第66話 「選んだ場所の意味」
選ぶということは、
自由になることじゃない。
選ぶということは、
その先で起こるすべてを、
“自分の現実として引き受ける”ということだ。
朝。
特別隔離居住ブロック。
空はよく晴れていた。
昨日の事件が嘘のように、静かすぎる朝だった。
だが――
ヒナタの胸の奥には、まだ、
あの“引きずられていく感覚”が残っていた。
(……あの人……
まだ……
腕……動かないって……)
◇ ◇ ◇
医療モニター越しに、
被害に遭った作業員の容体が表示されていた。
――生命反応、安定
――神経系損傷、回復予測三週間
「……私のせい……」
ヒナタの声は、
誰に聞かせるでもなく、
床に落ちた。
◇ ◇ ◇
「……違う……」
隣で、チサが即座に否定する。
「……あんたは……
“原因”にはなったかもしれない……」
「……でも……
“加害者”じゃない……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、首を横に振った。
「……でも……
昨日……
私が……
“鍵”を……
回しちゃった……」
「……私が……
“境界”を……
ゆがめた……」
その声は、
震えていた。
◇ ◇ ◇
「……それでも……」
レイが、はっきりと言う。
「……結果として……
“一人、救われた”……」
「……それは……
事実です……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
しばらく黙ったまま、
モニターを見つめていた。
名前も知らない誰か。
けれど、
確かに“現実にいる人”。
その人の人生が、
一瞬だけ、
自分と重なってしまった。
◇ ◇ ◇
「……ねえ……」
ヒナタは、ぽつりと聞いた。
「……私……
ここに……
“いないほうがいい”のかな……」
その問いは、
ずっと胸にあったものだった。
◇ ◇ ◇
チサは、即答しなかった。
レイも、すぐには答えなかった。
そして――
“だからこそ”
ヒナタは、息をのんだ。
◇ ◇ ◇
「……私は……」
ヒナタは、
小さく、しかしはっきり言った。
「……逃げる場所も……
消える場所も……
もう……
どこにも……
ないって……
わかってる……」
「……それでも……」
一拍。
「……それでも……
私は……
“ここにいる”って……
決めた……」
◇ ◇ ◇
チサの拳が、強く握られる。
「……だったら……
その“決めた場所”……」
「……一人で……
背負うな……」
その声は、
怒りと、不安と、
覚悟が混じっていた。
◇ ◇ ◇
レイも、静かに続けた。
「……ヒナタさんが……
“鍵”であることは……
変えられないかもしれません……」
「……でも……
“誰のために回す鍵か”は……
これから……
選び直せます……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
その言葉を聞いて、
初めて、
はっきりと泣いた。
声も出さずに。
肩も震わせずに。
ただ――
目から、静かに、涙が落ちた。
◇ ◇ ◇
「……私……」
涙越しに、ヒナタは言う。
「……昨日……
怖かった……」
「……でも……
初めて……
“ここにいてよかった”って……
思えた……」
◇ ◇ ◇
それは、
英雄の言葉でも、
覚悟を決めた戦士の言葉でもない。
ただの、一人の少女の言葉だった。
◇ ◇ ◇
その瞬間。
胸の奥の“鍵”が、
ごく静かに、
温度を持った。
呼び声でもない。
警告でもない。
“受け取った”という感触だけが、そこに残った。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、
そっと胸に手を当てた。
(……これは……
もう……
“連れていかれる鍵”じゃない……)
(……“戻ってくる鍵”なんだ……)
そう、
初めて――
そう思えた。
◇ ◇ ◇
空の向こうで、
ゆっくりと雲が流れていく。
世界は、何も知らない顔で、
今日も動いている。
だが――
ヒナタの“居場所”だけは、
昨日とは、確かに意味を変えていた。
それは、
閉じ込められた檻ではない。
自分で引き受けると決めた、
最初の“持ち場”だった。
ヒナタは、自分が“原因”で人が傷ついた現実から目を逸らさなかった。
逃げないと決めた場所は、安全な場所ではなく、
責任も、恐怖も、全部含めた“現実の中心”だった。
それでも彼女は、ここにいると選び直した。
鍵はもう、連れ去られるためのものではない。
“誰かを守るために戻ってくる鍵”へ、静かに意味を変え始めている。




