第78話 「接触は予告なく」
予告のある災厄は、
まだ“予定”と呼べる。
本当の侵入とは、
いつも――
準備が整う前に始まる。
位相特別観測施設・主制御ドーム。
観測席には、
数十名の研究員と軍関係者が並んでいた。
中央ステージには、
三つの円形座標。
ヒナタ、チサ、レイは、
それぞれの位置に立たされている。
◇ ◇ ◇
「……接触誘導フェーズ……
第一段階へ移行……」
落ち着き払ったオペレーターの声が響く。
◇ ◇ ◇
「……心拍、安定……」
「……位相感受値、通常範囲……」
「……第三勢力反応……
まだ……
出ていません……」
数字と波形だけが、
淡々と流れていく。
◇ ◇ ◇
「……来ないな……」
チサが、
小さくつぶやいた。
「……本当に……
来るつもりなのか……?」
◇ ◇ ◇
「……誘導領域は……
すでに……
最大出力です……」
管制が答える。
「……反応がない場合……
こちらの想定が……
誤っていた可能性が……」
◇ ◇ ◇
その瞬間。
レイが、
はっきりと顔を上げた。
「……違います……」
◇ ◇ ◇
「……何がだ……?」
オペレーターが、
思わず聞き返す。
◇ ◇ ◇
「……“反応がない”のでは……
ありません……」
一拍。
「……すでに……
“来ています”」
◇ ◇ ◇
ヒナタの胸の奥の“鍵”が、
一瞬――
凍るように沈黙した。
(……え……?)
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
中央ステージの“影”が、
あり得ない方向へ、
逆流するように伸びた。
◇ ◇ ◇
「……影……?」
誰かの声が、
ひきつった。
◇ ◇ ◇
影は、
床ではなく、
“空間そのもの”に貼りついている。
まるで、
裏側から、
強く押されているように。
◇ ◇ ◇
《……発声点……
既に……
内部に……》
意味だけが、
ドーム全体に流れ込んだ。
◇ ◇ ◇
「……内部……!?」
管制が、
叫ぶ。
「……侵入検知……
ゼロだったぞ……!!」
◇ ◇ ◇
影が、
一気に、
“裏返る”
空間が、裂けるのではない。
観測されていたはずの空間が、
最初から“間違っていた”かのように反転する。
◇ ◇ ◇
そこに現れたのは――
輪郭の定まらない、
星のない闇。
あの“第三勢力”そのものだった。
◇ ◇ ◇
「……っ……!」
研究員の数人が、
反射的に後退する。
◇ ◇ ◇
《……誘導……
不要……》
《……発声点の……
再配置を……
開始する……》
◇ ◇ ◇
「……再配置……?」
ヒナタが、
息を呑む。
◇ ◇ ◇
その瞬間。
ヒナタ、チサ、レイの三人を結ぶ
三角形の内部で、
空間が“沈み込む”。
◇ ◇ ◇
中心点が、
存在しないはずの“重力井戸”に変わる。
◇ ◇ ◇
「……引かれる……!」
チサが、
歯を食いしばる。
◇ ◇ ◇
三人の足元から、
人工重力が消えた。
体が、
ゆっくりと、
宙へと浮かび上がる。
◇ ◇ ◇
「……違う……!」
ヒナタが、必死に叫ぶ。
「……私たちは……
“代わり”を……
作らない……って……!」
◇ ◇ ◇
《……理解している……》
《……ゆえに……》
闇が、
わずかに、
“ひずんだ”。
《……三点のうち……
一点を……
“空白”に……
変換する……》
◇ ◇ ◇
ヒナタの血が、
一気に、
冷える。
「……空白……って……?」
◇ ◇ ◇
答えは、
あまりにも、
明確だった。
◇ ◇ ◇
三人のうち、
レイの“重さ”だけが、
不自然に薄くなる。
「……な……!」
チサが、
思わず叫ぶ。
◇ ◇ ◇
レイの足元から、
影が、
静かに絡みついた。
◇ ◇ ◇
「……やめ……!」
ヒナタが、
必死に手を伸ばす。
◇ ◇ ◇
だが、
第三勢力の“操作”は速かった。
レイの体は、
叫ぶ間もなく、
“向こう側の位相へと、
滑り落ちていく”
◇ ◇ ◇
「……レイ!!」
チサの叫びが、
ドームに反響する。
◇ ◇ ◇
レイは、
最後の瞬間まで、
驚くほど冷静だった。
ただ――
ヒナタを見て、
はっきりと口を動かす。
「……“代わり”…
じゃ……
ありません……」
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
レイの存在が、
空間から、
“計算誤差のように消失した”
◇ ◇ ◇
衝撃波も、光もない。
ただ、
“最初からいなかった”かのように、
空白が残る。
◇ ◇ ◇
「……レ……イ……?」
ヒナタの声が、
空しく震える。
◇ ◇ ◇
《……空白化……
完了……》
◇ ◇ ◇
「……ふざ……
けるな……!!」
チサが、
叫び、
そのまま中央へ突進しようとする。
◇ ◇ ◇
だが、
第三勢力の“影”が、
壁のない壁となって立ちはだかる。
◇ ◇ ◇
《……三点構造は……
“安定しすぎている”……》
《……ゆえに……
“欠損”が必要……》
◇ ◇ ◇
ヒナタの全身が、
震えだす。
「……そんな……
理屈のために……
人を……!!」
◇ ◇ ◇
《……“人”ではない……》
《……“発声点の一部”だ……》
◇ ◇ ◇
その言葉は、
これまでで最も、
はっきりとした“敵意”だった。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
ドーム全体に、
非常警報が一斉に鳴り響く。
――《位相侵入・深度危険域》
――《オルビタ、制御不能》
◇ ◇ ◇
管制の叫びが、
錯乱したように飛び交う。
「……遮断できない!!」
「……重力制御、全滅!!」
「……退避信号、出せ!!」
◇ ◇ ◇
だが、
ヒナタには、
何も聞こえていなかった。
ただ――
さっきまで、
確かにそこにいたレイの“空白”だけが、
視界を、すべて占めていた。
◇ ◇ ◇
(……代わりじゃ……
ない……って……
言ったのに……)
(……それでも……
“欠損”に……
された……)
◇ ◇ ◇
チサが、
震える腕で、
ヒナタの肩を掴む。
「……ヒナタ……!」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
ゆっくりと顔を上げた。
涙は、
まだ、出ない。
ただ、
胸の奥の“鍵”が――
これまでで、最も凶悪な音を立てて鳴っていた。
◇ ◇ ◇
「……もう……」
ヒナタの声は、
奇妙なほど静かだった。
「……“代わりじゃない”って……
言わせない……」
◇ ◇ ◇
その瞬間。
ヒナタの周囲の位相が、
自発的に、
初めて“反転”した。
それは、防御でも、反射でもない。
“拒絶”そのものだった。
◇ ◇ ◇
第三勢力の影が、
初めて、
わずかに、揺らいだ。
オルビタでの接触は、観測では終わらなかった。
第三勢力は、複数発声構造そのものを「安定しすぎた構造」と見なし、
レイを“欠損”として空白化した。
それは代替でも身代わりでもなく、
“構造調整のための喪失”という、最も冷酷な扱いだった。
ヒナタは理解する。
もう、事故を止めるだけでは足りない。
「奪われない構造そのもの」を、壊さなければならないのだと。




