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「……シオンさん、見てて」
思考を捨て、脳内を数式と解剖図だけで埋め尽くす。
対峙するリリの肉体が、皮膚を透かして「骨格と筋繊維の連動図」へと変貌していく。
「フッ、ハァッ!!」
リリの最短距離を征くジャブ。
左三角筋の収縮。肩、来る。
わずかな頭の傾きで拳をいなし、ティナの喉の奥から乾いた声が漏れる。
「……シッ!!」
最短。
リリの二の腕、上腕三頭筋の停止部を、指先で刺すように打つ。
一撃で破壊するのではない、神経の伝達を「寸断」するための、知的な暴力。
「……ッ!? カハッ、あははッ!!」
痺れを笑い飛ばし、リリの蹴りが空気を爆ぜさせる。
心拍数180。スタミナの消費、計算通り。今の踏み込み、外側広筋に僅かな歪み。……そこだ。
「セイヤァッ!!」
リリの連撃。
「……フッ! ……ハッ! ……ハァッ!!」
打撃の雨。
一つ、また一つ、肉が裂ける音が脳内に「データ」として蓄積される。
痛みは情報の欠損。修正。……同じ!
「——トォッ!!」
ティナの叫びが、オーバーヒートした脳を加速させる。
リリの「効率」という名の正解を、地獄で培った「解析」という名の猛毒が、一歩ずつ、確実に食らい尽くしていく。
逃がさない。あなたの『正解』の、その先へ……!
互いの呼気と、打撃を放つ咆哮だけが、静まり返った観衆の耳を劈く。
ただ、限界を突破し続ける二人の魂が、声となってリングを支配していた。
速い。心拍、さらに加速。予測モデルの更新が追いつかない……!
「ハッ! セイッ! シッ!!」
リリのラッシュ。
光の束のような拳の群れ。
左、右、そして——。
フェイント。上体は残像。本命は、下……!
「ハァッ!!」
リリの鋭いローキックがティナの膝を捉える。
衝撃。
脳内の数式が、ノイズと共に激しく明滅する。
痛み。でも、……計算内。今の踏み込みで、……リリの軸足に0.2秒の『硬直』が発生した……!
「……オラァッ!!」
ティナの咆哮。
脳内の図解が、最短の「反撃ルート」を赤く塗りつぶす。
ガードの隙間を縫う、物理法則に忠実なストレート。
「……ッ!? カハッ!!」
リリの顔面が跳ね上がる。
圧倒的な効率で攻め立てていたはずのリリが、信じられないものを見る目でティナを見据えた。
どうして。……私のフェイントを、……このラッシュを、……どうして『合わせられる』の……!?
「フッ、ハッ、セイヤァッ!!」
リリが再び、狂気じみた闘志で襲いかかる。
一秒間に数発。
精密機械のような連打。
分析、……分析。肺の膨らみ、……眼球の動き、……すべてが次の動作の『予兆』……!
「……シィッ!!」
リリの右フックの起動線上。
ティナは避けない。
逆に踏み込み、リリの右肩の付け根に、肘を「置いておく」ようにぶつける。
関節の固定。力の伝達を、……逆流させる……!
「——んんっ、あぁッ!!」
自身の放った力の反動で、リリの体勢が大きく崩れる。
そこへティナが、泥水を飲み干し、地面を砕いて培った「質量」を乗せた一撃をねじ込む。
「ドォッ!!」
「……ッ、……ッ!!」
押し返されるリリ。
だが、彼女の瞳の炎は消えない。
追いついたはずなのに、……どうして、……底が見えないの……!
リリ。……あなたの『正解』は、……綺麗すぎるのよ。……地獄には、……正解なんて、……ないんだから……!
一方が押し込めば、もう一方が牙を剥いて押し返す。
リングの上は、現代科学の頂点と、脳を焼かれた怪物の、終わりのない「拮抗」に塗り潰されていた。
距離が、開いた。……リリの心拍数、190オーバー。……なのに、……呼吸が全く乱れていない……!
「ハァッ……ハァッ……! 大丈夫、私の計算に『疲労』の文字はないわッ!! 最新のサプリメント、最適化されたエネルギー代謝……私のスタミナは、決して尽きない!!」
リリが吠える。
彼女のデバイスが、限界を超えた出力を許可するように赤く点滅した。
「ハッ! セイッ! シッ! オラァッ!!」
一気にギアが上がる。
一段、二段。
それはもはや、肉体の限界を超えた「機械」の駆動音に近かった。
速すぎる。……解析が、……追いつかない……! 視界が、……白く、焼ける……!
「トォッ!! セイヤァッ!! フッ、ハッ!!」
リリのラッシュ。
拳が残像となってティナの視界を埋め尽くす。
ガードの上からでも、骨が軋むような「効率」の重みが伝わってくる。
脳が、……熱い。……数式が、……溶けていく……。リリ、……あなたは本当に、……完璧ね……! だけどおぉ!
「これで終わりよッ!! ティナァッ!!」
「……ハァッ、……シィィィィィッ!!」
ティナの喉から、獣のような、あるいは壊れた機械のような咆哮が漏れる。
脳内の「解剖図」が、リリの加速に耐えきれず、激しく火花を散らしながら崩壊し始めていた。
だったら、……全部、……焼き切ってやる……! あなたの『無限』を、……私の『地獄』が、……食い破るまで……!!




