第56話 「新しい鍵」
扉が閉じたと思ったとき、
人は安心する。
けれど本当は、
そのとき初めて“次の鍵”が生まれている。
地球連合医療研究棟・特別観測室。
白い光に満ちた部屋の中央で、
ヒナタは検査台に横たわっていた。
「……体調は、どうですか?」
年配の女性医師が、穏やかな声で問いかける。
「……元気……って言いたいけど……」
ヒナタは、少しだけ考えてから答えた。
「……たまに……
自分が……
遠くに引っ張られる感じがします……」
チサとレイが、同時に顔を上げる。
◇ ◇ ◇
「……遠く……?」
レイが、慎重に言葉を選ぶ。
「……夢……のような感覚ですか……?」
「……ううん……
もっと……
“呼ばれてる”感じ……」
ヒナタは、胸の奥に手を当てた。
「……静かなのに……
すごく……はっきりしてる……」
◇ ◇ ◇
医師は、端末を操作しながら小さく息を吐いた。
「……やはり……
エクリプス起動の影響が……
完全には……抜けていませんね……」
「……影響……」
チサの声が、低くなる。
◇ ◇ ◇
スクリーンに、波形のようなデータが映し出される。
「……ヒナタさんの体内には……
極微量ですが……
“第三勢力由来の干渉残留”が観測されています……」
「……それって……」
「……簡単に言えば……
あなたは……
“向こう側と、ほんの少しだけ……
つながったまま”です……」
言葉が、部屋に重たく落ちた。
◇ ◇ ◇
「……つながったまま……」
ヒナタは、苦笑した。
「……なんか……
切り忘れたケーブルみたい……」
その冗談に、
誰もすぐには笑えなかった。
◇ ◇ ◇
「……危険なんですか……?」
チサが、まっすぐ聞く。
医師は、少し間を置いてから答えた。
「……今すぐ命に関わるものでは……
ありません……」
「……ただ……」
一拍。
「……これを“鍵”にして……
再び干渉が起きる可能性は……
否定できません……」
◇ ◇ ◇
「……鍵……」
ヒナタは、小さくつぶやいた。
(……やっぱり……
あの戦争……
完全には……終わってなかった……)
◇ ◇ ◇
そのとき、
部屋の照明が、わずかに明滅した。
誰も操作していないのに、
スクリーン上の波形が、大きく跳ね上がる。
――《異常干渉、微弱検出》
「……今……?」
レイの声が、緊張を帯びる。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
ヒナタの視界が、わずかに歪んだ。
白い天井の向こうに、
“違う空”が、ほんの一瞬だけ重なって見える。
「……ッ……!」
ヒナタが、身を起こす。
「……今……!」
「……なに……?」
「……向こう……
見えた……」
チサの顔が、さっと青ざめる。
◇ ◇ ◇
「……どんな……」
「……静かな……
星のない空……」
ヒナタの声が、震える。
「……でも……
“誰か”が……
立ってる気がした……」
◇ ◇ ◇
医師が、即座に操作を始める。
――《残留干渉、急激上昇》
――《ただし、三秒後に消失》
数値は、あっという間に平常値へ戻った。
◇ ◇ ◇
室内に、重たい沈黙が落ちる。
「……今の……
向こう側から……
“ノック”されたような……」
レイの声が、かすかに揺れる。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、自分の手を見つめた。
「……ねえ……」
ゆっくり、顔を上げる。
「……私が……
戻ってきたの……
本当に……
“終わり”だったのかな……」
チサは、一瞬だけ言葉に詰まり――
それでも、ゆっくりと答えた。
「……今は……
“終わった”」
一拍。
「……でもさ……
“続きが起きない”とは……
誰も……言ってない……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、目を伏せた。
「……私……
また……
引っ張られるのかな……」
その言葉に、
レイの声が、静かに重なる。
「……引っ張られるなら……
今度は……
“戻る道を作ってから”……
行きましょう……」
◇ ◇ ◇
チサは、ヒナタの肩に、そっと手を置いた。
「……一人で……
消えたり……
しないでよ……」
ヒナタは、少しだけ笑った。
「……うん……
今度は……
勝手に……消えない……」
その声には、まだ不安が滲んでいた。
それでも、確かに“戻れる側”の声だった。
◇ ◇ ◇
窓の外で、復興用の補給艇が通過していく。
平和な日常の音。
だが、その裏側で――
“もう一つの扉”は、確実にノックされ始めていた。
ヒナタの体には、バスター・エクリプスの“名残”が鍵として残っていた。
それは今すぐの危機ではない。
だが、確実に“次の扉へ通じる違和感”でもある。
戦争は終わった。だが干渉は、完全には終わっていない。
第3部はここから、静かな日常の中に忍び寄る
“次の異変”を描き始める。




