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二つの糧と、見えざる牙


「……ちょっと、姉弟子さん。何してるんですか、そのスマホ」


実家の居間。

口いっぱいに母の煮物を詰め込み、同時進行で味のない鶏胸肉を咀嚼していたティナが、怪訝そうに眉を寄せた。

対面に座る姉弟子は、無機質な手つきでスマホを固定し、慣れないライブ配信の開始ボタンをタップする。


「資金調達よ、ティナ。お金なんて使えばなくなるんだから。……ほら、カメラ見て」



「えっ、あ、ちょっ……」


配信画面には、山のようなトレーニング飯と、母の用意した素朴な煮物が並ぶ異様な食卓が映し出された。

そして、その中心でエプロン姿の母に「おかわり」を催促され、頬を膨らませている『黄金の死神』の姿が。

コメント欄は、開始数秒で爆発的な速度で流れ始めた。

『え、これマジでティナ? Dランクで相手の骨折ってた奴だろ?』

『実家の煮物食べてるんだが……しかも自分用のタッパーの量、バグってない?』

『死神じゃなくて、ただの食いしん坊なディノ娘じゃねーかw』


「……別に、普通ですよ。これくらい食べないと、明日のメニューこなせないし。……煮物は、お母さんのだから別腹なんです」


ティナは照れ隠しに、プロテインを味噌汁で流し込もうとする暴挙に出る。

コメント欄には『それはやめろ』『効率の鬼かよ』という突っ込みが殺到し、視聴者数は一気に数万を超えた。

かつてニート時代の彼女を「家畜」「社会のゴミ」と叩いていたアンチたちは、その圧倒的な「強さ」と、あまりにも「人間らしい」食事風景のギャップに、なす術もなくノックアウトされていく。


「……見て、スパチャが止まらないわ。煮物代どころか、次の遠征のプライベートジェットが買える勢いよ」


姉弟子の淡々とした報告に、ティナは呆れ顔で最後の一切れの鶏肉を飲み込んだ。

コウタが否定した「非効率な情景」が、今、世界中の熱狂を呼び、ティナを支える新たな力へと変換されていく。

母が「あら、みんなが見てるの? なら今度はもっと豪華にしないとね」と笑いながら、ティナの皿にさらに里芋を積み上げた。

だが、その熱狂を切り裂くように、一つのコメントが画面に静止した。

ユーザー名:L_White

『低俗な家畜の餌。そんなもので私の牙に耐えられると思っているの?』

ティナの箸が、止まった。

口の中に残る里芋の甘みが、その瞬間、砂を噛むような無機質な感覚へと変わる。


「……だれ、これ。私のこと、知ってるの?」


ティナは眉を潜め、画面を凝視する。

面識はない。名前も知らない。

だが、その言葉の裏にある「殺意」と、自分を「モノ」として切り捨てる冷徹な響きは、かつてコウタに浴びせられた言葉と、おぞましいほど似通っていた。

姉弟子が、何かを悟ったように無言でスマホの画面を伏せ、ティナの肩に手を置く。

ティナは、自分の胸の奥がざわつくのを感じた。

正体は分からない。けれど、自分の「正道」を真っ向から否定する、銀色の刃のような何かが、闇の向こうから自分を見ている。


「……分かってます。誰だか知らないけど、あいつは、お母さんの煮物の味なんて、一生知らないまま終わる」


ティナは、残っていた鶏胸肉の山を一気に口へ放り込んだ。

咀嚼するたびに、顎の筋肉がミシミシと鳴る。

正体不明の否定を、母の愛情ごと胃袋に収めて力に変える。


「ごちそうさま。……お母さん、もう行くね」


母の心配そうな顔を背に、ティナは立ち上がった。

居間の古い畳が、彼女の踏み込みの重さに悲鳴を上げる。

行くべき場所は決まっている。

Bランクへの切符を賭けた、ナーガ娘・ヘレナとの一発勝負。

「人間」としての安らぎは、この一瞬で「戦士」としての冷徹なガソリンへと切り替わった。



 渇望の味


シュ、シュ、と、無機質なプラスチックが擦れる音だけが、コンクリート打ち放しの控室に響く。

ティナは視線を一点に固定したまま、手慣れた動作でシェイカーを振っていた。

中に入っているのは、コウタの施設にいた頃から飲み続けている、化学的な苦味の強い高濃度プロテイン。

「食事」ではない。

肉体を維持し、効率よく破壊するための「液体燃料」だ。


 



「……よし」


一気に喉へ流し込む。

ドロリとした不快な感触が舌を撫で、胃へと落ちていく。

「美味しい」という感情は、この瞬間の彼女には不要だった。

味覚を殺し、内臓の熱を戦いに回す。

そうして初めて、彼女の肉体は「黄金の死神」としての冷徹な機能を完成させる。

ふと、長椅子の端に視線を落とした。

そこには、古びた風呂敷に包まれた小さな弁当箱が、場違いなほど穏やかな佇まいで置かれている。

母が今朝、持たせてくれた里芋の煮物。

その温もりを想像するだけで、腹の底がキュッと鳴った。

だが、ティナはその結び目に指をかけることさえ自分に禁じた。


「……勝ってからだ。勝たないと、これを食べる資格はない」


それは、彼女が自分自身に課した、血の通った鉄の掟だった。

甘えを断ち切り、飢えを研ぎ澄ます。

空腹ハングリーであればあるほど、彼女の五感は鋭く、その一撃は重くなる。


「あら、お通夜かしら? 随分と顔色が悪いじゃない、死神さん」


ドアが乱暴に開かれ、ヘレナが取り巻きを連れて現れた。

毒蛇を思わせるしなやかな肢体をくねらせ、彼女はティナの足元に置かれた弁当箱を、蔑むような目で見下ろす。


「いい歳して親の弁当? 滑稽ね。そんな脂っこい不純物を胃に詰め込んで、私のスピードについてこられると思ってるの?」


ヘレナの嘲笑が、静まり返った控室に反響する。

だが、ティナは動じなかった。

ゆっくりと立ち上がる彼女の全身から、重く、澱んだような闘気が漏れ出す。

プロテインのみで満たされた胃袋が、極限の集中力を脳へと供給していた。


「……あんた、喋りすぎ。口を動かすのは、そのくらいにしておきなよ」


ティナの低い声に、ヘレナの笑みが一瞬で凍りついた。

目の前の怪物の瞳が、かつてないほどギラついている。

それは、獲物を前にした飢えた捕食者の、純粋なまでの殺気だった。


「……リングで、全部吐き出させてあげるから」


ティナは弁当箱を一瞥もせず、背を向けた。

足音の一つ一つが、コンクリートの床を叩き潰すような重みを持って響く。

胃にあるのは無機質な燃料。

心にあるのは、勝利の後に待つ、あの優しい出汁の味。

その二つの断絶が、今のティナを、誰にも止められない無敵の戦士へと変えていた。


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