第40話 「越境」
越えてはいけない一線は、地図には描かれない。
それは、戻れなくなると知りながら、
それでも踏み出した者だけが知る境界線だ。
アステリア防衛線・極秘出撃ゲート。
チサとレイの機体が、並んで発進待機していた。
通常のワープゲートとは形状が違う。
まるで“空間そのものが裂けている”かのような、不安定な光の裂け目。
――《第三勢力宙域接続ポイント、形成開始》
「……これが……
ヒナタが、消えた場所……」
チサの声は、かすかに震えていた。
「……戻ろうと思えば、今なら戻れます」
レイが、静かに言う。
「……でも……」
チサは、操縦桿を握り直した。
「……ここまで来て、
戻る理由は……もうない」
レイも、同じように操縦桿を握る。
◇ ◇ ◇
――《警告:当該宙域は人類物理法則適用外》
――《警告:帰還保証なし》
無機質なアナウンスが、何度も繰り返される。
「……すごいよね」
チサが、ふっと小さく笑った。
「……ヒナタ……
こんなところに……
一人で飛び込んだんだ……」
「……一人じゃ、ないですよ」
レイの声は、意外なほど落ち着いていた。
「……今からは……
私たちも、一緒です」
◇ ◇ ◇
――《回収作戦部隊、越境準備完了》
管制官の声が、最後の確認を告げる。
「……仮配属第一小隊、チサ班」
一拍。
「……生存を最優先とせよ。
これは命令ではない。
……願いだ」
「……了解」
チサとレイの声が、ほぼ同時に重なる。
◇ ◇ ◇
機体が、ゆっくりと前進する。
裂け目の奥から、見たことのない光があふれ出してくる。
星でも、闇でもない――
“概念が歪んだ色”。
「……なんか……
世界に、絵の具をぶちまけたみたいだね……」
「……綺麗……とは、言いにくいですね……」
二人の会話は、どこか現実感がなかった。
◇ ◇ ◇
境界線に、機体が触れた瞬間。
――《座標系、崩壊》
――《時間基準、再定義》
「……っ……重力……上下が……!」
「……チサさん!
計器が……!」
表示される数値が、意味を失っていく。
前も後ろも、遠近も、
“人類の感覚そのもの”が崩れていく。
(……これが……
ヒナタが、見ていた景色……)
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
二人の機体は、何もない空間に“落ちた”。
上下の概念が消え、
推進しているのか、停止しているのかすら分からない。
「……進んでるの……?
止まってるの……?」
「……多分……
“両方”です……」
レイの返答も、どこか曖昧だった。
◇ ◇ ◇
そのとき、宙域の“奥”から、微かな光が一つ、近づいてきた。
「……あれ……?」
「……通信波形……
人類規格じゃない……」
光は、ゆっくりと形を成す。
それは――
ヒナタが見ていた“削除の光”と同質のものだった。
「……第三勢力……?」
次の瞬間。
――《識別信号、照合中……》
空間そのものから、直接“声”が響いた。
――《侵入確認》
――《回収行動、検知》
圧倒的な“視線”を感じる。
まるで、宇宙そのものに見られているような感覚。
「……見つかったね」
チサは、唇を噛みしめる。
「……でも……」
操縦桿を、わずかに前へ倒した。
「……ここまで来たら……
引き返さない」
「……はい」
レイの声も、揺れてはいない。
「……連れて帰りましょう。
ヒナタさんを」
◇ ◇ ◇
第三勢力の光が、二人の前に大きく広がった。
それは“敵意”でも“歓迎”でもない。
ただ――
“試すための関門”だった。
「……来るよ」
「……ええ」
二機は、未知の光の中心へ、真正面から突っ込んでいった。
それが、
ヒナタへと続く、最初の“越境”だった。
越境とは、場所を移動することではない。
それまで信じていた“世界のルール”を、置いていく行為だ。
チサとレイは今日、人類の戦場を背にして、
ヒナタが生き続けた異質な領域へと踏み込んだ。
もう後戻りはできない。
だが、それでも二人は前へ進む。
“誰かを連れ帰る”という、たった一つの理由のために。




