第6話 「底辺の特訓! 落ちこぼれ専用メニュー」
完敗。
それは、アオイ・ヒナタにとって初めて突きつけられた、純粋な“技量の差”だった。
力を封じられ、頼れるものがなくなった少女に、次に与えられたもの――
それは、誰もが目を背けたくなる“底辺専用の特訓”だった。
「――今日から貴様は、通常訓練から外れる」
朝のブリーフィングルーム。
キリサキ教官の一言に、空気がぴたりと止まった。
「え……外れる、って……?」
「落ちこぼれ専用メニューだ。
正式名称は“基礎再構築訓練”。
だが、誰もそうは呼ばん」
ざわり、と候補生たちの間に小さなざわめきが走る。
「……俗称、“底辺ルート”だ」
「……て、底辺!?」
ヒナタの声が裏返る。
「安心しろ。脱落者用ではない。
“才能が足りない者が、才能の土俵に上がるためのルート”だ」
キリサキはそう言い切ると、ヒナタだけを見た。
「アオイ・ヒナタ。
貴様は今日から三週間、地獄を見る」
「……はい!」
即答だった。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、昨日の敗北を思い出すと、逃げるという選択肢は消えていた。
◇ ◇ ◇
底辺ルートの初日。
ヒナタが連れてこられたのは、訓練校の最奥にある、ひび割れた旧式区画だった。
「ここ……なんか、幽霊出そう……」
天井の照明はまばらで、壁には何度も修理された痕跡がある。
「設備の大半は、最新式じゃない。
だがな――」
キリサキは、床に転がる巨大な鉄塊を指した。
「“重さ”だけは、最新鋭だ」
次の瞬間。
「――押せ」
「……え?」
「一人でだ」
「む、無理ですぅぅぅ!!」
鉄塊は、どう見ても数トン級。
ヒナタは半泣きになりながらも、両手と両足を使って必死に押し始めた。
「うぅぅ……っ……!」
「重心を意識しろ。体重を預けるな。
“力”ではなく“角度”で動かせ」
「そんなの、わかりませんよぉぉ……!」
だが、キリサキは容赦しなかった。
押せ。倒れろ。起きろ。
ひたすら、それの繰り返し。
一時間後。
「……もう、腕が……動きません……」
床にへたり込むヒナタ。
汗でスーツが肌に貼りつき、息も絶え絶えだった。
「次」
「ええええええ!? まだあるんですか!?」
「当たり前だ。
底辺は、最短距離で行くと死ぬ」
◇ ◇ ◇
次の訓練は――**“目隠し操縦”**だった。
「視覚情報を遮断する。
頼れるのは、音と振動と、機体からの微細なフィードバックだけだ」
「それ、私に一番不利なやつじゃないですか……!?」
「だからやる」
ヒナタは半泣きでヘルメットを装着し、暗闇のコックピットに座った。
――《視界遮断、開始》
「うわあ……何も見えない……」
「動け」
「いきなりですかぁぁ!?」
慎重にスロットルを操作すると、機体がごくゆっくりと前に進む。
だが、次の瞬間――
――ゴンッ!
「いったああああ!!? ぶつかりましたぁ!!」
「今のは“音”を聞き逃した」
「音!? 心臓の音しか聞こえません!」
「それが聞こえすぎなんだ」
キリサキは淡々と言う。
「貴様は、常に自分の鼓動に振り回されている。
だから感情と出力が直結する。
まずは――“自分の音”から離れろ」
「自分の音から……?」
ヒナタは必死に呼吸を整えた。
耳を澄ませる。
機体の駆動音。
床との摩擦音。
遠くで鳴る、他の訓練施設の振動音――。
(……あ)
さっきまで聞こえなかった“世界の音”が、少しずつ戻ってくる。
「……右、壁ありますね」
「正解だ。止まれ」
その一言に、ヒナタの胸が小さく跳ねた。
(……できた。
ほんの少しだけど……)
◇ ◇ ◇
夕方。
全身が鉛のように重くなったヒナタは、旧式区画の床に大の字で倒れていた。
「……今日、もう無理です……」
「まだ半日分だ」
「鬼ですか……」
そこへ、小さな拍手が響いた。
「へぇ……思ったより、ちゃんとやれてるじゃない」
振り向くと、区画の入り口にユズハ・クロネが立っていた。
「ユズハさん……」
「底辺ルート、初日で泣いて帰ると思ってた」
「ちゃんと泣きそうでしたよ……心の中で……」
ユズハはくすっと笑うと、ヒナタの近くに腰を下ろした。
「ねえ、ヒナタ。
“力がない時間”ってさ、すごく怖いでしょ」
「……はい」
「でもね。
そこにしか、身につかないものもある」
「身につかないと、困るんです……」
ヒナタは空を見上げた。
「だって私、もう一回、ミサキさんに勝ちたいんです。
力なしで」
その言葉に、ユズハはほんの少しだけ、目を細めた。
「……いい顔になってきたじゃない」
◇ ◇ ◇
その日の夜。
一人で区画に残っていたヒナタは、再び鉄塊の前に立っていた。
「……角度で、動かす……」
両手をかけ、息を整え、重心をずらす。
――ギィ……。
「……っ!」
ほんの数センチ。
だが、確かに鉄塊が動いた。
「……やった」
小さな、誰も見ていない勝利。
でも、ヒナタの胸の奥には、確かな火が灯った。
(今は、“小さく”でいい。
でもこの小ささを、いつか――
誰よりも大きくしてやるんだから)
汗まみれの少女は、静かに拳を握りしめた。
強さは、派手な力の中にだけあるわけじゃない。
見返りもなく、誰にも気づかれず、それでも積み重ねる時間の中にも宿る。
アオイ・ヒナタは今日、初めて“静かな努力”の重さを知った。
それはまだ、誰にも見えない小さな変化。
だが確実に、彼女は次の段階へと踏み出している。




