第35話 「崩れ始める戦線」
戦線は、音もなく壊れ始める。
それは爆発でも、悲鳴でもない。
“間に合わなくなる”という静かな終わり方だ。
アステリア防衛線・第三警戒宙域。
無数の警告表示が、指揮スクリーンを赤く染めていた。
――《敵性反応、全域同時多発》
――《迎撃部隊、対応限界超過》
「……来すぎてる……」
チサの声は、かつてないほど低かった。
隣には、レイ。
その後方に、臨時編成された別班の機体。
だが――数が、まるで足りない。
◇ ◇ ◇
「ヴォイドの動き、変わってきてる……」
レイが、冷静に分析する。
「今までは“群れ”だった。
でも、これは――」
「……“戦術”だね」
チサの言葉に、現実味のない響きが混じる。
斥候級、迎撃級、妨害特化型。
それぞれが、役割を分担するように陣形を組んでいる。
「……誰かが、指揮してる……」
その“誰か”が何なのか、考える余裕はなかった。
◇ ◇ ◇
「中央宙域、突破されます!」
通信が、悲鳴のように割り込む。
「第二防衛ライン、崩壊!」
「避難コロニー、ワープ準備未完了!」
チサの喉が、ひくりと鳴る。
(……また……
同じ……)
ヒナタがいない戦場で、
“退かせる判断”を、今度は自分が下さなければならない。
「……レイ!」
「……はい」
「右翼、切り捨てる。
中央と左に、全戦力集中!」
一瞬の沈黙。
「……了解」
その返事は、ためらいのないものだった。
◇ ◇ ◇
戦場は、一気に地獄へと変わった。
切り捨てられた右翼宙域。
そこに残っていた小型哨戒艇が、通信を飛ばす。
「た、助けてくれ……!」
「まだ……人が……!」
「……っ……!」
チサの指が、操縦桿の上で震える。
(……また……
選ぶのか……)
だが、彼女は歯を食いしばった。
「……全機、前進!
中央突破を阻止する!」
命令は、戦場全体へと飛んだ。
◇ ◇ ◇
激戦。
爆光。
衝撃。
絶え間ない損傷報告。
「チサ! 左舷被弾!」
「推進系、落ちます!」
「……レイ、カバーお願い!」
「……了解!」
レイの機体が、正確無比な動きで、チサの死角に滑り込む。
攻撃を受け流し、
ほんの一瞬だけ“間”を作る。
(……似てきた……
ヒナタの戦い方に……)
チサの胸に、かすかな錯覚がよぎる。
(……あんた……
ここに、いたでしょ……?)
◇ ◇ ◇
だが、その錯覚はすぐに打ち砕かれた。
――《大型反応、急接近》
――《分類不明、超級個体!》
空間そのものが、歪む。
ヒナタが対峙した“死神”より、さらに巨大な影。
「……こんなの……
本部の想定に……!」
「……チサさん、
これ、今の戦力じゃ……」
「……分かってる……!」
チサは、奥歯を噛みしめた。
(……ヒナタがいたら……
あの子なら……)
その思考が、またも胸を締めつける。
(……違う……
今は……私が……)
◇ ◇ ◇
「……全機、散開!」
瞬間。
超級個体の一撃が、宙域を薙ぎ払う。
――ドォォォン!!
回避が、半拍遅れた。
「……レイ!」
レイの機体が、衝撃に弾かれ、姿勢を崩す。
――《レイ機、姿勢制御不能》
――《推進炉、緊急停止》
「……まだ……生きてます……」
通信は、かすれていた。
「……ヒナタさんの席……
まだ……返せませんから……」
「……!」
チサの視界が、滲む。
「……レイ! 絶対に死なないで!」
「……それ、
ヒナタさんの口癖ですね……」
弱く、笑う声。
◇ ◇ ◇
正規艦隊の増援は、まだ遠い。
超級個体は、なおも前進を続ける。
その背後には――
避難が終わっていない、最後のコロニー群。
「……止めるしか……ない……」
チサは、震える手で操縦桿を握り直した。
「……ヒナタ……」
声にならない名前が、喉で消える。
(……今度は……
私が、塞ぐ番だ……)
チサの機体が、単独で前進した。
戦線は、少しずつ、しかし確実に崩れていく。
ヒナタのいない戦場で、チサは再び“選ぶ役目”を引き受けていた。
守るために切り捨て、残すために塞ぐ。
それはかつて、ヒナタが背負った役割そのものだ。
そして今、その重さが、別の少女の肩にのしかかり始めている。




