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 午後は著作権の授業があった。わたしが一番嫌いな科目だ。法令の文言を見ているとどうも頭の力が抜けていってしまう。今日はいつにも増して集中できないでいた。途中で真面目に話を聞くことを諦めた。どうせ集中できないのなら、聞いていても無駄だと思ったのだ。先生に気づかれないよう、こういう時の為に買っておいたICレコーダーをオンにした。するかどうかは別にして、これであとから聞き返すことができる。

 それから普段は使わないノートを開いた。シャーペンを片手にノートを見ていれば、授業の内容を書き込んでいるように見えるだろう。わたしは熱心な生徒を演じつつ「池田真一について」とペンを走らせた。

 それからその下に「男性」と書く。小さなことでも分かることから書いた方がいいと思った。まさか池田真一が女性ということはないと思う。アダ名とかなら考えられなくもないけれど、可能性が低そうなことはこの際切り捨てることにする。そんなことまで考えていたら何も始まらない。

 性別の次はなんだろうか。わたしは昔流行ったプロフィール作りのサイトを思い浮かべてみる。少し考えてから、性別の下に年齢と書いた。

 もしも池田真一がハイカラで働いていた人物だとすると、十代の可能性は低いな、と思った。ハイカラは高校生以下を雇わないからだ。逆に四十代以上もないだろう。ハイカラの勤務時間は朝十時から深夜二時まで。朝の人は夕方四時までやるし、夜の人は六時から働く。別の仕事を掛け持ちするには中途半端な時間だと思う。ある程度、生活の時間をコントロールできるような人――例えばわたしのような学生とか――じゃないと働きにくいんじゃないだろうか。

 わたしは年齢の隣に「二十代」と書いた。

 やはり可能性として高いのは大学生や卒業して就活中のフリーターのような若者だろう。今働いているポンさんや星野さんもフリーターだ。もし就職が決まったらきっとハイカラを辞めてしまうと思う。

 さて次は、と思ったところで何かが引っ掛かって思い直してみた。なんだろうと思ってペンの先でノートを何度も叩く。何かを見落としている気がする。

「もう何度も説明をしているけれど、実名または周知の変名の著作物は創作した時から著作者の死後五十年後まで保護されます。ですので、このケースの場合、芥川龍之介は大丈夫だけど、江戸川乱歩はダメということですね。ちなみに保護期間を死後七十年にしようという動きがあるそうですよ」

 先生の声がやけに頭に残った。いつ死んだかによって――。

(あ、そうだ。いつ辞めたかによって変わるんだ)

 わたしは二十代の横に三十代と付け足した。カズオミさんが働いていた八年前に二十後半だったとしたら、今は三十代になっているじゃないか。先生の言葉からヒントを得て気がついた。

 とりあえず年齢は二十代から三十代でいいだろう。それ以上の可能性は捨てることにする。

 ノートに次の単語を書き足した。次は住所だ。

 ハイカラは交通費が出ない。だから遠くからわざわざ来ることはないと思う。働いていた当時はわたしが住むA市近辺に住んでいたはずだ。今ハイカラにいる人たちもワカさん以外は全員A市に住んでいる。ワカさんは隣のY町にいるけれど、通勤時間は戸高さんと変わらない。たまたま市境がそちら側にあるだけだ。わたしは「住所」の右に「2001年~2010年、A市又はY町」と書いた。

 この2001年~2010年は、チンさんが働き出した年から星野さんがハイカラで働き始めた年だ。チンさんと関わっていて星野さんが知らないとなると、この期間に働いていた可能性が高いと思う。

 わたしはノートをもう一度見直した。なんとなく人物像が見えてきた気がする。あとはこの情報に当てはまる人物をネットで探すだけだ。

 わたしはちらりと先生を見た。教科書を片手に文章を読んでいる。この先生はあまりうるさい人じゃないけど、さすがに今スマホを使って検索をするわけにはいかなそうだ。

 わたしはノートを閉じた。残りの時間はしっかり授業に集中することにした。

 授業が終わると、わたしはすぐに四階の休憩スペースに移動した。今日受ける授業はもうないので、ゆっくりと過ごすことができる。

 お昼にカオリと一緒に座っていた場所に再び腰を落とす。スマホの充電はまだ大丈夫そうだ。画面をタッチしてフェイスブックのページを表示した。

 池田真一、と検索する。ずらりと全国の池田真一さんが表示された。それぞれの名前の下には出身校と住んでいる場所が表示されている。ページをスクロールしながらA市近辺の学校や町の名前がないか探していく。かなりの数があるので、一件づつ見ていくのは難しそうだ。

 中には出身校や現在の住所が他人に見えないように設定している人もいる。もし池田真一がそうしていたらこの探し方では発見できない。いや、その前に池田真一がフェイスブックのアカウントを作っている保証すらないのだ。そうではないことを祈りながらページをどんどん進めていく。

 十分程経って、目や指がだんだん疲れてきたことを自覚した。もうそろそろ一度休憩をしようかな、と思った時にフェイスブックの検索表示の画面が今までと変わった。「続きをもっと見る」という表示が消えたのだ。もうこれ以上検索結果は出てこないようだ。

 これで全国の池田真一は全員分表示されたのか、それともフェイスブックの仕様で途中までしか出ないのかは判断がつかなかった。分かったのはこのやり方では探せないということだけだ。

 わたしは肩を掴んで首を回した。予想以上に集中力がいる作業だった。本当はミクシィの方も探してみようと思っていたけど、もうやる気が起きなかった。それは帰りの電車でやることにする。

 席を立って、一階に向かうことにした。

 この学校には求人情報などを管理している部屋がある。そこにはハローワークの職員のような仕事をしている先生がいて、生徒の就職活動をサポートしてくれる。ただハローワークと違い、生徒の就職はこの学校の実績となるし、もしかしたら先生の給料にも関係しているかもしれない。だから先生はとにかく就職させようとしてくるし、中には怪しげなプロダクションの求人もあったりするので安心できない。最後には自分で確認をしなければならないのだ。

 部屋に到着してから専用のパソコンで新規の求人を探してみた。そこそこの件数が表示される。会社の名前をインターネットで検索すれば今までどんなイベントをしてきたか分かるので、ある程度の信頼性は確認できる。会社名を隣にあるネットに繋がった方のパソコンを使って片っ端から調べていった。この業界はピンキリらしいので注意が必要だ。マウスを動かしている時に、その作業がついさっきまでやっていた池田真一探しによく似ていることに気がついて苦笑した。

 下校時間まで作業を続けてみたけれど、なかなかいい条件の会社は見つからなかった。途中で先生が話しかけてきて、高望みするよりも経験を積んだほうがいいと言ってきた。なんとなくだけど、その言葉はこの学校の職員というよりも、音楽業界の先輩としての言葉だったように感じた。もし冬までに見つからなかったら、妥協することも考えた方がいいかもしれない。

 学校を出ると日が沈みかけていた。大分日が長くなってきたけれど、本格的な夏の到来はもう少し先になりそうだ。近くの公園でひぐらしが鳴いている。犬を連れて散歩しているお婆さんや、子供と一緒に手をつないでいるお母さんの影がこちらに向って伸びていた。穏やかな時間が流れている。いつもは早く帰りたくて早足で駅に向かうけれど、今日はこの景色が名残惜しい気がした。

 丁度いい時間に電車があったので、すぐに乗ることができた。こちらはA市とは逆で、夏になると人が減る傾向にある。乗客はまばらで悠々と座ることができた。いつも通りにイヤフォンを着けた。隣に人がいないので、少しだけ音量を上げる。

 ずっとパソコンの画面を見ていたせいで気が進まなかったけれど、他にやることもなかったのでミクシィで池田真一を検索をしてみることにした。二十代、三十代の条件をつけてみる。

 件数はフェイスブックより大分少なかった。たったの十六件だ。これなら一件づつ見れるかもしれない。もしかしたら見つかるかもしれないと心を踊らせたが、同時に怖いとも思った。もしも池田真一を突き止めたとして、その時わたしに何ができるのだろうか。

 考えていても仕方がないので、まずは一番上に表示されていた池田真一の名前の部分をタッチした。すると、簡単なプロフィールが表示される。この人は岡山県の人らしい。他に気になるような部分はなく、ハイカラに繋がりそうにはない。念の為、彼の友人を選択してみた。もしもA市に在住していた時期があるなら、友人がA市近辺の人物だということがありえるからだ。何人かチェックしてみたが、A市近辺の人物は見当たらなかった。

 わたしは時刻を確認する。一件を見るのに五分程度で終わった。このペースなら到着するまでに半分は見れるかもしれない。

 電車に揺られながら次々とチェックしていく。停車してドアが開く度に、外が暗くなっていくのが分かった。二十分程経った頃だろうか。わたしの指がぴたりと止まった。

(見つけた……)

 地響きのように鼓動が高鳴っている。イヤフォンから流れてくる音楽にその音が重なって、まるで全然違う曲のようだ。わたしはイヤフォンを外した。それからもう一度画面をよく見る。見間違えじゃない。プロフィールにはA市の記述がある。わたしは画面をスクロールした。指が震えてしまうので両手でスマホを持った。

 池田真一、年齢は表示なし。出身地は富山県。プロフィールには簡単な経歴が書かれていた。地元の高校を卒業後に、一度就職をしているらしい。会社名はカタカナで「マルエ」とある。すぐに思い浮かんだのはギターケースなどを作っているメーカーだが、多分「マルエ」という会社は山のようにあるだろう。

 会社を辞めてから、A市近辺にある医療の専門学校へ。そして一番下には、「再来週、引っ越します」とだけ書かれている。年月日などは書かれていないので、時系列は不明だ。

 友人は一人。「ニホイノエスシ」という名前になっている。その友人のプロフィールを見てみたが、どうやらふざけて作ったプロフィールのようで何も分からなかった。一度池田真一のページに戻り、日記と書かれた所をタッチした。一件も日記は表示されない。友人以外には表示しない設定になっているか、あるいはアカウントだけ作り実際には一度も日記を書かなかったのかもしれない。友人が一人なので、その可能性は大いにありえそうだ。

 ついに池田真一の痕跡を見つけた。わたしは深呼吸をする。いつの間にか手汗をかいていた。落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 池田真一の通っていた専門学校はA市の隣町にある。わたしの高校の同級生も何人か行った人がいたはずだ。まずはその子たちにメールを送ってみよう。

 簡単な文面を作って数人に送信した。池田真一という人を知っているか、というものだ。高校を卒業して以来連絡を取っていないので、びっくりされるかもしれない。

 次にわたしは池田真一に送るメッセージを作った。メールアドレスを知らなくてもミクシィ経由で送ることができる。

 初めまして。突然、申し訳ありません。わたしはA市にあるハイカラで働いている者です。お話したいことがありますので返信をお願いします。

 文面は作ったものの、いざ送るとなると躊躇われた。まるで詐欺のようだし、見ず知らずの他人に返信するだろうか。返信されないだけならまだいいが、最悪なのはチンさんにこのことが発覚することだ。いや――。

 想像力を働かせろ。わたしは目を閉じてあらゆる可能性を模索した。

 もっと最悪な展開だってありえる。そう、例えば。

 池田真一はチンさんの何らかの弱みを握っていて脅している。だからチンさんはあの反応を見せた。もしもそうだとしたら、わたしがコンタクトを取ることによってチンさんに危害が加わることもありえる。

 わたしはメッセージを消した。もしかしたらさっきの友達にメールを送ったのも軽率だったかもしれない。慌てて『あと、この件は誰にも内緒ね』と付け足して彼女たちに送信した。チンさんの異常な反応を考えると、この件はもっと慎重にならなければいけない。今後はもっと考えてから行動しなければ、と自分を戒めた。

 そのままスマホをしまおうと思った時に画面が点灯した。メールを着信中と表示されている。もう返事が来たのかな、と思っていたら相手は星野さんだった。

 今日ハイカラに来れる?

 メールの内容はその一文だけだ。

 どうしてですか?

 そう返した。正直あまり行きたくなかった。昨日のことを思い出してしまいそうだったし、星野さんの他にも誰かが一人いるはずだからだ。

 すぐに返信が来た。

 更衣室を調べていたら池田真一の痕跡を見つけた。とにかく一度見てほしい。写真だと上手く撮れないから。

 池田真一の痕跡を見つけたという文章にまず驚いたが、すぐにその痕跡の正体が気になった。写真で撮れないということは、ギターのような大きなものではないだろう。わたしが見つけたメモのようなものだろうか。

(今日は星野さんがいるから、大丈夫だよね……)

 チンさんが変貌した時のようなことは起きないだろう。そう信じたい。

 あと二十分くらいで到着しますとメールを送った。

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