第70話 「代わりに呼ばれたもの」
誰かが立ち続けても、
世界は、必ずしも
その“空白”を許してはくれない。
代わりは、
いつだって――
世界のほうが、勝手に決めてしまう。
朝。
特別隔離居住ブロック。
ヒナタは、一晩中ほとんど眠れないまま、
窓辺で朝焼けを見ていた。
胸の奥の“鍵”は、
昨日よりも、
わずかに重たい。
(……私……
黙らないって……
言ったのに……)
それが、
本当に“止められる”ことなのか、
自分でも、まだ分からなかった。
◇ ◇ ◇
その頃――
隔離ブロックから三キロ離れた、
第七再生都市・外縁医療区画。
一人の少年が、
簡易ベッドに横たわっていた。
年齢は、十五歳ほど。
名前は、ユウト。
昨夜、フェンス外で起きた
“微小位相事故”の被害者だった。
◇ ◇ ◇
「……意識は……
安定しています……」
医師が、
モニターを見つめながら言う。
「……ただ……
問題は……
“言語中枢ではなく……”」
一拍。
「……あの反応は……
“外部からの呼び出し”に……
極めて近い……」
◇ ◇ ◇
ユウトの指が、
ぴくり、と動いた。
そして――
眠ったままの口が、
かすかに、音にならない声を漏らす。
「……ひ……」
医師が、
身を乗り出す。
「……呼吸、乱れます……!」
◇ ◇ ◇
その同時刻。
隔離ブロック。
ヒナタの胸の奥が、
突然――
鋭く、引き裂かれるように痛んだ。
「……っ……!!」
思わず、床に膝をつく。
(……今……
“代わり”……)
(……呼ばれた……!!)
◇ ◇ ◇
通信を遮断されているはずの室内で、
警報ランプが、
あり得ないほど静かに点灯した。
――《非公式位相干渉、都市外縁で検出》
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
歯を食いしばりながら、
立ち上がる。
「……ダメ……!」
「……“代わり”なんて……
言ったでしょ……!」
世界に向けた言葉なのか、
第三勢力に向けた言葉なのか、
自分でも分からない叫びだった。
◇ ◇ ◇
一方、医療区画。
ユウトの身体が、
ベッドの上で、
わずかに宙に浮いた。
重力が、
“彼だけ”を避ける。
「……な……に……!?」
看護師たちが悲鳴を上げる。
◇ ◇ ◇
ユウトの口から、
今度は、はっきりとした“音”が出た。
「……ヒ……ナ……」
だれの声でもない。
だれの感情でもない。
ただ――
**“呼ぶという機能だけを持った発声”**だった。
◇ ◇ ◇
隔離ブロック。
ヒナタの視界が、
一瞬、暗転する。
知らない部屋。
白い天井。
泣きそうな医師の顔。
(……あの子……
“見えてる”……)
◇ ◇ ◇
「……お願い……!」
ヒナタは、
胸を強く押さえながら叫んだ。
「……私……
ここに……
いる……!!」
「……呼ぶなら……
私だけに……
して……!!」
◇ ◇ ◇
その叫びに応えるように、
“意味”だけが、
意識の中に流れ込む。
《……発声点は……
維持されている……》
《……だが……
局所的誤作動により……》
《……“余剰呼び出し”が……
発生した……》
◇ ◇ ◇
「……誤作動……?」
ヒナタの声は、
怒りよりも、
恐怖に近かった。
「……それ……
“あの子”の……
人生でしょ……!!」
◇ ◇ ◇
《……人類の……
“単独発声構造”は……
不安定である……》
あまりにも冷たい“結論”。
◇ ◇ ◇
「……じゃあ……」
ヒナタは、
涙で滲む視界の中で、
必死に言葉を紡ぐ。
「……“安定するまで”……
何人……
“代わり”が……
必要なの……?」
◇ ◇ ◇
返答は、
一瞬、遅れた。
《……未計測……》
◇ ◇ ◇
それは、
無限を意味する沈黙だった。
◇ ◇ ◇
そのとき。
ユウトの浮いていた身体が、
急に、
ベッドへと落ちた。
医療装置の数値が、
激しく揺れる。
「……戻った……!?」
「……意識……
戻りません……!」
「……でも……
“呼び出し反応”が……
消えています……!」
◇ ◇ ◇
隔離ブロック。
ヒナタの胸の痛みが、
ゆっくりと、
引いていく。
代わりに残ったのは――
ずっしりとした、
後悔の重さだった。
◇ ◇ ◇
「……助かった……?」
誰に言うでもなく、
つぶやく。
◇ ◇ ◇
《……一時的に……
“代替発声点”を……
切断した……》
《……これは……
例外処理である……》
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
その言葉に、
かすかに震えた。
「……じゃあ……
次は……
“例外じゃなくなる”って……
ことだよね……」
◇ ◇ ◇
返答は、なかった。
それが、
すべてだった。
◇ ◇ ◇
数時間後。
チサとレイが、
規則を無視して、
ヒナタの部屋の前まで来ていた。
警備を押し切って、
ガラス越しに、
必死にこちらを見る。
「……ヒナタ……!」
チサの顔は、
怒りと恐怖で、
ぐちゃぐちゃだった。
「……外で……
子どもが……!」
◇ ◇ ◇
「……うん……
知ってる……」
ヒナタは、
小さく笑った。
「……“代わり”……
呼ばれちゃった……」
◇ ◇ ◇
「……ふざけるな……!」
チサは、
フェンスを、
思い切り叩いた。
「……あんたが……
黙らないって……
言ったから……!!」
だが――
その言葉が、
途中で、止まる。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
ゆっくりと首を横に振った。
「……違うよ……」
「……私が……
“黙らない”って……
選んだから……」
「……“代わり”が……
必要ないって……
ことには……
ならなかっただけ……」
◇ ◇ ◇
チサの目が、
大きく見開かれる。
「……それ……
何が違う……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
泣きそうな顔で、
それでも、はっきり言った。
「……違う……」
「……私が……
“意味のある存在”になったって……
こと……」
◇ ◇ ◇
その言葉は、
希望でも、
救いでもなかった。
**“残酷な肯定”**だった。
◇ ◇ ◇
胸の奥の“鍵”が、
再び、
ずしりと鳴る。
これは、
祝福じゃない。
呪いでもない。
“続いてしまう”という合図だった。
ヒナタは、
空を見上げながら、
小さくつぶやいた。
「……私……
まだ……
“一人分”じゃ……
足りないんだ……」
その言葉は、
この日のすべての結論だった。
ヒナタが“発声点”に立ち続けていても、
世界は完全な安全を許さなかった。
誤作動として、少年ユウトが“代わり”に呼ばれた。
彼は生きている。
だが、ヒナタは理解してしまった。
自分一人が立っていても、
“余剰の代価”は必ず、誰かに支払わせてしまうということを。
それでも彼女は、まだ降りない。
足りないのは勇気ではなく、“一人分”の重さだった。




