムの君主に仕えたこともある下賎の傭兵、だが戦士としても武将としてもまばゆく輝く戦巧者、いまや“エル・シッド”ともてはやされるキリスト教世界の英雄!

「ひたすら気に食わん」

 その反発は、一人息子の「あこがれの対象」という役割を取られたことでいや増した。


 もと異教徒の側室サイーダが産んだ王子は、サンチョと名付けられていた。

 幼くして木馬に乗り、木剣を振る息子の愛らしさに、サイーダのもとを訪れていたアルフォンソは相好を崩す。

「馬と剣が好きか、サンチョ」

「はい。きしになりたい」

「そうか、騎士か」

 アルフォンソ自身は武ではなく政略に長けている。老獪な外交の駆け引きで城をいくつも得てきたし、トレドをムスリムから奪ったときも粘り強く外堀を埋めて、包囲戦の末に勝ち取ったのだ。

 しかし幼い息子が示す英気を喜ばない父親がいるはずもない。

「わが跡継ぎらしい勇ましさだ」

 褐色の肌の王子を抱き上げて喜ぶアルフォンソに、横にいたサイーダは控えめに微笑する。

 イサベルとキリスト教徒風に名を変えた彼女にはわかっている。改宗したとはいえ、もと異教徒の産んだ子がキリスト教国の王位を継げるはずがない。もと異教徒の奴隷を妻にし、その子を跡継ぎにすることもしばしば見られたイスラムの国々とは違うのだ。

 しかしアルフォンソはサンチョを抱き上げて頬ずりする。

「関係あるものか。手柄を立てさせればよいのだ。そうすれば重臣どももこの子を次の王と認めよう」

「はい。ぼくはてがらをあげます」

 幼いサンチョ・アルフォンセス王子は彼の腕の中から父親を見上げた。

「ちちうえ、ぼくは“エル・シッド”みたいにたたかいたい」

 アルフォンソの顔がひきつった。


「誰だ、あの子にロドリーゴの奴の歌など教えたのは!」

 しばらく荒れてからアルフォンソは鼻にしわを寄せた。

「ふん、誰もが奴を称えおる。そのうち『トレド皇帝』たる余より有名になるやもしれぬな。どうせ余は戦では凡人だ」

 彼はひがみっぽく愚痴ったが、現実に、彼の嫌いな“エル・シッド”の功績が大きいことは認めないわけにはいかなかった。

 アル・ムラービト軍の怒涛の攻勢のまえでは、“エル・シッド”の勝利とて局地的な輝きにすぎない。だが、これによって彼は敵の注目をトレドのあるイベリア半島中央部からいくぶんかそらし、東部への警戒を余儀なくさせた。さらに東部街道上の要衝バレンシアを守ることで、その背後のキリスト教領への敵の進軍を阻んでいる。

 もっと大きいのは、敵と味方に与える心理的な要素であった。

 キリスト教徒が狂喜し、士気を高めたのは言うをまたない。

 敵のアル・ムラービト軍にとっては……彼らがトレド包囲にかかれば、彼らを野戦で敗れる唯一の将が街道を西進して、その背後を衝く可能性が出てきたのである。アル・ムラービトの勢いはくじかれ、その進軍はほんのわずかの期間だが鈍った。

「気に食わない。気に食わないが、足元を固めるための時間は稼げた」

 アルフォンソはつぶやく。


「トレド周辺の防備を固めて、後背地を守る」

「ひとりでも多くのキリスト教徒を北から連れてきて植民させ、兵力と生産力を増やす」

「前線では力が整うまで敵の攻勢に耐える。どれだけ無様であろうと、アル・ムラービトの勢いが強いあいだは野戦ではなく城に拠って守る。そして他の土地からは一時的に撤退しようとも、トレドだけは決して放棄せぬ」

 数十年、ことによると百年単位の持久戦をアルフォンソは覚悟している。

 再征服(レコンキスタ)の過程において、勝つことよりもある意味では、勝って得た土地を手放さないことが重要だと彼はよく知っていた。

 地歩を固めつつのゆっくりとした前進でこそ、恒久的な再征服が成るのだ。

「ユースフだのロドリーゴだの……怪物や英雄どもの真似など余はせぬぞ。

 奴らの勝利は、なるほど短期間の膨張を可能にする。だが後継者にその成果を支える器がなければ、手を広げすぎたぶん一気に無理が来るというものだ。

 余は凡人らしく地味に戦ってやる。一歩一歩前に出てそこで得たものを守り、石の壁を築いてその後ろで嵐に耐え抜いてやるわ。わが先祖たちが“勝利者”の死ぬときまで粘ったようにな」


 ユースフが故国で没したのちも、かれが基礎を築いたアンダルスにおけるアル・ムラービトの勢いは止まらなかった。

 特にアルフォンソが異教徒の妻サイーダを迎えたときに得たコンスエグラ城、アラルコス城、カラクエル城、モーラ城、ウエーテ城、そしてウクレス城……それらのトレド近くの城はすべて、イベリア半島に腰をすえたアル・ムラービト軍に攻め落とされた。

 最大の激戦となった一一◯八年のウクレスの戦いでは、アル・ムラービト軍に包囲されたウクレス城を助けるため、アルフォンソは援軍を派遣することを決定した。周辺の城を落とされていけばトレドは孤立し、絶体絶命の危地に陥る。

 王子サンチョが援軍の大将に名乗りをあげた。

「父上、僕に行かせてください。母上の城を守ってみせます」

 アラブの血を引く王子はこのとき十五歳。騎士道の英雄にあこがれ、“エル・シッド”のように戦場で異教徒を破りたがった。

「子供がなにを言う。現実は歌とは違う」

 そう一度は叱りつけたが、アルフォンソは思い直した。王族の親征は士気を高める。高齢のうえ片足を失っているアルフォンソ自身は戦場に出られない身だが、この重要な援軍の大将にサンチョを任命するのは悪くない話に思えた。どのみち、愛息子サンチョに王位を継がせるためには、異教徒相手の戦功を立てさせたほうがよいのだ。

「……賭けに出よう。精兵七千騎に、経験豊かな伯たちをサンチョの補佐につけて送り出す。実際の将は彼らだ」

 アルフォンソも老いていた。六十八という老齢である。この年まで野戦では敗北しつつも、外交と持久戦方針で老獪に立ち回り、レコンキスタを大きく後退させることなく粘ってきた。だが、彼も心の奥底では英雄に憧れていたのかもしれない。

 彼は愛息子を英雄にしようとして、援軍の将に任命した。

 これは彼の最後の過ちとなった。

 第二の“エル・シッド”は生まれなかった。キリスト教軍はサグラーハスの戦い並みの大敗を喫したのである。

 殺戮のなか王子サンチョは、七人の伯とともに戦死した。

 一人息子を失い、トレド陥落の瀬戸際に追い詰められ、アルフォンソの得た精神的打撃はすさまじかった。彼は自身の決定と、サンチョに影響を与えた“エル・シッド”を呪いながら一年後に死ぬ。


 ……だが皮肉にも、そのあとアルフォンソが待ち続けた「嵐の弱まる日」がついに訪れた。

 トレドを目の前にして戦線は膠着し、このころからアル・ムラービトの猛威はしだいに弱まっていく。アル・ムラービト朝は当初の宗教的情熱を失い、内部での対立によって急速に弱体化し、ウクレス戦の約五十年後の一一五七年に反乱で打倒された。

 ユースフはそれを予想していたであろうか。敬虔の鎧をまとって血の道を歩み、(アッラー)に奉仕する国を拡大しつづけた聖なる王者は。

 何より憎んだ腐敗と堕落が、半世紀を待たずしてみずからの国にも(あらわ)れることを。


 “エル・シッド”の得たバレンシアも、彼の死後数年は妻ヒメナによって守られたが、すぐにアル・ムラービト軍に落とされている。ただ彼の名声のみは歌となって、アーサー王や騎士ローランとおなじく、吟遊詩人たちに長く語り継がれた。

 アルフォンソ六世の名も、結果としては“エル・シッド”の歌に登場する人物として巷に知られ続けた。本人としては英雄の添え物にされて不快だったかもしれないが。


 結局は、アルフォンソ六世が基本と定めた路線が正しかったのだ。


 地中海の東岸にキリスト教徒によって築かれた「十字軍国家」が滅ぼされ、ムスリムによって奪回されるまで二世紀ほど。

 一方、地中海の西岸の「アル・アンダルス」が滅ぼされ、キリスト教徒によって取り戻されるまで、八世紀近くがかかっている。


 七百年以上をかけて達成されたレコンキスタとは、英雄の業績ではない。

 それは常人たちによる忍耐と漸進の繰り返しであった。

参考文献

「レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動」D.W.ローマックス

「エル・シッドとレコンキスタ 1050-1492 キリスト教とイスラム教の相克」デイヴィッド・ニコル

「Medieval Siege Wepons(2) “Byzantium, the Islamic World & India AD 476-1526”」デイヴィッド・ニコル

他英語・西語サイト

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[良い点] 当時のアンダルス情勢にあのチート宰相アルマンソール以外にもユースフなるとんでもない強さと個性とを持つムスリム君主がいた事は全く知らなかったので読みながらテンション上がりっぱなし。 ムラービ…
[良い点] 塩○七○さんを彷彿とさせる歴史物で面白かったぁ! [気になる点] 山内くんシリーズが読みたいんじゃ! [一言] あっ!買いましたよ。
[良い点]  世界史を自分から調べようとしない限り学校で習った単語とその周辺のことだけで、全体の流れも、すべてに因果関係があることもさっぱりわかりませんが、こういう歴史物語を読むと想像力が刺激されるの…
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