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ドォォォォォンッ!!
崩落する石切り場、その中心で。
二人の拳が、互いの頬を同時に捉えた。
理屈も、技術も、もはやそこにはなかった。
ライカの「執念」と、ティナの「不屈」。
二つの巨大なエネルギーが、接点となった拳から互いの脳へと直接流れ込み、火花を散らす。
「……あ」
静寂。
崩れ落ちる岩石の轟音さえ、遠のいていく。
二人の肉体は、完全に限界を迎えていた。
糸が切れた人形のように、ライカとティナの体が同時に、ゆっくりと地面へ向かって崩れ落ちた。
ドサッ、と土煙を上げて重なる二つの影。
ダブルノックアウト。
d-tubeの視聴者数、そしてスパチャの総額が臨界点を超え、全世界がその沈黙に息を呑んだ。
「……おい。……起きろ、バカども」
瓦礫を掻き分け、歩み寄る足音があった。
コウタだ。
彼は全身を砂埃で白く染めながら、大の字で倒れている二人の間に立ち、タバコの煙を空へ吐き出した。
「……ハァッ、……ハァッ……。……コウタ、さん」
「……ライカさん、……生きてる?」
二人が同時に、重い瞼を開く。
そこには、崩落した天井の隙間から、どこまでも澄み渡った群青色の夜空が広がっていた。
冷たい夜風が、火照りきった彼女たちの肉体を優しく撫でる。
「……負けた、かな……私」
「……私も。……完璧に、同じだった」
二人は、泥だらけの手を、どちらからともなく探り合った。
そして、固く、固く握りしめる。
勝敗を超え、理不尽を超え、同じ地獄を潜り抜けた者同士にしか分からない、究極の達成感がそこにはあった。
「……フン。二人揃って負け犬か。……最高の負け犬だな」
コウタが、ぶっきらぼうにそう言った。
その顔には、かつてないほど穏やかで、誇らしげな笑みが浮かんでいる。
支配も、依存も、もうここにはない。
ただ、夜空を見上げる師匠と、手を取り合う二人の愛弟子の姿だけがあった。
「……お腹、空いたね。ティナさん」
「……うん。お母さんの煮物と、あのニンニク肉……一緒に食べたい」
崩れ去った石切り場で、二人の少女は笑っていた。
それは、世界で最も過酷な特訓の果てに掴み取った、最も美しく、最も「人間らしい」大団円だった。
「……おい、ふざけんな!! 試合はどうした、試合はッ!!」
シオンの絶叫が、瓦礫の山となった放送席から虚しく響き渡った。
d-tubeの画面には、粉塵が舞い、完全に崩落して「ただの崖下」に戻った石切り場の無残な姿が映し出されている。
億単位のスパチャを投じた全世界の視聴者も、言葉を失っていた。
リングもなければ、判定を下すレフェリーもいない。
最新鋭の観測機器もすべて瓦礫の下に埋まり、公式記録は「会場消滅につき測定不能」という前代未聞の結末を迎えていた。
「……試合? そんなもん、とっくに終わっただろうが」
砂煙の中から、コウタが平然とした顔で現れた。
彼は自分の頭に乗った小石を払い落とし、瓦礫の山にドカッと腰を下ろすと、懐からひしゃげたタッパーを取り出した。
「……ハァッ、……ハァッ……。コウタさん、肉……肉、ください……」
「私も、……もう一歩も、動けません……」
瓦礫の隙間から、這い出してきた二人の少女。
ティナもライカも、全身ボロボロで、もはや格闘家としての威厳など欠片もない。
あるのは、限界まで出し切り、全てを壊し尽くした後の、清々しいまでの「空腹」だけだった。
「……ったく。会場をぶっ壊すほどのクソ馬鹿に食わせる肉はねえ……と言いたいところだが」
コウタはニヤリと笑い、タッパーを二人の間に放り投げた。
中身は、あのニンニクの異臭を放つ塊肉と、崩落の衝撃でぐちゃぐちゃになった煮物だ。
「……食え。……自分たちの力で、地獄を更地にしたご褒美だ」
二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
そして、泥だらけの手で、ぐちゃぐちゃになった「最強の飯」をガツガツと奪い合い、笑いながら頬張り始める。
公式な勝者など、ここにはいない。
あるのは、会場を跡形もなく破壊し、師匠を呆れさせ、そして腹一杯に飯を食う、世界で一番強い二人の「人間」の姿だけ。
「……ったく。あいつら、俺の最高傑作だわ」
コウタは、煙草を燻らせながら、更地になった石切り場を見上げた。
画面の向こうでシオンが「損害賠償どうすんのよーッ!」と泣き喚いているが、そんなことは知ったことではない。
地獄を壊し、腹を満たす。
それ以上に正しい結末など、この世には存在しないのだから。
「……ったく、どいつもこいつも食い意地ばっかり張りやがって!」
更地になった石切り場に、コウタの怒号が響き渡る。
だが、その手には鉄パイプではなく、工事現場から強引に持ってきたドデカい「鉄板」が握られていた。
コウタはドラム缶を三つ並べ、その中に特訓用の余った火薬を無造作にぶち込む。
「……仕上げだ。伏せろッ!!」
ドォォォォォンッ!!
凄まじい爆発と共に、ドラム缶が巨大なコンロへと変貌した。
爆風の熱で一瞬にして熱せられた鉄板の上に、コウタは牛一頭分はあろうかという塊肉をドカドカと叩きつけていく。
「……うわぁ、すごい……! これこそ、地獄のバーベキューだね!」
ティナが目を輝かせ、母親特製の「煮物の大鍋」を抱えて駆け寄る。
ライカも負けじと、ニンニクをバケツ一杯分抱え、慣れた手つきで肉の上にぶちまけていった。
「コウタさん! この火加減、最高です! 肉が『戦え』って言ってます!」
「当たり前だ! 火薬の熱を直に吸った肉だ、食えば腹の中から爆発するぞッ!」
瓦礫の隙間に腰を下ろし、師弟三人とティナの家族、そして半泣きで計算機を叩くシオンまでが、一つの鉄板を囲む。
高級スタジアムの照明よりも明るい、爆破の余韻の火柱。
火薬の臭いと、焦げた肉の脂、そしてニンニクの香りが、夜の石切り場を支配した。
「……よし、食えッ! 奪い合えッ! 生き残ったもん勝ちだ!!」
コウタの号令で、全員の箸(あるいは素手)が、猛烈な勢いで肉へと伸びる。
ティナが肉を掴めば、ライカがそれを奪い、コウタがその二人からまとめて肉を掠め取っていく。
「あはは! 美味しい! ……コウタさん、私、やっぱりこの味が一番好き!」
「……フン、当たり前だ。俺が仕込んだんだからな」
爆炎に照らされたコウタの顔は、かつてないほど野蛮で、そして優しかった。
会場は壊れ、記録も消えた。
だが、ここには最強の絆と、腹一杯の飯がある。
夜空には、爆破の煙が星を隠すように広がっている。
地獄を笑い飛ばし、肉を食らう。
そんな理不尽で温かい、世界一騒がしいバーベキューの火は、夜明けまで消えることはなかった。




