第1話:落ちる星、消える命
星は、嘘をつかない。
たとえ地上で誰が裏切り、誰が殺され、誰が偽りの涙を流そうとも、天にある火球の運行は一寸の狂いもなく、ただ冷徹に数理の法に従っている。
「……十七、十八、十九。西の空、『昴』が予定よりわずかに早く霞んだ。湿度は六分、風向きは艮……。今夜、雨は降らないわね」
内廷の片隅。朱塗りの高殿の縁側に座り、朱鷺は細い指で夜空をなぞった。
十六歳。巫女装束に身を包んでいるが、彼女が手にしているのは神に捧げる鈴ではなく、黒ずんだ竹の棒――「算木」である。
「朱鷺様、またそんな奇妙な棒を弄んで……。早くお休みください。明日は大王の最愛の妃、氷柱様が主催される『星鎮めの儀』があるのですから」
教育係の女官、耳代が溜息をつきながら羽織をかけてくる。朱鷺はそれを素気なく受け取り、夜の闇に視線を戻した。
「耳代。明日、あの妃は死ぬわよ」
「なっ……! め、滅多なことをおっしゃるものではありません!」
耳代が慌てて周囲を見回す。だが、朱鷺の瞳は真剣だった。
朱鷺の脳内には、宮廷に運び込まれる物資の量、妃の顔色の変化、そして今夜の異常なほど甘い「香」の匂い――それらすべてが数値として入力され、一つの解を導き出していた。
「神の予言じゃない。ただの計算よ。……ほら、始まった」
その瞬間。
静寂に包まれていたはずの后宮から、裂けるような悲鳴が上がった。
「祟りだ! 氷柱様が、氷柱様が血を吐いて倒れられたぞ!」
「鬼だ! 闇の中に、角のある鬼が見えた!」
駆け出す衛士たちの足音。パニックに陥る女官たち。
しかし、朱鷺は動かない。ただ、計算を続ける。
混乱する群衆を割って、一人の男が朱鷺の前に現れた。
漆黒の甲冑を纏い、背には異国風の長剣。切れ長の瞳に、どこか獣のような鋭さを宿した青年――迦楼羅だ。
「……巫女殿。あんた、さっき『死ぬ』と言ったな」
迦楼羅の低い声が朱鷺の鼓動をわずかに速める。彼は渡来人の血を引くがゆえに宮廷で疎まれながらも、その圧倒的な武力で「大王の猟犬」と呼ばれる男だ。
「計算が合っただけよ」
「ほう。なら、あの妃を殺した『鬼』の正体も、あんたのその棒切れで計算できるのか?」
朱鷺は立ち上がり、装束の裾を払った。
彼女の視線の先では、倒れた妃の側で、神官たちが「祟りだ」と祈祷を始めている。滑稽だった。真実を見ようともせず、目に見えない恐怖に縋る大人たちが。
「鬼なんていないわ。そこにいるのは、数字を間違えた愚か者だけ」
朱鷺は算木をパチンと鳴らし、迦楼羅を見上げた。
「案内して。神様がつくった『嘘』を、私が解体してあげるから」
これが、のちに「大和の理」と呼ばれた少女と、孤独な鬼の武官が歩む、長き物語の始まりだった。




