私は都合の良い婚約者
誤字報告ありがとうございます!何度も推敲してから上げているのですがそれでも生き残りがいるので本当に助かります。
──私は都合の良い婚約者。
王宮の一角に与えられた執務室に赴けば、積み上がった書類の山。最初の頃は申し訳無さそうに直接お願いされたものだけれど、今となってはそんなやり取りすらなく無言で寄越されるそれらは、普通であれば王太子である彼がやるべきもの。
ご丁寧に締切の早いもの順に纏めて但し書きまで付けてあるので、そこまでするならご自分で対処すれば良いものをと思いつつ、ざっと内容に目を通す。
「これもこれもこれも、本当に私が対応してよろしいのかしら……? 怖いわ。でも殿下はお忙しいそうなのでやるしかありませんね。今日中には終わるかしら」
大きな独り言を溢して私は机に向かうのでした。
◆◇◆
──私は都合の良い未来の王太子妃。
今日は妃教育のために王宮に赴き、王妃様に課された宿題をお渡ししたところ。
「ふん、まあ及第点ですわね」
「ありがとうございます」
「ではこちら、次の宿題よ。明後日までに完成させなさい」
「かしこまりました」
渡された宿題を確認すれば、『東の隣国の大使との会談で以下の取り決めを有利に進めたい場合、王妃として備えておくべきものを全て述べよ』という内容でした。
(確か来月末に東の隣国との会談が控えてましたね)
そんな事を頭の片隅で考えつつその後、王妃様による毎回正解の変わる行儀作法の講義で甲高いお叱りを受けながら私の妃教育は終わりが見えないまま進むのでした。
◆◇◆
──私は都合の良い公爵家の娘。
「……以上が私の任されている王太子決裁の内容になります。また、先週から"研修"として王妃様の書類も対応しております。内容としましては……」
我が公爵家の執務室で私は普段よりさらに背筋を伸ばして直立で滔々と報告を述べます。対面にはダークブラウンの重厚な執務机に座して、黙したまま立派な顎髭を摩っている父上がおり、私が報告を終えると「ふむ」と一つ、満足そうに頷きました。
「報告ご苦労。王太子のみならず王妃の信を得るとは良くやった。これからもしっかり励みなさい」
「過大なるお言葉ありがとうございます。これからも精進して参ります」
「うむうむ、もう今日は良い。部屋に下がりなさい」
「はい、父上。御前失礼いたします」
出入り口に控える護衛騎士により、音もなく閉じた扉を背にして私は自室へと向かいます。
(昨日と比べて就寝まで少し時間があるから、久しぶりに趣味の刺繍でもしようかしら)
なんて、刺すモチーフをあれこれ考えながら私はちょっぴり歩を早めました。
◆◇◆
──私は都合の良い王太子の婚約者。
「……という訳で、彼女を将来側妃に迎える事になった。構わないね?」
「まさかぁ伯爵家の庶子のあたしがぁ、公爵家のお姫様と肩を並べられるなんてぇ驚きですぅ〜〜。これからは二人でし〜〜っかり旦那様を支えていきましょーね?」
「……かしこまりました」
一流の庭師が整えた素晴らしい庭園を背景に、私は目の前でべったりくっ付いているお二人にいつものように笑顔で承諾を返します。そうすると、いつものように彼は鼻白んだ様子でつまらなそうに息を吐いてから「君ならそう言ってくれると思っていたよ」と取って付けたような微笑を浮かべて宣いました。
「役割としては君には政務を、彼女には社交を主に担ってもらう。こうすれば仕事も二人で分けられて負担も少なく済むだろう?」
「わあ! あたし達の事を気遣ってくれるなんてぇ、とってもお優しいですぅ〜〜」
「これくらい当然さ。……という訳で、これは陛下も公爵も承諾している内容だ。これからもよろしく頼むよ? それじゃあ、僕達はこの後予定があるから」
「ご機嫌よぉ〜〜」
座っている時と全く同じのべったり具合で言うだけ言ってさっさと去って行ったお二人をニッコリ薄目で見送って、視界の端から完全に消えて無くなった辺りで私は少しばかり溜め息を吐くと、手付かずのスイーツを一つ、ヤケクソ気味に摘むのでした。
あ、美味しい。
◆◇◆
──私は都合の良い王太子妃。
今日も今日とて政務に追われる灰色の日々。式を挙げてからずっと、初夜のお渡りすらなくこの有り様でございます。まあ、そこは良いのだけれど。
王宮の自室と執務室を往復するだけのほぼ軟禁状態の日々を送る私と違って、王太子の視察や社交といったものは側妃がついて行きます。因みに彼らのカンニングペーパーは私が書かされていて……これも政務の一貫らしいですわ。
表に出る公務はすべて側妃が出しゃばっているからもうどっちが正妃なのかわからないなんて冗談もそこかしこから聴こえてきています。民衆なんて完全に勘違いしていそう。嘆かわしいわ。
「これは王太子の決裁、これは王妃様の決裁、これは……あらあら? "また"国王陛下の決裁? 本当に私がやってよろしいのかしら?」
一つ一つの内容を声に出しては驚いてみせ、いつもの様に大きな独り言を吐きながら積まれた書類を捌いていきます。慣れた事務官達がそれらを纏め上げて各部署にそれぞれ届けに行き、馴染みの侍女達が空気の籠る前に窓を開いて換気をし紅茶を淹れ替えるついでに私が最近ハマっているお菓子を添えてくれました。
(有能な人材ばかりで助かるわ。まあその人事も私が担っているのですけれど)
適度に一息つきつつ日々着々と増えて行く仕事をなんとかこなせているのも彼等の助力あってこそ。今度、臨時で褒美を弾もうかしらとざっくり見積もりを立てて私はまた山を切り崩す作業に舞い戻りました。
◆◇◆
──私は都合の良い公爵家の駒。
「……以上が現在任されている政務内容になります」
「報告ご苦労。うむ、別で報告は受けていたが随分と信任を得ているようで大変結構なことだ。しかし城内でも姿を見ず、面会すらなかなかままならんと思っていたがそれほどまでとは。体調に相違ないか? 休息は取れているのか?」
久しぶりにもぎ取……与えられた休暇を用いて我が公爵家へと帰ってきて早々、執務室にて父上に現状の報告を済ませます。
「お気遣いありがとうございます。父上が推薦してくださった方々が皆優秀でございますので、あまり外に出られない以外は、問題なく」
「そうかそうか。問題がなければ僥倖僥倖。このまましっかり励みなさい」
「はい、精進いたします」
「ああそうだ、」
「?」
今まで通りこれで会話は終わりかと退室の用意をしていたところ、父上から不意に声を掛けられ内心首を傾げます。
そんな私を見透かした様に父上はニヤリと笑うと、次のようなお言葉を齎しました。
「そろそろお前にも褒美を用意しようと思ってな。何が望みだ? 何でも言ってみなさい」
一転、柔和な微笑みと声音で私の返事を待つ父上の目尻の皺を眺めたあとに私は、つい目を伏せ考え込んでしまいました。
(のぞみ、望み…………欲しいもの、求めるもの、叶えたいこと)
ここ最近の激務ですっかり疲弊し埃を被ってしまっていた心のどこかが軋みながら動き出すのを感じます。
(私の望みとは何だったかしら?)
同時に、渇き切っていた何かが必死にソレを求め訴えるような飢餓感も溢れてきます。
──思い出すのは光を受けて輝く眩い金色。
──まだ王太子との婚約が結ばれる前の、無邪気であたたかな愛しい記憶達。
──母を亡くし、忙しい父をただ待っていた幼い私に寄り添ってくれた温もりを。
──ただ真っ直ぐに私を見詰める優しい優しいあの眼差しを。
(ああ、ああ。わたくしの、私の望みは──)
そうして仕舞っていた宝箱を開けるように瞼を開いた私は、静かに返事を待つ父上をしっかり見つめて申し上げました。
「それでは父上、一つお願いがございます」
◆◇◆
──私は都合の良い王太子妃。
──いえ、今は"元"都合の良い王太子妃。
「城内の制圧完了。"姫様"を除き、王族全員の捕縛も完了しております」
「報告ご苦労。ふむ、想定通りとはいえ実に呆気なかったな」
公爵家の息の掛かった王宮騎士達が整列する玉座の間にて、顎髭を摩りながら拍子抜けした様に呟く父上に対し「姫様のご尽力の賜物ですな」ととんでもないことを騎士がにこやかに告げます。父上もすかさず「まさに! 我が自慢の愛娘よ」なんて誇らしげに応じるものですから、私はパッと顔を俯けるしかなくて。それを見た父上がさらに「ハッハッハッ」と笑いながら頭を撫でてきて私はさらに顔が熱くなってしまいました。
我が公爵家を筆頭にしたクーデターは大した損害も無くサクッと終わり、私を除いた元王族の方々は後日サクサクッと処刑されました。
元々、先々代の頃から不祥事まみれで評判も悪く、また事前に『王太子妃をこき使って自分達は遊び呆けてる王家』として事実に基づく醜聞も流していましたから、民衆からもすんなり受け入れられてしまう始末。私が毎回どんなに完璧に原稿を仕上げたところで腐った性根からまろびでるアドリブでやらかす様なお人柄の方々でしたからまあ、良いところ無しですわ本当に。
「お前も長きに渡り、よく耐え、よく励んでくれた。此度の成功もお前無しでは決して成し得なかったであろう」
「勿体なきお言葉、光栄の限りですわ」
王宮の一室に場を移し、父上と向かい合ってソファに座ります。
「暫くはまだ忙しいだろうが、それが落ち着いたら当初の約束通りお前の望むままに自由を与えよう」
「はい、ありがとうございます」
「それで、だ。その……お前の望みは本当にアレだけで良いのか? もっとこう、我儘を言っても良いのだぞ……?」
望みを告げた時と全く同じ困惑顔で、顎髭の先をくるくると指で弄ぶ父上に私はにっこりと心からの笑みで告げます。
「ええ、望みはそのままに、相違ありません」
「そうか……まあお前がそこまで言うのであれば儂もこれ以上言うまい。ただし! 新たな望みが思い浮かび次第、遠慮なく申すのだぞ? それだけお前は長年よく耐え、よくやってくれたのだ」
他への示しもつかんからなと、少しばかり拗ねた様な顔で言う父上に私はくすぐったい気持ちで「かしこまりました」と返事をするのでした。
◆◇◆
「はあ、はあ……待って〜〜! 先に行かないでくださいませ〜〜!」
よく晴れた行楽日和のある日。
緑の風が吹く穏やかな王領の静養地にて私は休暇を楽しんでいました。
新国王が立ったあと私は離宮の一つに居を移し、新国王らの顧問役を買って出ました。そもそも王族が行うべき政務のその殆どを長年私が担っていたのです。引き継ぎも一朝一夕で済む訳もなし、何より私は仕事が嫌いではありません。共にあの激務の日々を戦い抜いた皆と離れるのも忍びなかったですし、寧ろはい、仕事が好きで楽しいんでしょうね、きっと私は。
かといって出しゃ張り過ぎるつもりは毛頭なく、日々忙殺されるつもりもございません。淡々とミスを指摘し、粗を突っつき、理路整然と理由を付して笑顔で差し戻しをするだけの事。嘗ての王妃様の気持ちがちょっとわかってしまうかもしれないと思うくらいには楽しくやっております。ふふふ! まあ、あれ程の理不尽を強いるつもりはありませんが。
私は私の裁量でのびのびと仕事に励み、休む時はしっかり休む。
そういう訳で今日はその『しっかり休む』為に愛しい彼と共にバカンスに来た訳です。
「もう、私よりもはしゃいでいるのだから……」
長閑な丘陵と遠く湖畔も見渡せる丘の上で、私が息を上げながら小言を漏らせば、お付きの護衛騎士や侍女達が「来て良かったですね」と微笑みを溢す。
「そうね、遠出なんて初めての事だし」
立場上、おいそれと外出する訳にもいかず出られても王都近郊が精々でした。けれど漸く新体制も軌道に乗ってきてトラブルが起きても彼等だけで何とかなるだろうと思えたからこそ、此度の長期休暇を取るに至ったのです。
思えば随分と窮屈な思いをさせていたわねと、物思いに耽っていると。
「ワンッ!」
「きゃっ!」
身体にぼふっとした衝撃が走り、咄嗟に踏ん張ろうとしましたが出来ずにそのまま倒れ込んでしまいます。護衛騎士達が慌てる声が聞こえますが、柔らかな青草がクッションになったのとゆっくり膝を突いてから倒れたので、怪我はないから大丈夫と手で制しました。
「もう、いきなり飛び付くのは良してくださいと何度も言っているでしょう」
めっと顔を厳めつらしく怒ってみせますが対する相手はどこ吹く風。はっはっと楽しくて仕方がないという表情を隠しもせず、つぶらな可愛い瞳で見詰め返されては私も負けてしまいます。「はあ、もう全く貴方は〜〜!」とその薄茶の毛並みを揉みくちゃにすれば目を細めて嬉しそうに『もっと撫でて』と擦り寄ってくるので負けです負け負け。私の全敗でございます。
『──それでは父上、一つお願いがございます。私が自由を得たその暁には、どうか大きな犬を一匹、迎えとうございます』
『犬?』
『はい、出来れば昔、我が家にいた母上の犬と同じ犬種がようございます』
『ああ、あの子か……』
父上に望みを尋ねられたあの日、私が父上に願ったのは大きな犬と暮らす事でした。
大の犬好きだった母上が嫁ぐ時に持参金と共に連れてきたという大型犬は、薄茶の毛並みがふわふわで触り心地も抜群な賢く優しい女の子でした。
母上が亡き後も、まるで母上の代わりの様に私を慈しんで側にいてくれた彼女は幼い私の心の拠り所でした。寂しくて眠れない夜は彼女の柔らかな毛並みに包まれて一緒に眠れば朝までぐっすりでしたし、先生に叱られてこっそり隠れて泣いている時には静かに寄り添って愚痴を聞いてくれたりもしました。お休みの日はふたりで追いかけっこやボール遊びもして、いつだって一緒だったのです。
母であり姉であり友人でもあった彼女。
亡くなるその瞬間だって、行かないでと泣きじゃくる私の涙を最後にひと舐めしてから息を引き取るような優しかった彼女との大切な記憶が溢れ出してしまったら、私はもう一度犬と暮らしたくて堪らなくなってしまいました。
──もう一度あの毛並みに触れてみたい。
──もう一度あの真っ直ぐで邪気のない瞳を向けられたい。
自分でも、彼女の影を求めたのではないかと問われたら、否定は難しいでしょう。
それでも、例え敢えてこき使われてやっていたのだとしても権謀術数渦巻く世界で長く蔑まれ消費されてきた私にとって必要だったのは、ただただ裏表のない無邪気な存在でした。
そうして離宮の中でもお庭が最も広い場所に居を移してから、折を見て約束通り父上が連れて来てくださったのは、彼女とそっくり同じ犬種のまだふわふわでころころした小さな仔犬の男の子でした。
「──まったく貴方は本当にわんぱくなのだから」
束ねた小麦の穂のような尻尾を振りながら侍女から半ば強奪したボールを咥えて彼はキラキラとした瞳でこちら見詰めてきます。
賢く聞き分けの良かった彼女とは違って、この子はとにかくやんちゃでジッとしていられない性分であり、元気いっぱいやらかしては落ち込んでいるような、表情のクルクル変わる子です。一度だけ父上相手に粗相をしてしまい、カーペットの下に頭だけを突っ込んで落ち込んでいた時は父上と二人思わず笑ってしまうくらいでした。
(同じ犬種でも随分と違うものね。でも、人間だってそんなものよね)
彼女の時とは勝手が違って戸惑いが無いと言えば嘘になりますが、それでも彼に悪気がある訳でなし、少しずつ学習して克服した事だって幾つもあります。
新調したてのドレスがボロボロにされても、刺繍糸に絡まって悲壮な声を上げていても、結局許してしまうのは、瞳で、尻尾で、全身で、『大好き』を真っ直ぐぶつけてくれるからに他ならなくて。
「ほら、取っていらっしゃい!」
彼から受け取った真っ白なボールを青空に向かって高く放り投げれば、彼は途端楽しそうに若草を踏みしめながら駆けて行きます。陽の光に照らされて金色の風になって草原を駆け行く姿はあまりにも眩しくて、私は思わず笑みが溢れてしまって。
それからは彼に望まれるままボール遊びをして、侍女達が用意した敷物の上でランチをして、また望まれるまま遊んで(途中さすがに侍女や護衛騎士に替わってもらって)、別荘に帰る頃にはすっかりくたくたになってしまいました。
「私をこんなに振り回すなんて……ふふふっ、今となっては貴方くらいよ」
ソファに座る私の側に寄り添ってスヤスヤ夢の世界に浸っている彼の柔らかな毛並みを撫でながら私はそんな事を嘯きます。
──嘗ての私は、都合の良い婚約者。
──今の私は、都合の良い飼い主、かしらね?
なんてそんな事を考えて私は、穏やかで優しいひと時を十分満喫するのでした。
(しかし明日、全身筋肉痛にならなければ良いのだけれど……)
仕事丸投げって、乗っ取り易そうだなぁとつい思ってしまって出来ました。
因みに主人公が全身筋肉痛から逃れる事は……出来なかったよね。




