第36話 「チサの覚悟」
守るという言葉は、美しい。
だが、守るために何かを捨てる瞬間、
その言葉は、刃のように胸を切り裂く。
アステリア防衛線・崩壊寸前宙域。
チサの機体は、ただ一機で前に出ていた。
背後には、損傷して動けないレイの機体。
さらにその奥には、避難がまだ終わっていない最後のコロニー群。
「……チサさん……後退を……!」
レイの声は、ノイズ混じりで、かすれている。
「……だめ。
ここ、誰かが立たないと……」
チサの声は、意外なほど落ち着いていた。
(……ヒナタ……
あんたも……
こんな顔して、前に出たのかな……)
◇ ◇ ◇
正面には、超級個体《支配種》の巨影。
空間そのものを歪めるほどの圧力。
接近するだけで、機体が悲鳴を上げる。
――《推進炉負荷、臨界》
(……逃げたら……
後ろが、全部……)
チサは、深く息を吸った。
「……司令部。
仮配属第一小隊、チサ班より通達」
――《受信》
「……この宙域、
私が塞ぎます」
一瞬の沈黙。
――《正気か?》
「……正気です」
チサは、はっきりと言った。
「……レイは後退不能。
コロニーのワープ準備には、あと三分必要」
そして、声を低くする。
「……三分、
私が持たせます」
◇ ◇ ◇
そのとき、レイが叫んだ。
「……チサさん!!
それ……ヒナタさんと、同じやり方じゃ……!」
「……知ってる」
チサは、小さく笑った。
「……でもね、
あの子がいない今、
同じ場所に立てる人は……私しかいない」
「……戻ってきたら……
どうするんですか……」
その問いに、チサは一瞬だけ言葉を失い――
そして、静かに答えた。
「……怒られるね」
それは、冗談のようで、祈りのような言葉だった。
◇ ◇ ◇
チサの機体が、超級個体の前に真正面から立つ。
ヒナタの“受け流し”とは違う。
チサの戦い方は、“正面から耐え、必死に逃がす”戦いだ。
――ドォン!!
最初の一撃で、左腕部が大破。
「……くっ……!」
それでも、チサは退かない。
(……ヒナタは……
“避けて”守った……
私は……
“受けて”守る……)
噛みしめた歯から、血の味がした。
◇ ◇ ◇
二撃目。
今度は、機体中央部を直撃。
――《動力出力、三割以下》
「……まだ……!」
三撃目。
衝撃で、視界が白く弾ける。
――《操縦系、部分遮断》
(……怖い……)
心の奥に、はっきりとした恐怖が湧き上がる。
(……でも……)
ヒナタの背中が、脳裏に浮かぶ。
何度も、
何度も、
“怖い顔で前に出た背中”。
(……あんたがやったなら……
私も、やるよ……)
◇ ◇ ◇
「……レイ……」
チサは、かすれる声で通信を入れる。
「……はい……」
「……コロニーは……?」
「……ワープ準備、完了……です……!」
その言葉に、チサの胸が、じんわりと熱くなる。
「……じゃあ……
あとは……」
超級個体が、最後の一撃を構える。
避けられない。
受け止めれば、機体は確実に砕ける。
(……三分……
守れた……)
「……レイ……」
「……はい……」
「……ヒナタが……
帰ってきたら……」
一拍。
「……“おかえり”って……
ちゃんと言ってあげて……」
「……はい……
必ず……」
◇ ◇ ◇
超級個体の一撃が、振り下ろされる。
それは、チサの“死”を意味する一撃だった。
だが――
――《重力歪曲、異常発生》
空間が、ねじれる。
「……なに……?」
次の瞬間。
超級個体の一部が、“消えた”。
切断でも、爆発でもない。
“そこにあったはずの質量そのものが、消失した”かのような現象。
「……これ……
ヒナタの……?」
だが、違う。
これは――
ヒナタの“受け流し”を、さらに極端に拡張したかのような現象。
◇ ◇ ◇
――《第三勢力艦、戦場介入》
低く、落ち着いた声が、全周波通信に乗った。
――《超級個体、制圧対象に指定》
「……来た……?」
続いて、さらに異質な声。
「……やっと……間に合った……」
その声を聞いた瞬間、
チサの胸に、はっきりとした確信が生まれた。
(……ヒナタじゃない……
でも……
“あの子の道”の、先にいる人だ……)
第三勢力の攻撃が、超級個体を包み込む。
空間ごと、ねじり潰すかのような一撃。
――完全制圧。
◇ ◇ ◇
戦闘終了。
コロニーは、無事にワープアウト。
チサの機体は、もはや「飛行」と呼べない状態で、
ゆっくりと後退していった。
「……チサさん……
生きてます……?」
レイの声が、震える。
「……生きてる……」
チサは、ようやく息を吐いた。
「……あんたに……
“おかえり”って言う相手……
まだ、返したくないから……」
その言葉の意味を、
レイは、はっきりと理解していた。
チサは今日、ヒナタと同じ場所に立った。
逃げず、避けず、ただ塞ぐという選択。
それは、誰かの居場所を守るための、最も痛みを伴う決断だった。
ヒナタの背負った役割は、確かに今、別の少女へと受け継がれた。
だがその席は、まだ“帰りを待つ場所”のままである。




