第55話 「戻れない場所」
人は、
帰るために戦うことはできる。
けれど、
“同じ場所に戻る”ことまでは、
誰も約束してくれない。
地球連合・旧出身区画、第三区。
ヒナタは、チサとレイと並んで、
ひとつの更地の前に立っていた。
「……ここ……」
ヒナタの声が、わずかに揺れる。
「……前……
私の家……
あったところ……」
かつて、木造の小さな住宅があった場所。
裏庭には、家庭用の小さな太陽光パネル。
ドアの立てつけが悪くて、
開けるたびに、きいっと音が鳴った。
今は、
灰色の地面と、復興計画用の標識だけが立っている。
◇ ◇ ◇
「……立ち退きは……
かなり早い段階で……」
レイが、静かに説明する。
「……避難対象区域に指定されて……
戦争末期には……
完全に……」
言葉は、それ以上続かなかった。
続けなくても、分かってしまうからだ。
◇ ◇ ◇
「……そっか……」
ヒナタは、うなずいた。
「……家……
なくなったんだ……」
驚きも、叫びもない。
ただ、現実として受け入れるしかない静かな声。
「……でも……
分かってた……
分かってたよ……」
拳を、ぎゅっと握る。
「……戦場に行くって……
そういうことだって……」
◇ ◇ ◇
しばらく、三人とも黙ったまま、
風に揺れる標識の音を聞いていた。
カラン、と小さな金属音。
それが、
ヒナタの過去と今を、
区切る鐘の音だった。
◇ ◇ ◇
「……ねえ……」
ヒナタが、ふいに言った。
「……戻るってさ……
“元の場所に帰る”って意味だと思ってた……」
チサは、何も言わずに聞いている。
「……でも……
元の場所が……
もう……なくなってたらさ……」
一拍。
「……私は……
どこに……
“戻った”んだろう……」
その問いは、
誰にもすぐには答えられなかった。
◇ ◇ ◇
レイが、静かに言った。
「……場所じゃ……
ないんじゃないですか……」
「……え……?」
「……戻ったのは……
“時間”かもしれません……」
ヒナタは、きょとんとする。
◇ ◇ ◇
「……ヒナタさんは……
“生きている時間”に……
戻ってきました……」
「……戦争の途中で……
止まってしまった……
“続きの時間”に……」
レイの言葉は、
ゆっくりと、胸に染み込むようだった。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、もう一度、更地を見つめた。
「……私……
この場所に……
“帰りたい”って……
思ってたんだ……」
「……でも……
帰れなかった……」
声が、少し震える。
◇ ◇ ◇
「……でもさ……」
チサが、前に一歩出た。
「……あんたが……
“ここに戻ろう”って思えたなら……」
一拍。
「……それを……
“帰ってきた”って……
言っても……
いいんじゃない……?」
ヒナタは、驚いてチサを見る。
◇ ◇ ◇
「……だって……
あんた……
一回……
本当に……
“この世界から消えた”んだよ?」
「……それでも……
また……
“帰ろう”って……
思えたんだ……」
「……それって……
すごいこと……だと思う」
チサの声は、
静かだったけれど、強かった。
◇ ◇ ◇
ヒナタの目に、
ゆっくりと、涙が浮かんだ。
「……チサ……」
「……なに?」
「……私……
戻れなかったって……
思ってたけど……」
一粒、涙が落ちる。
「……戻ろうとしたって……
思っても……
いいのかな……」
◇ ◇ ◇
チサは、何も言わずにうなずいた。
レイも、同じようにうなずく。
それだけで、
ヒナタの胸は、少し軽くなった。
◇ ◇ ◇
ヒナタは、更地の中央に、小さな石をひとつ置いた。
「……ここに……
私の“前の家”があったって……
忘れないように……」
目印でも、墓標でもない。
ただの、ひとつの石。
それで、十分だった。
◇ ◇ ◇
帰り道。
ヒナタは、空を見上げた。
「……ねえ……
私……
どこに……
帰ればいいんだろ……」
その問いに、
レイは優しく答えた。
「……今は……
“一緒に帰れる場所”へ……」
チサが、少し照れくさそうに言う。
「……仮設住宅でも……
屋上でも……
どこでもさ……」
一拍。
「……あんたが……
“帰りたい”って……
思ったところが……
帰る場所……」
◇ ◇ ◇
ヒナタは、少し考えてから、
小さく笑った。
「……じゃあ……
今日は……
屋上に……
帰ろっか……」
「……了解」
「……了解です」
三人は、並んで歩き出した。
もう戻れない場所を背に、
まだ名前のない“帰り道”へ向かって。
ヒナタが戻りたかった場所は、もう地図の上には存在しなかった。
だが「戻れない」という事実と向き合ったとき、
彼女は初めて、“戻ろうとした自分”を肯定することができた。
場所は失われても、帰ろうとする意志は失われない。
帰還とは、座標ではなく、選び続ける方向なのかもしれない。




