表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/42

27


(……加速。……120%。……解析限界を、突破……!)

 

「ハァッ!!」

 

リリの右、最短のストレート。

 

(……見えない。……でも、……そこに『ある』……!)

「シィィッ!!」

 

ティナの脳内に焼き付いた残像。

数式が弾け飛んだ空白に、シオンと学んだ「骨の道筋」だけが浮かび上がる。

避けない。

最小の動きで拳を逸らし、リリの顎へ、下から掌底を突き上げる。

 

「……ガッ、……ハッ!!」

 

脳を揺らす衝撃。

だが、リリの瞳の光は、一秒たりとも曇らない。

 

「……まだまだぁッ!!」

「……ハァッ!!」

 

顎を跳ね上げられた姿勢のまま、リリが強引に首を振り、至近距離から肘を叩き込む。

ティナの眉間が割れ、鮮血が舞った。

 

(……痛い。……でも、……心地いい……!)

「フッ! ハッ! セイッ! オラァッ!!」

リリの連撃が加速する。

 

一発、二発、三発——。

(……この連打は止まらない。……絶対に止まらないッ!)

「セイッ! ハッ! フッ! シャァッ!!」

四発目、五発目。

 

リリの心拍数は限界値を超えているはずだった。

だが、彼女の拳に、疲労の影は微塵もない。

 

(……私の『スタミナ』は、………! 朝から晩まで、吐くほど走り込んだ。……酸素効率を極限まで高めるために、呼吸法を何千回も反復した。……栄養学、生理学、すべてを学び尽くして、この肉体を作り上げた……!)

 

「トォッ! セイヤァッ! ハッ! フゥッ!!」

 

六発目、七発目、八発目——。

ティナのガードが徐々に沈み始める。

 

(……ティナ、あなたがどれだけ地獄を見てきたのか、私にはわからない。……でも、私だって……! たった一度も手を抜かなかった! 雨の日も、風の日も、体調が悪い日も……! 走って、打って、測定して、改善して……!)

 

「オラァッ! シィッ! ハァッ! セイヤァッ!!」

九発目、十発目、十一発目——。

リリの拳が、もはや光の束となってティナを包囲する。

 

(……この連撃は、『証明』なのよ……! どっちが上かなんて関係ない……! 私は……私のやり方で……高みに来た!!)

 

「ハッ! シッ! フッ! ドォォォッ!!」

 

十二発目、十三発目、そして——。

「……シィッ!!」

 

ティナが、その光の束の隙間を縫うように、一撃のカウンターをねじ込む。

リリの頬が跳ね上がった。

 

(……ッ! ……やっぱり、……あなたは……!)

 

だが、リリは止まらない。

  

むしろ、その衝撃が彼女の闘志をさらに加速させた。

 

「……私の連撃は……鳴り止むことなんて、絶対にないッ!! 死ぬほどやった練習が……この私の、無限のスタミナなんだからァッ!!」

 

リリの絶叫。

それは自分自身への、そしてティナへの宣戦布告。

 

(……リリ。……あなたの拳、……重くなったわね。……科学の殻が、……剥がれてきてる……!)


(……ティナ。……あなたの目、……もう何も見てない。……なのに、……どうして私の急所ばかり、……吸い込まれるの……!)


「トォォォォッ!!」


「……シャァァァッ!!」


二人の咆哮が重なり、衝撃音が連続してリングを震わせる。

一人が打てば、一人が返す。

一人が崩れれば、一人が無理やり引き戻す。

それはもはや技術の競い合いではなく、どちらの「存在」が先に折れるかを問う、原始的な魂の削り合いだった。


(……脳が、……溶ける。……でも、……止まらない。……この『地獄』が、……最高に、……楽しい……!)


(……シオンさん。……私、……今、……最高に……)


脳内の数式が、リリの拳が弾けるたびに、火花を散らして消えていく。

視界は真っ赤に染まり、耳の奥では、自らの心臓がドラムのように激しく打ち鳴らされていた。


「……ハッ! ……ハァッ!! ……シィィッ!!」


打って、打たれて。

骨が軋む音さえ、心地よいリズムに聞こえる。

ティナの意識は、もはやリングの上にはなかった。

そこにあるのは、シオンと二人、ノートを広げて「地獄」を読み解いた、あの静かな部屋の熱量だけだ。


(……ああ。……シオンさん。……私、……わかったよ。……あなたが、……私に何を、……託したかったのか……)


セコンドの椅子に、幽霊のように深く沈み込んでいたシオンが、震える手で膝を叩いた。

視界が、滲んでいる。

自分が作り上げた「最高傑作」が、今、自分さえも到達できなかった高みで、一人の少女と魂を削り合っている。


「……ティナ。……あんた、……なんて……」


シオンの頬を、熱いものが伝い落ちた。

かつて「怪物」と呼ばれ、孤独の中で己を削り続けていたシオン。

旅から戻り、ボロボロになりながらティナに「猛毒」を詰め込んだ日々。

その全てが、今、ティナの放つ一撃一撃の中に、眩しいほどの輝きとなって結実していた。


(……私が、……あんたを、……地獄へ引きずり込んだのに。……あんたは、……そこで……。……なんて、……綺麗な、……顔をして……)


シオンは、声にならない嗚咽を漏らした。

それは後悔ではない。

自分の「命」という名の松明を、ティナという新しい炎に完全に受け渡した者だけが味わう、至福の喪失感。


「……いけッ! ……ティナァッ!! ……全部、……焼き切ってしまいなさいッ!!」


シオンの、魂を振り絞るような絶叫が、静まり返った会場に響き渡った。

その瞬間、ティナの脳内で、最後の一つの数式が弾け飛ぶ。


(……はい。……シオンさん。……行ってきます……!)


——完全な「無」。

ティナの拳から、迷いも、理論も、重圧も、すべてが消えた。

ただ、シオンが愛した「格闘技」という名の純粋な暴力だけが、リリの「無限」の懐へと吸い込まれていく。

(……シオンさんの、声。……リリの、セコンドの、声……。……全部、聞こえる……)


「……ハァッ、ハァッ!! ……リリッ!! ここまで来たら、あとは根性よ!! ……あなたの、今までの成果を見せるのよッ!!」


リリのセコンド——科学的トレーニングを共にしてきたコーチが、その理論をかなぐり捨て、喉を潰さんばかりに咆哮し涙した。


「……ああ、わかってるわよッ!! ……私の、全部をッ!!」


「……シィィィィィッ!!」


リリの、理屈を捨てた渾身の右。

ティナは避けない。

脳内の数式はもう、一つも残っていない。

ただ、シオンの涙と、相手のコーチの叫びが、火花となって肉体を突き動かしていた。


(……根性。……成果。……そうだね、リリ。……私たち、……似たもの同士、……なのかもしれない……)


「フッ! ハッ! セイヤァッ!!」


「……ッ! ……ッ! ……オラァッ!!」


リリの、命を燃やすようなラッシュ。

ティナの、地獄を上書きするようなカウンター。

互いの拳が顔面を捉え、血飛沫が交差する。

もはや最新のデバイスも、精密な解析も、この「根性」のぶつかり合いの前では何の意味もなさなかった。


(……リリ。……あなたの、三年間。……私の、地獄の数ヶ月。……どっちが、……強いかな……!)


(……ティナ。……あなたの、その目……。……私、……今、……最高に、……生きてるッ!!)


「トォォォォォォッ!!」


「シャァァァァァッ!!」


二人の咆哮が、会場の空気を震わせ、一つに溶け合う。

シオンは、涙で歪む視界の中で、ただひたすらに祈るようにティナを見つめていた。

リリのセコンドも、身を乗り出し、自らの魂を教え子に叩きつけるように叫び続けていた。


(……行こう。……リリ。……この、……一撃で……!)


(……来なさい、……ティナ。……全部、……受け止めて……超えてみせるわッ!!)


二人の拳が、互いの「根性」を乗せて、同時に、最短距離で振り抜かれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ