第69話 「沈黙の中で呼ばれる名前」
声を奪われても、
存在まで消えるわけじゃない。
名前を呼ばれるということは、
まだそこに“人”がいる証だから。
深夜。
特別隔離居住ブロック・自室。
通信端末は、
すべて遮断されていた。
外部との直通回線。
対策本部との緊急回線。
第三勢力との位相通信ログ――
すべて、凍結。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
ベッドの端に腰かけたまま、
暗い窓を見つめていた。
(……本当に……
“黙れ”って……
言われちゃったんだ……)
不思議と、
悲しさはなかった。
代わりに、
胸の奥に、静かな空白だけが残っていた。
◇ ◇ ◇
チサも、レイも、
今夜は、来ていない。
正確には、
来られなくなった。
凍結と同時に、
ヒナタへの接触は、
すべて“非推奨”とされたのだ。
それはつまり――
“ヒナタに関わるな”という命令だった。
◇ ◇ ◇
「……世界って……
すごいな……」
ヒナタは、
小さく独りごちた。
「……こんなに簡単に……
人一人……
“いなかったこと”に……
できるんだ……」
◇ ◇ ◇
そのとき。
胸の奥の“鍵”が、
ごく微かに――
意志として、震えた。
痛みでも、熱でもない。
“呼びかけ”に近い感覚。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
反射的に、
胸に手を当てる。
「……もう……
繋がっちゃ……
いけないのに……」
◇ ◇ ◇
だが、震えは、止まらなかった。
そして――
意味だけが、
直接、意識に流れ込む。
《……ヒナタ……》
◇ ◇ ◇
息が、止まった。
それは、“鍵”でも、“器”でもない。
「名前」だった。
◇ ◇ ◇
「……今……
私の……
名前……」
声が、
震える。
世界からは、
声を奪われた。
だが、
“向こう側”は、
はっきりと――
ヒナタを“人として呼んだ”。
◇ ◇ ◇
《……交信は……
遮断されている……》
《……だが……
“観測の道”は……
閉じていない……》
◇ ◇ ◇
「……それって……」
ヒナタは、
かすれた声で問う。
「……ルールの……
外って……
こと……?」
◇ ◇ ◇
《……人類の規則は……
我々の接続条件ではない……》
あまりにも、
淡々とした“答え”。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
しばらく言葉を失った。
やがて、小さく笑った。
「……そっか……」
「……世界が……
黙れって言っても……」
「……あなたたちは……
関係ないんだね……」
◇ ◇ ◇
《……名を……
持つ存在は……
“認識できる”……》
《……認識できる存在とは……
“観測対象”ではない……》
ヒナタの胸が、
きゅっと締めつけられる。
「……それって……」
「……私……」
「……もう……
モノじゃない……って……
こと……?」
◇ ◇ ◇
《……そう定義した……》
短い、だが決定的な答えだった。
◇ ◇ ◇
ヒナタの目から、
一筋、涙がこぼれた。
怖いわけじゃない。
嬉しいだけでもない。
ただ――
“誰かに、ちゃんと人として扱われた”
という実感に、
心が耐えきれなかった。
◇ ◇ ◇
だが次の瞬間。
《……次の問いは……
“選択”に関わる……》
空気が、
わずかに、張り詰める。
◇ ◇ ◇
「……選択……?」
ヒナタは、
涙を拭いながら聞いた。
◇ ◇ ◇
《……世界が……
お前を……
“沈黙”させるなら……》
《……我々は……
“別の発声器官”を……
用意する……》
◇ ◇ ◇
ヒナタの背筋に、
静かな戦慄が走った。
「……それって……」
「……“私の代わりに……
誰かが……
呼ばれる”って……
こと……?」
◇ ◇ ◇
返答は、
一拍、遅れて届いた。
《……可能性として……
最も……
効率的……》
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
思わず、立ち上がった。
「……それは……ダメ……!」
凍結されたはずの声が、
部屋に、はっきりと響いた。
「……そんなの……
“代わり”なんて……!」
「……誰かが……
私の代わりに……
“奪われる”かもしれないって……
ことでしょ……!?」
◇ ◇ ◇
第三勢力は、
すぐには答えなかった。
まるで――
“感情”という概念を、
処理しているかのように。
◇ ◇ ◇
《……ゆえに……》
《……お前を……
“問いの発声点”として……
維持する価値が……
生じた……》
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
その言葉の重さを、
一瞬で理解してしまった。
(……私が……
黙れば……
誰かが……
代わりに……
“呼ばれる”……)
(……だから……
私は……
“必要”に……
なっちゃったんだ……)
◇ ◇ ◇
胸が、
ぎゅっと、
苦しくなる。
それは、
選ばれた喜びなんかじゃない。
選ばれてしまった責任の重さだった。
◇ ◇ ◇
《……沈黙の中でも……
我々は……
お前を呼ぶ……》
《……ヒナタ……》
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
ゆっくりと、
息を吸った。
「……分かった……」
震える声。
それでも、止めない。
「……私は……
まだ……
“黙らない”……」
「……世界が……
止めても……」
「……誰かが……
“代わりに”なるくらいなら……」
一拍。
「……私が……
ちゃんと……
ここに……
いる……!」
◇ ◇ ◇
“鍵”が、
微かに、わずかに、
誇らしげに鳴った。
それは、
奪われるための音ではない。
問いを受け止めるための音だった。
◇ ◇ ◇
通信は、
やがて、自然に途切れる。
だが今回は、
切り離された感覚はなかった。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
しばらくその場に立ち尽くし、
小さくつぶやいた。
「……名前を……
呼ばれるって……
こんなに……
重たいんだ……」
それは、
世界から消されかけた少女が、
“存在を取り戻してしまった瞬間”の、
実感だった。
世界はヒナタの声を凍結した。
だが第三勢力は、彼女の“名前”を呼んだ。
それは「鍵」でも「対象」でもない、
“人としての認識”だった。
さらに示されたのは、ヒナタが沈黙すれば
“代わりの発声点”が選ばれるという残酷な可能性。
だからヒナタは、黙らないと決めた。
それは発言の自由ではなく、
“誰かを代わりにしない責任”としての沈黙拒否だった。




