ミリーアのオアシス
隣の壷の中のジン様 小話その2
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あるところに、ジンニーヤーがおりました。
ジンニーヤーは砂漠の真ん中、小さなオアシスで日々をすごしていました。
砂漠は広大で、オアシスもいくつかありますが、ジンニーヤーがいるオアシスはその一つきりでした。
ジンニーヤーということですから、ジンという存在の中でも、女性のジンです。
彼女は、昼間はオアシスの湧き水に裸足の足を浸しボーっと砂漠の向こうを眺め、夜は大きく育ったゴゴという名の木の上で夜空を見上げて眠るふりをします。ジンという存在は、あまり眠りを必要としないのです。
彼女のいるオアシスは、小さいといいましても、人間の隊商が野営をする分には不足の無い水場と木陰がありました。
自らの縄張りとも言えるそのオアシスに人間たちが立ち寄るのを、彼女はあまり気にしておりませんでした。
よほどのことが無ければ、普通の人間にはジンを見ることができなかったからということもあります。
ジンの姿を見る力を持つマジュヌーンの人間がやってくるときには、彼女は昼でも木の上に身を隠しておりました。
姿を見られるのを好まないジンというのは確かに居りますが、彼女はそういうわけではなく、『マジュヌーン』という存在を少しだけ恐れるような気持ちがあるようでした。
他のジンによくある、人間嫌いということもありませんでした。
彼女はむしろ、人間が好きな部類でした。
マジュヌーン以外は、と、注釈がつきますが。
彼女は、人間たちがオアシスにたどり着けた祝いで酒に酔って楽しそうにしている夜には、いつの間にかその輪の中に混じって酒を飲むようなこともありました。
小さな子供をつれた、訳ありの様子な旅人が疲れ果てて死んだように眠った夜には、夜中に起きだしてぐずる子供をあやすようなこともしました。
砂漠を越えて旅をする一人の冒険者が、疲れ果て転がりこんできた夜には、冒険者のかわりに大事な水袋(水筒)に水を満たしてやることもありました。
辛い辛い砂漠越えをするような人間たちです。
オアシスにたどり着いたときには、誰も彼もがほっとして力を抜き、笑みがこぼれます。
そんな様子を、オアシスの主であるジンニーヤーも、微笑みながら眺めるのが好きなのです。
彼女は、旅人を迎えるときにはオアシスの水を目一杯の魔法の力を使って、きれいにきれいにします。
お疲れ様、と出迎えて、きれいな水でもてなすのです。
そして、普段寝床にしているゴゴの木の実を落とします。
ゴゴの実は、火で炒ると甘さが増す栄養のある実で、甘い蜜を絡めて食べるのが主流です。
けれど、彼女が落とすオアシスのゴゴの実は、火で炒っただけで、まるで蜜を絡めたような甘さを持っているのです。
疲れた旅人や、甘いものが好きな子供たちにとても喜ばれます。
大人が見ていないときには、手ずから子供たちにゴゴの実を与えることもあります。
過酷な生活を送る冒険者のポケットに、そっとゴゴの実を忍ばせることもあります。
彼女に頭を撫でてもらったという子供もいます。
そんな子供は、決まって足を痛めたり、体調を崩した子供たちでした。
彼女に撫でてもらった子供は、オアシスを出るころにはすっかり元気になっておりました。
そんなジンニーヤーのいるオアシスは、今も砂漠のどこかにあります。
そのオアシスがどこにあるのかは、その場所を神聖な場所であると考えた者たちによって秘密にされているのです。
人間が好きなジンニーヤーは、今頃、一人寂しく夜空を見上げているのではないでしょうか。
もしもあなたが砂漠で迷い、きれいな水をたたえる、ゴゴの木が生い茂る不思議なオアシスにたどり着いたなら、耳を澄ましてみてください。
いらっしゃい、よくきたね、という優しい声が聞こえるかもしれません。
一晩ぐっすりと寝てオアシスを出るときには、いってらっしゃい、また来てね、という明るい声が聞こえるかもしれません。
その不思議なオアシスは『ミリーアのオアシス』と呼ばれ、主であるジンニーヤーは『旅人の守り神 ミリーア』として旅人たちに崇められているのです。
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俺は、若い頃にかの有名な『ミリーアのオアシス』に、隊商に混じって訪れたことがある。
砂漠を渡って旅をする隊商たちはもちろんそのオアシスの正確な場所を知っているが、他には決してその位置を漏らすことは無い。
とはいってもオアシスが頻繁に移動することも無いため、隊商に参加したことがある者たちは、星の位置から大体の場所を特定することができる。
昔は、そのオアシスを神聖なる場所として秘匿していたらしいが、現在では信頼できる者や、自らの後継者とする者にはその位置を知る術を伝えることが許されている。
オアシスに居るとされているジンニーヤーが人間が来ることを喜ぶだとかで、昔のように隠された存在ではなくなったのだ。
一時期、秘匿されすぎて人間が訪れなくなったオアシスが、だんだんと小さくなっていったことがあるらしい。
旅人たちからは『旅人の守り神』といわれてもいるが、『寂しがり屋のジンニーヤー』とも言われている。
それを当のジンニーヤーがどう思っているのかはわからない。
秘匿されなくなったからといって、頻繁に人が訪れるようになるかといえばそのようなことも無く。
しょせん砂漠の真ん中という命がけで向かわねばならない場所だ。
交通の便がよい町ならばともかく、そのオアシスだけを求めていくような奇特な者は少ない。
近頃は、冒険者として世界中を旅する若者たちが、そのオアシスを最初の冒険の地として選ぶらしいが。
昔は砂漠の入り口付近にある、ピラミッドの地下迷宮がその対象であったものだ。
はじめてそのオアシスを見たとき、ああ、これならば御伽噺として語り継がれてもおかしくはない、美しいオアシスだ、と感動したものだ。
足を踏み入れたとき、かつて聞いた御伽噺のように、つい、耳を済ませてしまった。
ジンニーヤーの声が聞こえるかもしれないと思ったのだ。
もちろん、女の声など聞こえるはずもなく、聞こえたのは野営の準備をしろというだみ声の隊商の先輩の声だけだった。
このオアシスに訪れた隊商は、必ず火を焚き、酒を飲み、ゴゴの実をつまみ、盛大に宴をするのが決まりになっている。
たまたま、その夜オアシスにたどり着いた旅人が二組おり、彼らも交えての宴が始まると、火の光を反射してきらきらと水面がきらめいた。
笑い声と、奏でられる音楽と、大声の歌、焼かれる肉と香辛料の香り。
しんと静まり返ったはずの砂漠の夜が、そのオアシスだけは昼のように明るく、町の酒場のように騒がしかった。
新人だった俺も、そんな中、酒を浴びるように飲んでいた。
ふと気がつくと、いつの間にか隣に旅装束の女が座って、同じように酒を飲んでいた。
酔っ払いたちの間を回ってきたゴゴの実の入った小皿を、その女に差し出すとうれしそうに笑って、ありがとう、と言われた。
俺はとても気分がよくなり、もっと飲め、これも食え、と、酒をその女の杯に注いでやり、焼けた肉を取り分けてやった。
女も、またうれしそうに笑って、一緒に飲み、食べた。
女は、砂漠の向こうの、ある町に行く予定だと言った。
そこは、俺が参加している隊商のひとまずの目的地であった。
なんという偶然か。
俺は、自分たちもそこに行くのだというと、なら、途中まで一緒に行ってもいいだろうかと問うてきた。
下っ端の俺にはなんとも答えにくい問いだったので、重そうな身体で踊り狂っていた隊商のリーダーへその話を持っていった。
すると、酒で気分がよくなっていたのか、それとも、そのリーダーの故郷でもある町へ行くという話しに親しみでも感じたのか、快諾を得られた。
翌日、オアシスでたっぷりと水を補給した隊商と、二組の旅人たちはその場を後にした。
旅人たちのうち、一組は別のほうへ向かって旅立ったが、前日の夜に話をつけていたもう一組は、俺たちと共に町へ向かった。
共に町へ向かった旅人たちは、昨夜酒を一緒に飲んだ女と、一人の男という組み合わせだった。夫婦なのかと聞いたら、違うよ、と笑って返された。
そうして、特に何か事件が起きることもなく、俺たちは目的の町へと到着した。
その町は、数百年前に貧乏な青年が力のあるジンと共に冒険をし、やがて一国の王になったという御伽噺のある町である。
御伽噺というが、これは実際にあったことであり、そのおかげでその町は有名になり、とても栄えた町となったらしい。
町まで共にやってきた旅人たちとは、町の入り口でわかれた。
彼女らも目的があるらしい。
隊商の方の仕事が終わったのはそれから2日後。
ひとまず休暇が与えられたため、町をぶらつくことにした。
すると、隊商のリーダーと町で鉢合わせてしまった。
あのオアシスの夜、踊り狂っていたあのリーダーだ。
彼は、実家の墓に参りに行くところだという。
この町に帰るたびに、いつも墓参りをするらしい。
どうやって彼から逃げようかと思っていたが、その話を聞くと、何故かついていってもいいかと口にしていた。
もちろんだ、と彼は言い、二人でその町の片隅にある墓所へと向かった。
彼の祖先が眠るのだという小さな墓の前に立つと、その前にはすでに供えられたゴゴの実があった。
誰かが供えてくれたようだな、と、うれしそうに笑ったリーダーは、懐から小さな袋を取り出した。
中身が何かと聞くと、オアシスで拾ってきたゴゴの実を炒ったものだ、と教えてくれた。
先祖代々ゴゴの実が好きなのだと照れて笑った。
先に供えられていた実も、きっとそれを知っている誰かが供えたのだろう。
お前にも一つやろう、と、ゴゴの実を差し出された。
子供じゃないんすよ、と、笑ったが、期待に満ちたきらきらとした瞳に負け、手のひらに乗せられたゴゴの実を口に運んだ。
子供の頃からゴゴの実を食べてきたが、そのときのゴゴの実の味は今でも何故か忘れられない。
うまいだろう、と、うれしそうに自分もゴゴの実を食べるリーダー。
墓所という寂しいはずの場所ではあったが、とても暖かい気持ちになったことを今でも覚えている。
彼とは、数十年たった今でも時折手紙のやり取りをしたり、共に仕事をする仲である。
その後、再び同じ隊商が結成され、別の町へ向かうことになった。
本来は、隣の町へ向かう予定であったのだが、急遽、数日前に越えてきた砂漠を戻ることとなった。
町を出る日、再びあのときの二人組みの旅人と出会った。
なんという偶然だろうか。
彼女らも砂漠を再び越えて戻るのだという。
見知った相手であったため、今度も話を通せばすぐに共に行こうということとなった。
あのオアシスまで、俺たちはまた共に旅立ったのだ。
いくつかのほかのオアシスを経由し、やっとあの『ミリーアのオアシス』に到着したときには、疲労もたまっていた。
それでも、このオアシスでは宴が開かれるのだ。
あの夜のように、宴は夜中まで続いた。
翌日、隊商はすぐに出発することとなった。
ところが、そこまで共にきた旅人二人は、そこで別れるという。
そのオアシスで待ち人があるらしく、数日オアシスに滞在するつもりだというのだ。
数日分の食料や燃料を隊商の運ぶ商品から買い取った彼女らとは、本当にその地で別れた。
彼女らは、俺たちの隊商がオアシスを後にするとき、ずっと手を振って見送ってくれた。
振り返って手を振り、後は進む先へと視線を転じたその時。
俺は、確かに聞いた。
いってらっしゃい。また来てね。
そんな、女の言葉を。
俺の前を歩いていたリーダーが驚いたように後ろを振り向いたのを見て、それが聞き違いではないことを確信した。
あのときの彼女らとは、その後二度と会うことはなかった。
俺は、それからもずっと旅を続けている。
end
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みっちゃん、砂漠で神様扱いされる、の、巻。