第80話 「行き先のない救出作戦」
行き先が分からないから、進めないわけじゃない。
本当に足を止める理由になるのは、「行くつもりがない」ことだけだ。
位相特別観測施設。
主制御ドームは、応急封鎖処理に入っていた。
割れた観測窓。
歪んだ床。
今も微かに揺れる、
“空白だったはずの一点”。
◇ ◇ ◇
「……で……」
チサが腕を組み、
正面のモニターを睨みつけた。
「……“取り返す”って言ったはいいが……」
「……どこから……
どう行く……?」
◇ ◇ ◇
それは、
この場にいる全員が
うすうす分かっていた問いだった。
行き先が、存在しない。
地図もない。
座標もない。
“向こう側”とは、
第三勢力の定義ですら
「観測不能領域」なのだから。
◇ ◇ ◇
研究員の一人が、
苦しそうに言った。
「……救出……ですか……?」
「……不可能です……
あれは……
“落ちた”のではなく……」
一拍。
「……“計算から外れた”のです……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
静かにその研究員を見た。
「……計算から……
外れたら……」
「……もう……
誰も……
行けない……の……?」
◇ ◇ ◇
研究員は、
答えられなかった。
◇ ◇ ◇
レイが消えた一点が、
また、
ごく小さく揺らぐ。
ほんの一瞬。
それでも、
ヒナタの胸の“鍵”は、
はっきりと反応した。
◇ ◇ ◇
(……“向こう”は……
まだ……
完全に……
閉じてない……)
◇ ◇ ◇
「……座標が……
ないなら……」
ヒナタは、
ぽつりと言った。
「……作るしか……
ないよね……」
◇ ◇ ◇
「……は……?」
チサが、
思わず声を上げる。
◇ ◇ ◇
「……“入口がない”なら……」
ヒナタは、
自分の胸に手を当てる。
「……“こちら側から……
呼ぶ”……」
◇ ◇ ◇
「……呼ぶ……?」
チサの目が細くなる。
◇ ◇ ◇
「……うん……」
ヒナタは、
息を吸い、
はっきり言った。
「……第三勢力は……
“問い”に反応して……
通路を……
作る……」
「……なら……」
一拍。
「……“救出の問い”を……
投げる……」
◇ ◇ ◇
研究員たちが、
一斉にざわめいた。
「……無茶です……!」
「……問いは……
接触を……
誘発するだけで……!」
「……再侵入が……
起きたら……!」
◇ ◇ ◇
「……起きるよ……」
ヒナタは、
否定せずに言った。
「……でも……」
一拍。
「……“何も起きないまま”のほうが……
私は……
ずっと……
怖い……」
◇ ◇ ◇
チサは、
しばらく黙っていたが、
やがて、
大きく息を吐いた。
「……つまり……」
「……“救出って名目で……
もう一回……
第三勢力を……
殴りに行く”……」
◇ ◇ ◇
「……殴らない……」
ヒナタは、
小さく首を振る。
「……“返して”って……
言いに行く……」
◇ ◇ ◇
その言葉は、
妙に、強かった。
◇ ◇ ◇
「……レイは……」
チサが、
低く問いかける。
「……もし……
戻れない場所に……
行ってたら……?」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
一瞬だけ、
言葉に詰まった。
だが――
逃げなかった。
「……それでも……
“戻れないって……
確認”しに行く……」
◇ ◇ ◇
「……確認して……
どうする……?」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
まっすぐチサを見た。
「……それでも……
“奪った側には……
させない”……」
◇ ◇ ◇
その場に、
重たい沈黙が落ちた。
“成功しないかもしれない救出”。
“失敗する可能性が極めて高い作戦”。
しかも――
開始条件すら、存在しない。
◇ ◇ ◇
その沈黙を、
破ったのは、
チサだった。
「……いいだろ……」
低く、しかし迷いのない声。
「……どうせ……
このまま……
“納得する人生”じゃ……
なさそうだ……」
◇ ◇ ◇
ヒナタの目が、
少しだけ潤む。
「……チサ……」
◇ ◇ ◇
「……ただし……」
チサは、
指を一本立てた。
「……“お前一人で……”
は……
もう……
無しだ……」
◇ ◇ ◇
「……うん……」
ヒナタは、
はっきりうなずいた。
◇ ◇ ◇
そのとき。
空白の一点が、
再び、
ごくわずかに揺らいだ。
◇ ◇ ◇
モニターに、
小さな警告表示が点る。
――《位相反応:反転微弱》
――《自発変調:検出》
◇ ◇ ◇
「……待て……」
管制員が、
震える声で言う。
「……これ……
外部からでは……
ありません……」
◇ ◇ ◇
「……は……?」
チサが、
目を見開く。
◇ ◇ ◇
「……内側から……
“応答”が……
返ってきている……」
◇ ◇ ◇
その言葉に、
ヒナタの心臓が、
強く脈打った。
◇ ◇ ◇
(……レイ……?)
◇ ◇ ◇
空白の中央に、
ほんの一瞬だけ――
“点のような光”が瞬いた。
あまりにも弱く、
あまりにも小さい光。
だが、
確かに、
“向こう側からの信号”だった。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
その光を見つめながら、
震える声で言った。
「……行き先が……
なくても……」
一拍。
「……“呼び返す場所”は……
今……
ここに……
できた……」
◇ ◇ ◇
チサは、
口元を歪ませる。
「……だったら……」
「……作戦名は……
もう……
決まりだな……」
◇ ◇ ◇
「……うん……」
ヒナタは、
小さく、
しかしはっきりと言った。
「……“行き先のない救出作戦”……」
◇ ◇ ◇
それは、
地図に載らない。
帰還保証もない。
成功確率は、ほぼゼロ。
それでも――
この瞬間、
確かに始まってしまった。
救出作戦は、行き先が決まっていないまま始動した。
地図も座標もない。
あるのは、奪われたという事実と、取り返すという意志だけ。
ヒナタは“入口を作る”ことを選び、
チサは“一人で行かせない”ことを選んだ。
そして、空白の向こう側から返ってきた、
ほんの一瞬の小さな光。
それはレイの存在が、完全には終わっていないことを、
確かに告げる合図だった。




