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「黒猫」というカフェには、この世のものではない“待ち続ける彼女”がいる

作者: 影野 紡
掲載日:2026/04/27

カフェ「黒猫」があなたを不思議な世界へ誘います。


「黒猫」という小さなカフェには、時々この世のものではない客がやって来る。

そして――その客たちは、決して一つの物語では終わらない。


これは、僕がそこで出会った、ひとつの“続いてしまった”物語だ。


雨が止まない午後、私は小さなカフェの扉を押した。

木製の看板には、「黒猫」と書かれている。


店内は薄暗く、壁には古い絵画やアンティークの時計が並んでいた。

微かに漂うコーヒーの香りと、時折木製の椅子がきしむ音だけが、空間を満たしている。


ドアを開けて入ると、黒いコートに長い髪の女が一人、アンティーク調のカウンターでブランデー入りのコーヒーを飲んでいた。

彼女は私に気づくこともなく、カップの縁に口を寄せるその横顔は、静かで、しかしどこか冷たい光を放っていた。


私はカウンターに座り、黒いコートの女を見ながら言った。


「マスター、彼女と同じものを。」


マスターは少し驚いたような顔をした。


「え? 誰もいませんよ。」


「さっきからそこで、ブランデー入りのコーヒーを飲んでいるじゃないですか。」


マスターは首をかしげた。


「うちはブランデー入りコーヒーなんて出していませんよ。」


言われて振り返ると、そこには誰もいなかった。


ブランデーの香りが漂うその周囲だけ、空気がほんの少し濃密に感じられた。

カウンターのアンティークの時計の秒針が、まるで彼女の存在を刻むかのように、淡々と音を立てている。


カップのコーヒーを口に含むと、甘くほろ苦い香りの奥に、鉄のようなかすかな匂いが混じっていることに気づいた。


視線を窓の外に移すと、雨に濡れた街路に黒猫がひょこり現れたような気がした。

しかし振り返ると、誰もいない。


しばらくして、私は立ち上がり、そっとカフェを後にした。


外の雨は少し強くなった気がする。

振り返ると、店の窓には人影はない。

ただ、アンティークの時計だけが静かに時を刻んでいた。


さっき確かに黒いコートの女が座っていた。

あれは本当に幻だったのか。


「雨、止まないですね」


声のした方を見て、思わず息を止めた。

黒いコートの女がそこに立っている。


長い黒髪から雨が滴り落ち、微かに光を反射していた。

思わず持っていた傘を差し出す。


「ずいぶん濡れましたね。大丈夫ですか」


女は真っ赤な口紅でわずかに微笑んだ。


「大丈夫ですよ。もう慣れたので」


「よかったら駅まで一緒に行きましょう」


「いいえ、人を待っているので、もう少しここにいます」


彼女はそう言い、カフェの軒下に佇んだ。


なぜか得体の知れない寒気が胸を走り、身震いをしながら私はその場を離れた。


また同じカフェを訪れる機会があり、私はマスターに先日のことを話した。

マスターは顔色ひとつ変えず、淡々と答えた。


「ああ、あなたも彼女に会ったんですね。


実は彼女、ここで彼氏に別れ話を切り出されて、去っていく彼を追いかけたんです。

ドアを開けて走り出した途端、ちょうど走ってきた車に轢かれて亡くなった。

その日も冷たい雨が降っていました。


それから、別れた彼氏に似た人が訪れると、彼女も会いに来るみたいですよ」


頭から氷を浴びせられたように、身体が冷たくなった。

こんなことを淡々と話すマスターも、どうかと思う。


(もう二度とここに来ることはないだろう)


そう思いながらカフェのドアを開けた。


外はさらに冷たい雨が降り始めていた。

コートの襟を立て、ふとカフェの方を振り返ると、黒いコートの長い髪の女が、雨に濡れた髪を揺らしながら、真っ赤な唇で微かに微笑んでいた。


――あれから数日が経ったが、あの女のことを、忘れることができなかった。


怖いという気持ちと好奇心が胸の中で交差する。

そして結局、好奇心の方が勝ってしまい、僕はまたここへ来てしまった。


ドア越しに店の中を覗く。


――いた。


以前に見た時とまったく同じ姿だ。

黒いコートに長い黒髪、真っ赤な口紅。

静かにコーヒーを飲んでいる。


恐怖なのか、会えた嬉しさなのか。

妙に胸が騒ぐ。


意を決して店の中に入る。

僕はあえて彼女の隣の席に座った。


マスターが少し驚いたような顔をして会釈する。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


「この人と同じものを」


そう言って、僕は彼女の方を見た。


マスターは不思議そうな顔をした。


「え……どなたもいらっしゃいませんが」


やはりマスターにはこの女が見えないらしい。


「ほら、この前マスターが話してくれたでしょう。彼女がここにいるんですよ」


「そうなんですか。私には何も見えませんが」


マスターは驚いた様子もなくそう言った。


僕は彼女に向き直った。


「マスターの話を聞いて、もう二度と来ないと思ったんだけど……なんだか気になって。また会いに来たよ」


女は誰もいないかのように、ただ黙ってコーヒーを飲んでいる。


思い切って彼女に聞いてみた。


「君はいつまで彼氏を待っているの?」


女はゆっくりとこちらを振り向いた。


「彼が会いに来てくれるまで、私はここにいる」


そう言うと、また一口コーヒーを飲んだ。


「彼はどこに住んでるの? 会いに行くことはできないの?」


女は俯き、悲しそうに答えた。


「ここを離れることはできないの……

ただ待つしか……」


僕は彼女が不憫に思えてきた。

なんとかして彼氏に会わせてあげたいと思ってしまった。


彼女に教えてもらった住所を頼りに、その家を訪ねた。


古びた一軒家だった。

チャイムを鳴らすと、白髪混じりの女性が出てきた。


事情を話すと、女性は静かに僕を家の中へ通した。


案内された先には、小さな仏壇があった。

そこに飾られていた写真を見て、息を呑む。


――僕によく似た男性だった。


「あの子、胃がんだったんです。

見つかった時にはもう手遅れで……一年前に亡くなりました」


さらに女性は言った。


「好きな子がいたみたいなんです。でも、その子に辛い思いをさせたくないからって、何も言わずに別れたらしくて……」


僕はすべてを話した。


女性は静かに頷き、言った。


「わかりました。私が会いに行きます」


写真を大切に抱え、僕たちはカフェ「黒猫」へ向かった。


店に着くと、彼女は軒下で空を見上げていた。

霧雨が彼女の黒髪を濡らしている。


女性は彼女に向かって話しかけた。


「ここに...いるのね...。あなたの大切な人を連れてきたわ」


写真を取り出した瞬間――

彼女の目が輝いた。


「あなた……!」


触れられないはずの手で、何度も写真を撫でる。


気がつくと雨は止み、光が差していた。


黒いコートは淡いピンクのドレスへと変わり、

その隣には、彼が立っていた。


彼は優しく微笑んでいる。


「嬉しい……やっと来てくれた」


彼女は彼に抱きついた。


二人は手を取り合い、虹の向こうへと歩いていく。


その姿は、やがて静かに消えていった。


もう、彼女がここで待ち続けることはないだろう。


ここは――

マスターさえ知らない、パラレルワールドの入口だった。


そしてきっと今日も、

誰かの「終わらなかった想い」が、この扉をくぐる。


次にその席に座るのは、

もしかしたら――あなたかもしれない。

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