第59話 「逃げ場のない半径」
逃げれば助かる危険は、
まだ“外”にある。
逃げても離れない危険は、
もう“自分の内側”にある。
地球連合・臨時対策本部。
ヒナタは、円形の会議卓の中央に立たされていた。
周囲を囲むのは、
軍、医療、研究、治安の各部門代表。
どの顔にも、
はっきりと“緊張”が浮かんでいる。
◇ ◇ ◇
「……結論から言います」
研究主任が、硬い声で言った。
「……アオイ・ヒナタ少尉の周囲、
半径50メートルが、常時・干渉危険区域に指定されます」
部屋の空気が、一段階重くなった。
◇ ◇ ◇
「……50メートル……?」
ヒナタは、小さく繰り返した。
「……それって……
学校一棟分……くらい……?」
「……はい……
避難、封鎖、磁場安定化装置の常設……
すべてが必要になります」
研究主任は、ためらいなく続ける。
◇ ◇ ◇
「……つまり……」
ヒナタは、ゆっくりと理解していった。
「……私が……
“いるだけ”で……
危ない……ってこと……?」
一瞬の沈黙。
誰も、すぐには否定できなかった。
◇ ◇ ◇
「……違う……!」
その沈黙を破ったのは、チサだった。
「……危ないのは……
ヒナタじゃない……!」
会議室中の視線が、チサに集まる。
「……“向こう側”が……
まだ……
あきらめてないだけ……!」
◇ ◇ ◇
しかし、治安部門の男性が、静かに言った。
「……言葉の問題ではありません……
結果として……
“彼女の存在が引き金になる”
可能性があることは、事実です……」
その一言は、
ヒナタの胸に、ひどく重く突き刺さった。
◇ ◇ ◇
「……じゃあ……」
ヒナタは、かすれた声で言った。
「……私……
もう……
街……歩けない……?」
「……原則……
単独行動は禁止です……」
「……買い物も……?」
「……護衛付きで……」
「……屋上も……?」
「……監視下で……」
一つ一つ、
“当たり前”が、静かに奪われていく。
◇ ◇ ◇
「……それって……」
ヒナタは、ぽつりと言った。
「……戦場に……
戻ったのと……
同じじゃん……」
誰も、否定できなかった。
◇ ◇ ◇
会議終了後。
仮設居住区・移動制限エリア。
ヒナタは、フェンス越しに、
自由に行き交う人々を見ていた。
50メートルの境界線。
そこから外は、
“普通の世界”。
内側は――
ヒナタだけの、戦場跡地。
◇ ◇ ◇
「……ねえ……」
ヒナタは、チサに言った。
「……私……
帰ってきたつもりだったけど……」
一拍。
「……結局……
ずっと……
“戦争の中”にいる気がする……」
◇ ◇ ◇
チサは、フェンスを強く握った。
「……それ……
あんたの戦争じゃない……」
「……でも……
あんたが……
“戦場の目印”に……
されてるだけ……」
◇ ◇ ◇
レイが、静かに続ける。
「……半径50メートルというのは……
“危険の距離”であると同時に……」
一拍。
「……“守ると決めた距離”でもあります……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、その言葉を、
何度も心の中で反芻した。
(……守ると……決めた……距離……)
◇ ◇ ◇
そのとき、
フェンスの向こうを、
小さな子どもが走っていった。
無邪気な声。
何も知らない笑顔。
ヒナタは、思わず一歩、前へ出かけ――
フェンスに、静かにぶつかった。
届かない。
◇ ◇ ◇
「……私……」
ヒナタの声が震える。
「……“近づいたら危ない存在”に……
なっちゃったんだね……」
◇ ◇ ◇
チサは、ヒナタの横に並んだ。
「……違う……」
「……近づいたら危ないのは……
“あんた”じゃなくて……
“あんたを狙う”やつだ……」
◇ ◇ ◇
「……でも……」
ヒナタは、フェンスを見つめたまま言った。
「……それ……
世界から見たら……
もう……
違いなんて……
分からないよ……」
◇ ◇ ◇
遠くで、磁場安定化装置が低く唸り始める。
ヒナタの“半径”が、
今日から正式に、
世界に守られる檻になった瞬間だった。
ヒナタは、
その音を聞きながら、
心の中で、静かにつぶやいた。
(……私……
どこまで……
行けなくなっていくんだろ……)
それは、
逃げ道を失っていく音だった。
ヒナタの行動範囲は、半径50メートルに制限された。
それは保護であり、同時に隔離でもある。
街を歩けないことよりもつらいのは、
“近づくことが危険だと判断された存在”になったことだった。
彼女は戦場から帰ってきたはずなのに、
世界のほうが、彼女を戦場に縛りつけ始めている。




