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「……シオンさん、これ」
ティナがタブレット端末を指し示す。
そこには公式戦Bランク興行のメインカード、自分と並んで映る対戦相手の顔があった。
「……知ってるわよ。リリ、でしょう」
シオンは泥のように疲弊した体を椅子に預け、わずかに口角を上げた。
かつてFランク戦でティナを完封した少女。
彼女は今、スマートな格闘技の象徴として、Bランクのトップランナーに君臨していた。
「最新のスポーツ科学、AIによる最適解……。彼女、あの日から一度も負けずにここまで来たんですって。効率化の申し子、なんて呼ばれて」
シオンは手元のノート——ティナの脳を焼き切るために作り上げた、血の滲むような解析記録——をパタンと閉じた。
そこには効率などという甘い言葉では到達できない、地獄の深淵が記述されている。
「……ふん。いいじゃない、最高の実験台だわ」
シオンの瞳に、かつての『怪物』の残滓がぎらりと光る。
「向こうが『正解』を持ってくるなら、あんたは『理不尽』をぶつけなさい。…… あの泥水を飲み干して、ウサギ跳びで地面を砕いたあんたがどう食い破るか……見せてやりなさいよ」
シオンは震える手でティナの肩を掴んだ。
自分を削り、ティナを怪物に作り替えた自負が、その枯れた声に宿っている。
「……はい、シオンさん」
ティナはモニターの中の、かつて敗北を喫した相手を見つめた。
脳はオーバーヒートし、視界の端々で物理法則の数式が火花を散らしている。
現代的効率化——その美しい答えを、自分の中に渦巻く昭和の泥と知性の猛毒で、一滴残らず汚染してやる。
「……やっと、あなたに追いついた!」
リング中央。
眩しい照明の下で、リリはかつてないほど純粋で、圧倒的な闘志を燃やしていた。
そこにはもはや、格上としてティナを見下す冷笑など微塵もない。
彼女はこの数ヶ月、最新のスポーツ科学を信奉し、自らの肉体を「最適解」へと削り上げてきた。
「いい試合にしましょう、ティナ。……今の私は、あの頃の私じゃない。あなたを倒すための『正解』を積み上げてきたの」
リリが纏う空気は、あまりに清々しく、あまりに熱い。
彼女にとってこれは、停滞していた過去を捨て、最短距離で高みへと登り詰めるための聖戦だった。
「……そう。……ありがとう、リリ」
対照的に、ティナの声には体温がなかった。
オーバーヒートした脳内では、シオンに叩き込まれた膨大な解剖図と物理法則が、目の前のリリの肉体を「パーツ」として分解し続けている。
「……私も、あの頃の私じゃない。……シオンさんと、地獄を……パンケーキの断面が筋繊維に見えるまで、煮詰めてきたから」
ティナはゆっくりと構えた。
それはかつての「重戦車」のような猪突猛進の構えではない。
相手の可動域、重心の遷移、神経伝達のラグ……その全てを食らい尽くすための、冷徹な「観測者」の構え。
「……科学の『正解』が、……脳の焼けた私の『理不尽』にどこまで通じるか。……答え合わせを始めましょう」
セコンドで極限までやつれ、椅子に深く沈み込んだシオンが、虚ろな、だが鋭い眼光をリングに突き刺す。
今、このリングの上で起きるのは格闘技ではない。
二人の女が、互いの命を削って作り上げた「呪い」の証明式だ。
——カーン。
乾いたゴングの音が、地獄の蓋を蹴り飛ばした。




