第7話 「調子に乗るな! 初勝利のあとに来た落とし穴」
努力は、すぐに報われるとは限らない。
だが時に、ほんの小さな“できた”が、心を浮かれさせてしまうことがある。
その油断の先に、必ず“次の痛み”が待っているとも知らずに。
底辺ルート三日目の朝。
「……動く!」
旧式区画の奥で、ヒナタは一人、鉄塊の前に立っていた。
昨日、ほんの数センチ動かせただけのそれを、今日は――
「……っ、よい、しょ……!」
ぎぎっ、と鈍い音を立てて、鉄塊がさらに動く。
「やった……! 昨日より、動いてる……!」
汗だくの顔に、思わず笑みがこぼれた。
(私、ちゃんと前に進んでる……!)
その様子を、区画の入口から静かに見ていた影があるとも知らずに。
「……ふん。面白い“鈍足の進化”ね」
ユズハだった。
◇ ◇ ◇
その日の午後、底辺ルート初の“簡易模擬戦”が行われた。
「出力制限は継続。
基本動作と立ち回りだけで勝敗を決める」
キリサキの淡々とした説明のあと、ヒナタの対戦相手が発表される。
「アオイ・ヒナタ vs タチバナ・ユウ」
「えっ、俺!?」
タチバナが目を丸くする。
「だ、大丈夫かヒナタ? 昨日の今日で……」
「だ、大丈夫です! ちょっとだけ……自信あります!」
そう言ってしまった瞬間、
ヒナタは――ほんの少しだけ、胸を張ってしまった。
(鉄塊も動いたし、目隠し操縦も少しできたし……
もしかして私、今なら――)
その油断を、キリサキは見逃さなかった。
「開始」
号令と同時に、タチバナが右へ回り込む。
「スピードは互角……なら!」
ヒナタは前に踏み込み、正面突破を狙った。
――だが。
「甘いっ!」
タチバナは一瞬だけ下がり、逆にヒナタの懐へ滑り込んだ。
「えっ――あっ!?」
機体のバランスが崩され、足元からすくわれる。
――ドンッ!!
ヒナタのヴァルキュリアは、背中から地面に叩きつけられた。
――《機体、転倒》
「う、うそ……さっきまで……!」
「ヒナタ、立てるか!?」
タチバナの声が、やけに遠く聞こえる。
(なんで……動けるはずなのに……
さっきまで、うまく――)
だが、思考が追いつくよりも早く、次の一撃が来た。
――《擬似装甲、耐久ゼロ》
「……きゃっ」
あっけない敗北だった。
◇ ◇ ◇
ポッドから降りたヒナタは、唇をぎゅっと噛みしめたまま動けなかった。
「……調子に、乗ってた」
ぽつりと、誰にでもなく呟く。
「ヒナタ……」
「私……ちょっとできたくらいで、“いける”って思っちゃって……」
そこへ、キリサキが歩み寄ってくる。
「それが、落とし穴だ」
低い声で、はっきりと言い切る。
「成果は、慢心に変わる。
慢心は、判断を狂わせる。
判断の狂いは――死ぬ」
ヒナタは、肩を震わせながらうなずいた。
「……はい」
「だが」
キリサキは、そこで一拍置いた。
「貴様は、昨日より“考えて”動こうとした。
それ自体は、間違いではない」
ヒナタは、思わず顔を上げる。
「考えただけで勝てるほど、戦場は甘くない。
だが、考えることをやめた者は、必ずそこで終わる」
「……」
「今日は、よく“調子に乗った”。
その分だけ、よく“転んだ”。
――悪くない」
キリサキはそれだけ言うと、背を向けた。
◇ ◇ ◇
その夜。
ヒナタは一人、トレーニング区画の片隅で、鉄塊の前に立っていた。
「……ちょっと動いたくらいで、世界が変わるわけじゃない」
両手をかける。
押す。
動かない。
「……でも」
もう一度、角度を調整する。
「それでも、昨日より――」
――ギィ……。
「……動いた」
ほんの数ミリ。
だが、確かに。
(勝ったら、調子に乗る。
負けたら、立ち止まる。
それじゃ……いつまで経っても、“越えられない”)
ヒナタは、静かに息を整えた。
(だから、明日もやる。
勝っても、負けても。
私は……やめない)
汗に濡れた拳が、ゆっくりと握られる。
少しの成果は、時に人を一番危ない場所へ連れていく。
アオイ・ヒナタは今日、努力の“ご褒美”ではなく、努力の“罠”を知った。
だが、転んだ場所は、昨日と同じではない。
ゆっくりでも、確かに彼女は前に進んでいる。
その歩幅の小ささこそが、今の彼女の強さだった。




