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ある日、チンさんに誘われて釣りに出掛けたことがあった。
わたしはその日のわたしを、少し後ろから見ている。
八月の陽射しは強烈で、わたしは全身にびっしょりと汗をかいていた。首元に掛けたタオルで何度も額を拭っている。海面がきらきらと輝いていて、世界が眩しく思えた。
釣り場に到着すると、地元のおじさんに餌の付け方を教えてもらった。わたしはそれまで釣りの餌は虫だと思っていたのでとても安心した。加工してある小さなエビで、抵抗なく触ることができた。
わたしはチンさんと二人で並んで座った。おじさんが用意してくれたキャンプ用の小さな椅子が二つだ。順番に釣り竿を振って海に投げ込む。糸が絡まないように別々の方向に竿を振った。
しばらく揺れるウキをじっと見つめていたが、ちっとも沈まなかった。チンさんにそのことを言うと、そんなに簡単に釣れるものじゃないと教えてくれた。前にやった時には、一匹も釣れなかったらしい。でもそれがいいのだとも言った。
そのうち、どちらからともなく話し始めた。まだ出会って一ヶ月くらいなのに、チンさんはずっと昔からの友達みたいな喋り方だった。そのせいか、ついつい色々なことを喋り過ぎてしまった。しかしそれが楽しくて、釣りよりも会話に集中していたくらいだ。
それからきっかけもなくふと沈黙が流れた。嫌な沈黙ではなくて、とても心地が良い時間だった。波の音が水平線の奥から聴こえてくる。潮の香りが海風に乗って、頬と髪を撫でていった。二人でただ海をぼおっと眺めている、ただそれだけで、穏やかな心になっていく。
やがて日が暮れ始めた。一匹も釣れないまま夕方になってしまったけど、わたしはまた今度来てみたいと思っている。ふとチンさんの顔を見ると、わたしを見返してにこりと笑った。
夜にはこの町の海上花火大会に行った。この町の名物で、結構な観客が毎回募る。その日も浴衣姿の観光客でごった返していた。
ビールを片手にガードレールに腰を掛けて、打ち上がる花火を見つめた。もう何度も見たはずなのに、その日の花火はとても素敵だった。花火を見ながら、チンさんと知りあえて本当に良かったと思った。本当は地元でバイトをするのに抵抗があったのだ。面接を受けた日でさえ、本当は学校のある街で働いて一人暮らしをしたいと思っていた。
あの店の人はみんな個性豊かで面白い。それにとても仲が良い。きっとわたしもその一員になれると思う。それはみんなが優しいから。
最後の花火が海に尾をつけて海に落ちてゆく。炎が描く枝垂れ桜のようだ。わたしはその余韻に浸りながら、幸せ感を体いっぱいに感じていた。チンさんも嬉しそう笑っている。目を細めながら、わたしに呟く――。
「知らない」
突然、世界から音が消えた。
わたしは驚いて辺りを見渡す。幸せそうな顔をしていたわたしではなく、それを後ろから見ていたわたしがだ。
町から人が消えている。音も、匂いも、何も感じない。色彩が失われ、モノクロの世界に変貌してゆく。
後ろから肩を叩かれた。反射的に振り返るとポンさんが立っていた。
「この店の怪談話、訊いたことある?」
声にノイズが掛かっていて、まるで機械のような音がした。
再び肩を叩かれた。振り返ってみたが、そこには誰もいない。その代わりに、遠くから音が聞こえてきた。
電話の鳴る音だ。どこかから聞こえてきている。不快で耳障りな音だ。
その音が次第に大きくなってゆく。やがて頭が割れるような巨大な音になり、ついにわたしは耳を塞いだ。暴力的な音は、耳を塞いでも脳の内側で暴れまわっている。
再び肩を叩かれた。
怯えながら振り返ると、そこには――。