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朝の光の中で、コウタは意外なほどあっさりと告げた。


「……もういい。この一週間を耐え抜いたなら、身体の基礎はできた。あとはお前が好きにしろ。帰りたければ、帰れ」


その言葉は、ティナにとって地獄からの恩赦だった。

彼女は腫れ上がった顔を歪め、縋り付くようにして実家へと逃げ帰った。


数時間後、ティナは自分の部屋のふかふかのベッドに寝転んでいた。

エアコンの効いた部屋、使い慣れたスマホ、そして母が用意してくれた豪華な食事。


「……うぅ、酷い目に遭った。あんなの教育じゃない、ただの虐待だよ!」


ティナは口いっぱいにケーキを放り込みながら、泣きついてきた両親を逆になじり始めた。


「お父さんもお母さんも、あんな狂った男に私を預けるなんて信じられない! 私の人生、めちゃくちゃにされたんだからね!」


かつての自堕落な、責任転嫁に満ちたニートの顔が、わずか数時間で完全に復元されていた。

両親が申し訳なさそうに頭を下げるのを見て、ティナは確信した。

これでいい。あの地獄は終わった。

これからはまた、こうして誰かのせいにしながら、ぬるま湯の中で生きていける。


そう思った瞬間。

ギギ……と、天井の点検口が不自然に開いた。


「……やはりな」


冷徹な、鼓膜を直接削り取るような声。

天井から音もなく舞い降りたのは、数時間前に別れたはずの、黒いジャージ姿のコウタだった。


「ひっ……!? な、なんで……なんでここに!」


ティナは持っていたフォークを落とし、腰を抜かして床を這いずる。

コウタは散らかった食べカスと、醜く歪んだティナの顔を、ゴミを見るような目で見下ろした。


「一時間も持たんか。選択を与えれば、真っ先に元のドブ川へ飛び込む。それがお前の本性だということだ、ティナ」


コウタは怯える両親を片手で制し、ゆっくりとティナの首元へ手を伸ばした。


「安心しろ。お前の選んだ『甘え』という逃げ道は、今この瞬間、俺がすべて物理的に封鎖してやる」


コウタの影が、絶望となって部屋全体を飲み込んでいった。


ジムの静寂の中に、肉体が大地を叩く重苦しい音だけが響いていた。

実家から引きずり戻されたティナは、リングの上で膝をつき、肩で激しく息を乱している。


「……何も言えんか。言葉を失うほど、あの実家の温もりは心地よかったか」


コウタは冷徹に、だがどこか突き放すような声で告げた。


「よろしい。ならば、まずはこれまでの『復習』からだ。身体が覚えているものを、もう一度精神に叩き込め」


かつてティナを絶望させた、あの初期メニュー。

延々と続くバーピージャンプ、一トンの重りを用いた引きずり、そして休みのないサンドバッグ打ち。

今のティナの肉体にとって、それらは以前ほど不可能ではない。

基礎体力は、コウタの暴力によって既に人外の域へと押し上げられていたからだ。

だが、一度「甘え」を知った精神が、重り以上に彼女の足を引っ張る。


「……う……ぁ……っ」


十セット、二十セット。

回数を重ねるごとに、実家で食べたケーキの甘い脂が、胃の奥から酸味を帯びて逆流してくる。


「動きが鈍い。身体は動きたがっているのに、お前の脳がそれを拒絶しているぞ」


コウタは容赦なく、竹刀で床を叩いてリズムを刻む。


「なぜ実家へ帰った? なぜ両親をなじった? 言葉で説明できないなら、その筋肉で証明しろ。お前が何者で、これからどこへ向かいたいのかをな!」


ティナの視界が、汗と涙で歪む。

以前と同じメニュー。

しかし、以前とは決定的に違う。

今は「逃げ道」を知ってしまった後の、再教育。

一歩動くたびに、肉体が悲鳴を上げる。

だがそれ以上に、何も答えられない自分の無力さが、ティナの心を黒い絶望で塗りつぶしていく。


「……はぁっ……はぁっ……私は……っ」


絞り出そうとした言葉は、過呼吸気味の吐息にかき消された。

コウタは無言で、さらに重いプレートをティナの背に積み上げた。


かつての地獄をなぞることで、ティナは自分の「成長」と、それに見合わない「精神の脆さ」を同時に突きつけられている。


肉体の限界を超えたティナの前に、コウタは一冊の古びた教本を叩きつけた。


「……読め。腹の底から、魂を削り出すような声で音読しろ。これはお前を人間に戻すための呪文だ」


そこには、コウタが信奉する「自立と責任」に関する苛烈な理念が書き連ねられていた。


「……『人は、選択することによってのみ、獣と一線を画す……選ばぬ者は……家畜なり』……っ」


喉が焼け、肺が潰れそうな酸欠状態。

ティナの声は、ひび割れた笛のように弱々しくジムの床に落ちた。


「声が小さい! そんな蚊の鳴くような声で、誰を納得させるつもりだ! お前の人生をお前自身に認めさせろ!」


コウタの怒号が、物理的な衝撃となってティナの鼓膜を震わせる。


「『責任とは、他者への言い訳ではない……自己への、絶対的な……宣告なり』……っ! あ、あぁ……っ!」


一文を読むごとに、先ほどまで実家で両親に浴びせていた「甘えの言葉」が、猛毒となって自分を蝕んでいくのを感じる。

言葉が、鋭い刃となって彼女の精神の贅肉を削ぎ落としていく。


「続けろ! 涙を拭うな! その涙も、お前の弱さが流す排泄物だ。すべて吐き出し、空っぽになった胃壁にその理念を刻み込め!」


「『私は……っ、私は、何者にも依存せず、ただ一人の人間として……この地獄に、立つことを……選ぶ!』……あがぁっ……ぁぁぁぁ!」


最後の一節を絶叫した瞬間、ティナの喉から血の混じった飛沫が飛んだ。

鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、彼女は床に這いつくばる。

それは、自分の「醜悪な本性」を自らの声で否定させられるという、肉体の拷問以上の精神的蹂躙だった。


声出し訓練により、ティナの脳内にはコウタの理念が「自分の声」として刷り込まれた。

肉体は鋼となり、精神はコウタの思想という骨格を得て、彼女はようやく——人間へと生まれ変わろうとしていた。

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