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市内にある寿司屋に到着した。和風の店構えで、玄関の脇に大きな盆栽が置かれている。雨はまだ降っているけれど、その雨も風情の一部だと思えるような雰囲気があった。店の前には観光客らしい人がぽつぽつと立っている。わたしはその一部に紛れ込んで店前のベンチに座り込んだ。
星野さんとはここで待ち合わせをした。この店は家族連れが来るような店でもないし、若者が簡単に来れるような場所でもない。ハイカラの人たちが来る心配はまずいらないだろう。星野さんの方から提案した場所だ。話したいことがあると言っていた。わたしも報告することがたくさんあったし、会うことにした。
しばらく待っていると星野さんがやってくるのが見えた。わたしは先に店に入る。別々に店に入ろうと星野さんが提案したからだ。
店内に入ると板前さんたちが活気のいい声で「いらっしゃい」と言った。適当にカウンター席に座る。この店に来るのは初めてだ。壁に掛かっているメニューを見ると、中々の値段だった。中には「時価」と書かれているものもある。
「お待たせ」
星野さんがわたしの横に座った。また長袖だった。今日は雨が降っているから少し肌寒いかもしれない。わたしも長袖にすれば良かったと思った。
「何か頼んだ?」
「いえ。まだです」
「じゃあ注文しちゃおうか」
お昼ごはんは食べてきていたので、あまりお腹は空いていない。それを伝えると星野さんは板前さんに自分の分とわたし用のお稲荷さんだけ注文した。
茶を啜ってから星野さんの方から話を始めた。
「例のギターの件だけど、誰が持ち去ったか分かったよ」
「え? カメラの映像見たんですか?」
「昨日、葵ちゃんが帰ってからね」
マヨさんと仕事をしながらどうやって映像を見たんだろう。マヨさんはきっと止めたはずだ。星野さんのことだから、また何か上手い理由を作って強引に見たのだろうか。
「誰だったんですか?」
「俺も驚いたんだけど」星野さんは茶をもう一口啜って間を作った。「ポンちゃんだったよ」
「ポンさん? どうしてポンさんが」
意外な人の名前だった。ギターを見つけた夜も、なくなった日も、ポンさんはシフトに入っていなかった。
「どうしてかは分からないけど、映像を見たから間違いない。店にやってくるとすぐに奥に向かっていった。多分、更衣室に向ったんだろう。またすぐに玄関の方にやってきて、今度は手にはギターを持っていた。ほんの五分くらいで帰っていったよ」
「それだけの為に来たってことですか?」
「そう見えたな。最初からギターを取りに来ていたように見えた」
誰かが頼んだのだろうか。しかし壊れたギターをわざわざ取りに来るとなると、しっかりとした理由が必要だ。ポンさんも池田真一にまつわる話を知っているのかもしれない。
「時刻は三時頃だったかな。葵ちゃんも明日見てみれば分かると思う」
三時頃。時刻がピンポイントで分かれば確認するのは簡単だ。数分で見れると思う。
「分かりました」
「葵ちゃんの方も何か分かった?」
「あ、はい。わたしも色々調べてみました」
わたしはミクシィの池田真一のページを開いて星野さんに見せた。
「これは……?」
「池田真一のプロフィールです。それで、ここに書いてある専門学校に通っている友達に色々訊いてみました。池田真一は四年前の卒業生らしくて、当時の年齢で三十五歳。少し変わった人だったみたいです」
「おぉ、よく調べたね」
丁度頼んだ品を板前さんが出してくれた。木の板のようなものに寿司がたくさん乗っている。こんなに頼んでお金は大丈夫なんだろうか。痩せている割にはたくさん食べる人だ。
「変わった人って言うと、どんな人だったの?」
わたしはミツノから聞いた話をそのまま星野さんにした。話を聞いている間、星野さんは寿司には手をつけず、難しい顔をして聞いていた。
「それから、卒業間際になって池田真一は失踪したみたいです」
「失踪?」
「卒業式にも職場に現れず、実家にも帰っていないそうです」
「……きな臭い話だね」
「あとは、ついさっきなんですけど、昔のシフト表を見つけました。池田真一はやっぱり昔ハイカラで働いていた人だったみたいです」
「どこで見つけたの?」
「駐車場のおじさんがメモ代わりに使っているのを見つけたんです。五年前のシフト表でした」
さっきスマホに打ち込んだメモ帳を見せた。
「……ちょっと見せてくれる?」
星野さんはわたしのスマホを持ってじっと画面を見つめた。
「星野さんは野村明江と神谷健太って人を知ってますか?」
星野さんはその質問には答えずに、ただ画面を見つめていた。瞬きを繰り返しながら、強い眼差しを向けている。
「星野さん?」
「あ、ごめんごめん。神谷って苗字はなんとなく聞いたことがあったと思ったんだけど、やっぱり知らないな。気のせいだったみたいだ」
星野さんはわたしにスマホを返すと、その手でひょいと寿司を掴んで口に放り込んだ。
「この人たちに聞いてみれば、何か知ってるかもしれませんね」
「じゃあ、訊いてみる?」
「え?」
星野さんは口を動かしながら自分の携帯を取り出した。
「俺がマヨさんに訊いてみようか?」
「マヨさんに訊くとチンさんに伝わっちゃうかもですよ」
「これくらいはいいだろう。嘘をついているのは向こうなんだ。こっちがそこまで気を使う必要はないよ」
「そうですか?」
星野さんは携帯の操作を始めた。もうメールを作っているのだろう。少し不安になったけれど、星野さんに任せることにする。
「そういえば、野村明江の方はハイカラの他に旅館でも働いていたみたいです。駐車場から出て道路を挟んだ反対側なんですけど」
「ああ、たむら旅館か」
「もう六十五歳くらいらしいですから、いないと思いますけど」
「いや、そうとも限らないよ」星野さんは携帯をパタンと閉じた。「ああいう旅館の仲居さんって、結構年寄りが多いし。まだ働いている可能性は大いに有り得る」
「でも仲居さんじゃないかもしれませんよ?」
「え? ああ、まあそうだけどさ」
星野さんはもう一つ寿司を口に運んでから「葵ちゃんはこの後予定ある?」と訊いてきた。
「いえ、今日は何もないです」
「そうか。それなら、この後行ってみる?」
「え? どこにですか?」
「たむら旅館だよ。直接探しに行ってみよう」
「直接ですか? そんなことできますかね」
「やってみなきゃ分からないだろ」
すごい行動力だな、と思った。メモを見つけたのはわたしなのに、わたしよりも積極的にこの件を探っているように見える。
ちらりと星野さんを見ると、口いっぱいに寿司を頬張っていた。急いで食べている。いっぺんに食べたら味が分からなくなってしまいそうだ。わたしも目の前のお稲荷さんに手をつけた。スーパーで売っているようなのとは少し違う気がした。
食事を終え店を出た。まだ雨が少し降っていたので、バスで移動することにした。最寄りのバス停から十分程で再び駅に戻ってくる。
星野さんとわたしは少し距離を取って歩いた。一緒にいる所を誰かに見られたくなかった。後ろめたいことをしているわけではないけど、見られないならそっちの方がいい。
塀に沿って旅館の方へ歩いて行くと、建物の瓦屋根の一部が黒くなっているのが見えた。そういえば数年前にここは火事があった。目立つ所は直したようだけど、所々はまだ爪痕が残っているようだ。
門をくぐってスロープになっている道を少し上る。左手に建物があって、右手には駐車場が奥まで広がっている。ここまで来れば道路から見られることもない。
少し遅れて星野さんが入ってきた。
「行こうか」
星野さんがわたしの前に立って歩き出した。
「あれ? こっちに行くんですか?」
星野さんは入り口ではなく駐車場の奥へ入っていく。
「うん。こういう所は裏手に喫煙所があることが多いからね」
建物をぐるりと回るように駐車場を歩いていく。時刻はもうチェックインの時間のはずだけど車は少ない。雨もあいまって随分閑散として見えた。火事があってから客足も遠のいたのかもしれない。歩きながら旅館を見てみたが、こちらも所々が黒く汚れていた。
歩いていくと二人の人が立っているのが見えた。裏口の所に屋根がついていて、その下でタバコをふかしている。星野さんの言ったとおりだった。わたしたちに気がついたようだ。二人ともこちらを見ている。
「どうやって訊くんですか?」
「普通に訊くよ。俺に任せておいて」
星野さんは自信がありそうだった。堂々と真っ直ぐ二人に近づいていく。
裏手に立っている二人はかなり年配の女性だった。白いかっぽう着を着ていて、髪は灰色に染まっている。一人はふっくらとした女性で、もう一人は頬が痩けた女性だ。ぱっと見では六十五歳以上に見える。もしかしたら野村明江もまだ働いているかもしれない。
「あの、すいません」
星野さんが話しかけた。二人は答えずに、じろじろとこちらを見ている。
「ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
「お客さん、あたしらは分からないよ。あっちが入り口だから」
痩せている方の女性が今歩いてきた方の道を指さした。面倒だと顔に書いてあった。
「あ、いや。そうじゃなくて。昔ここで働いてた人を探してるんです。野村明江って人はこちらで働いていますか?」
「野村? 野村ってノムさんかね」
今度はふっくらした方の女性が言った。
「六十歳過ぎの女性だと思うんですけど」
「それじゃノムさんだね。ああ、いたよ」
わたしはぎゅっと手を握った。早速知っている人に出会えたかもしれない。しかし今の「いたよ」というのが過去形なのが気になる。
「もう辞められたんですか?」
星野さんが訊くと、二人の女性は顔を見合わせた。
「辞めたってわけじゃないんだけどねえ。ありゃいつだったかしら」
「火事があった年だよ。だから、ええっと、四年前か」
「そうそう、四年前だ。あん時は大変だったねえ。消防車がいっぱいやってきて、あたしらももう駄目かと思ったよ。夜なのに昼間みたいに明るくて、煤が舞っているのがまるで雨が降っているように見えた」
太った方の女性が遠い目をしてそう語った。
「タミさん、話が逸れてるよ」
「いけない。歳取ってくると段々話に集中できなくてねえ」
灰色の髪を人差し指でクルクルと回した。
もどかしい気持ちになったが、星野さんは急かすことなく黙って聞いている。
「まあ、それでノムさんなんだけど、あの人は亡くなったよ」
「え……?」
そう言ったのはわたしだった。思わず声が出てしまった。
「火事で亡くなられたんですか?」星野さんが冷静に尋ねる。
「いいや、火事の時はノムさんは休みだったから。それにあの人は地元に住んでるしね。あれから三ヶ月くらい経ってからだった。無断で仕事を休んでさ。支配人が電話を掛けたんだけど、どうやら自殺したようなんだよ」
(自殺? どうして……)
「うちらはあんまり詳しく聞かなかったけど、薬を大量に飲んで死んだらしいよ。ノムさんはそこのカラオケでも働いててね、どうやらカラオケの人たちが最初に発見したらしい」
「どういうことですか?」
わたしは一歩前に出てそう言った。
「さあ? 噂だと死ぬ直前にカラオケに電話をしたらしいけど。本当は死ぬつもりじゃなかったのかもしれないねえ」
「理由は知ってますか?」今度は星野さんが訊いた。
「どうだろうね。旦那の浮気が原因だって誰かが言ってたけど。今となっては分からないねえ」
本当にそうなんだろうか。池田真一の失踪を知った今、素直にそうだと思えない。野村明江の自殺にも、ハイカラは関わっている気がしてならない。四年前といえば池田真一が失踪した時期と重なる。どちらが先なんだろう。
「そうですか。わざわざありがとうございました」
星野さんがそう言って切り上げた。そそくさとその場から立ち去る。わたしはぺこりと頭を下げてから星野さんの後を追いかけた。
駐車場を歩きながら星野さんに話しかけた。
「さっきのどう思いますか?」
「どう思うって?」
「自殺のことです。偶然だと思いますか?」
「偶然だろ。そうじゃないなら何だって言うんだ?」
「それは分からないですけど……」
「分かったのは野村さんという人からは情報を得られないということだけだよ。それ以上は想像にしかならない」
星野さんと話していると、わたしとは考え方が全く違う人だと感じる。わたしは直感的に感じたことを信じるが、星野さんは事実だけを見ている。そんな感じがする。
「この後はどうする? とりあえずやれることはやったと思うけど」
「そうですね。わたしは家に帰ろうかと思います。星野さんは?」
「六時から仕事だから、俺も一回家に帰って時間を潰すよ。神谷健太のことが分かったらすぐにメールするから」
「分かりました」
それから来た時と同じようにタイミングをずらして旅館の駐車場を出た。わたしは真っ直ぐ家に向かう。いつの間にか雨が止んでいた。




