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懐かしのクラスメイトたち(3)「女庭師、美香」  作者: 石原裕


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第10話 「俺たち、結婚しないか」

「いらっしゃいませ」

色は浅葱に白地で抜いた零れ松葉の暖簾を掻き分けて店内へ入った美香を、縞のお召しに西陣帯を締めた粋な女将さんが、徳利片手に愛嬌を振りまいて、明るく迎えてくれた。

此処は後藤に指定された待ち合わせのおでん屋である。

「一寸、相談が有るんだが、明日の夜、都合つかないか?」

美香はそう言って後藤に電話で呼び出された。

店はかなり混んでいた。きっと常連客が多いのだろう。

カウンターの奥の隅で、後藤が片手を挙げた。

「ごめん、ごめん、遅くなっちゃって」

「おう」

美香が後藤の隣の止まり木に腰かけて、二人は早速に酒とおでんを注文し、先ずビールで乾杯をして、飲み始めた。

「お前は口が肥えているから、何処にしようか迷ったんだが、こういう店も偶には良いだろうと思って、此処に決めたんだ。どうだ、なかなか良い店だろう」

「此処はあなた、常連なの?」

「ああ、よく来ることは来るな、高田等と、な」

暫く二人は互いの仕事の状況や顧客のこと、世間話などをしながら酒とおでんを愉しんだ。

「で、何なの、相談事って?困り事でも有るの?」

「別に困り事じゃないんだが・・・」

そう前置きして後藤が話し出した。

「うちのお客さんに、ニュージーランドの会社の日本支社長宅が有るんだが、お前も一、二度会って知っているだろう?」

「ええ。ロイド眼鏡をかけた丸顔の大柄な外人さん。笑われると両頬に笑窪が出来て、柄に似合わずとても可愛い顔になられた、あの方ね」

「そうだ、そうだ。その人が五年間の日本勤務を終えて近々本国へ帰られるんだ」

「へえ~、それで?」

「ところが、その支社長が日本庭園の魅力に惹りつかれちゃってな。ニュージーランドへ帰ったら自宅に日本庭園を造りたいと仰っているんだ。どうだ?お前、やってあげてくれないか?」

「えっ、わたしが?外国で日本庭園を造るなんて夢のような話だけど、でも、わたしみたいな未熟な腕で大丈夫なの?」

「無論、俺も一緒にやるが、うちは今、当分手一杯で、な。メインはお前の方でやって欲しいんだ。お前の店にも箔がつくしな」

「あなたが一緒にやってくれるなら、それは是非やらせて頂きたいわ」

美香は、独り立ちしてから既に一年も経とうというのに、折に触れて何かと気遣ってくれる後藤の思い遣りが嬉しくもあり有難くもあった。

 美香は、庭師の仕事を始めてから、この世の人の縁というものを強く思うようになった。四年前に庭師になることを強く勧めてくれた後藤を始め、美香に庭師の技能を手解きしてくれた後藤造園の職人達、マンションのベランダでバラの植え替えをさせてくれてコロコロと笑った明るい女性、ナンテンの生垣を造りお百度参りの道を市松模様で造った寺の老師、市の有形文化財に指定されている庭のある大きな屋敷の上品な老婦人等々、多くの人に出逢い支えられて新規の顧客が出来、新たな仕事が増えて行った。美香はこの世の縁の糸が強く繋がっているように思えてならなかった。思えば昔からそうだった。特に、学校時代の後藤や友人たちに支えられて今日まで生きて来た。決して自分ひとりの力で今日までやって来た訳ではない。それは多くの人々の支援と力添えがあってこそ可能だったのだ。美香の胸に感謝の思いが沸々と湧いていた。

「支社長と会う日取りと時間はまた連絡するからな、宜しく頼むぞ」

 

 打ち合わせ場所に指定されたのは、繁華街のメインストリートにある喫茶店だった。訪ねる時刻は昼休みの十二時三十分だと言う。公私を峻別するのは仕事が出来るビジネスマンの掟だ、と後藤から教えられた。

浅葱色の作業衣の上下と同色の帽子に白いズック靴といういでたちで店に入って行った美香を、目敏く見つけた日本支社長が立ち上がって右手を差し出した。甲に黒い毛の生えたその大きな手を美香は両掌で握り返した。

彼の日本語は流暢だった。

「あなたのことは後藤さんから粗方は聞きました。あなたならお任せしても大丈夫だと思いました。あなたが私の自宅の庭を造って下さるのは真実に嬉しい限りです。ニュージーランドは遠くて大変ですし、旅費も掛かりますが、あなたに損をかけるようなことはしません。存分に腕を振るって下さい」

 然し、話を聞いて美香は吃驚した。

広さが三百坪もあってとても直ぐには完成出来るものではない。造園についても支社長は博識であった。隅に少し背の高い植物を植えて庭の端が見えなくすることで、実際よりも奥行きが在るように見せる日本式の技法を用いることや、植える植物はニュージーランドの物を使って自国の人にとっても馴染みの深い庭にし、普段の手入れも少しでもやり易くして欲しい、要は、日本とニュージーランドの良さを組み合わせたガーデンが出来れば嬉しい、ということであった。

これはなかなか難しい仕事だな、と思った美香は、受注先は(有)後藤造園で自分はその下働きでやらせて頂きたい、と有態に申し出た。相手に特段の異論は無かった。が、彼は一言だけ注文をつけた。

「但し、現場の責任者はあなたがやって下さいね」

「有難うございます。そうまで言って頂いて大変光栄です」

美香は現場視察と打ち合せに訪れる時期を大まかに決めて話を終えた。

報告を聞いた後藤が心から喜んでくれた。


 美香は仕事があまり忙しくない八月を選んでニュージーランドへ出向くことにした。

後藤が空港まで車で送ってくれた。二人は出発便の時間が来るまでロビーの喫茶ルームで暫しの休憩を取った。

「こんな所で何なんだが、ニュージーランドの仕事が一段落したら、俺たち、結婚しないか」

突然の出し抜けの後藤の言葉に美香は自分の耳を疑った。彼が何を言っているのか良く解らなかった。

「えっ?」

「だから、俺たち、結婚しようや、な」

「何言っているのよ、あなた。私は十年以上もの間、水商売の世界にどっぷりと足を突っ込んで来た女よ。こんなすれ枯らしを嫁にしたら、世間様から白い眼で見られて、後ろ指を差されるわよ。馬鹿なことを言わないで!」

「美香は、すれ枯らしなんかじゃないよ!子供の頃から母親の看病をし、家の用事をし、弟の面倒をよく見て来た優しい奴だよ。それは俺が一番よく知っているよ」

後藤が続けて言った

「お前はもう庭師と言う堅気の人間だ。世間に遠慮は要らないよ」

「あなたの店の信用にも傷がつくし商売にも影響するわよ。冗談は止めてよ」

「仕事は実績と腕とセンスだよ。それが信用ってもんだ」

「あなたのお母さんだって反対されるに決まっているわよ」

「おふくろにはお前のことは粗方話してあるよ。学校時代からの友達ならお互いに気心が良く解り合っているから良いじゃないの、って賛成してくれているよ」

美香は全く予期しなかった後藤の言葉を初めは冗談半分に微笑いながら聞き流していたが、今までに無い後藤の真剣な眼差しと懸命な物言いに、次第に温かいものが胸の中に込み上げて来た。

美香もまた顔から笑いを消して凝っと後藤の眼を見詰めた。

「俺じゃ駄目か?」

「ううん、駄目じゃないけど・・・」

「なら、良いじゃないか、な」

「真実にわたしなんかで良いの?」

「ああ、お前じゃなきゃ駄目なんだ。俺は昔からずうっとお前のことが好きだったんだ!」

 美香は胸が一杯になって感極まった。じっと見つめた美香の眼から見る間に大粒の涙が滴り落ちた。美香は胸の思いをどう表現して良いか解らなかった。もう何も言葉にならなかった。

「お前がニュージーランドから戻ったら、おふくろにきちんと引き合わせて、それから結婚式の日取りを決めよう、な」

美香の涙は止め処無く流れた。水商売に入ってから今日まで、幾度もの悔し涙は溢したものの嬉し涙を流すことは無かった。もう何年間か一度も流さなかった嬉し涙が堰を切って溢れ出たようだった。

丁度その時、出発便の搭乗を促すアナウンスが流れた。

後藤がレジで勘定を済ませ、美香は忙しく涙を拭って化粧を直し搭乗ゲートへと急いだ。

「じゃ、行って来るわね」

「ああ、十分気をつけて、な」

ゲートインして機体の搭乗口へ向かった美香は、通路の途中で振り返り後藤の方へ大きく片手を挙げた。その笑顔は明るく輝いていた。

美香の後姿が通路から消え去るのを見送った後藤は「よし!」と一声発して空港玄関の方へと踵を返した。後藤の顔もまた溢れるほどの笑みで一杯だった。


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