第27話 「目覚める場所」
意識が戻るとき、人はまず“音”を聞く。
次に“匂い”を知り、最後に“場所”を理解する。
少女はまだ知らない。
ここが、かつての戦場とも、人類の領域とも違う場所だということを。
最初に聞こえたのは、低く、規則正しい機械音だった。
――ピ……ピ……ピ……
次に、ひどく静かな空気の流れ。
そして、微かな薬品の匂い。
「……」
ヒナタは、意識の底からゆっくりと浮かび上がってくる感覚を覚えていた。
(……生きてる……?
それとも……死んだ……?)
まぶたが、ひどく重たい。
(……チサ……
ユウ……)
最後に見たのは、砲撃の光。
そして――叩きつけられる衝撃。
そこからの記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。
「……ん……」
かすかな声が、喉から漏れる。
次の瞬間。
「――反応、確認」
低く、落ち着いた声が、すぐ近くで響いた。
「意識回復レベル、基準値以内」
(……声……男の人……?)
ヒナタは、必死にまぶたを押し上げた。
白い天井――ではない。
有機的とも、金属ともつかない、奇妙な光沢の壁。
「……ここ……どこ……?」
声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
「安心しろ。
少なくとも、今ここで死ぬことはない」
視界が、少しずつ焦点を結ぶ。
そこに立っていたのは――
黒い外套をまとった、長身の男。
顔は影に隠れているが、ただならぬ雰囲気だけは、はっきりと伝わってくる。
「……あなた……誰……?」
ヒナタの問いに、男は一拍置いて答えた。
「この艦の管理責任者だ。
名は、イリオス」
(……艦……?)
「……私は……捕まった……?」
ヒナタは、恐る恐る尋ねた。
「捕虜という扱いではない」
イリオスは、淡々と答える。
「正確には――“回収対象”だ」
「……回収……?」
「君の機体は、ほぼ完全に破壊されていた。
脱出信号も、通常の部隊では拾えないほど弱かった」
彼は、ヒナタの足元に目を向けた。
「だが、君自身は、驚くほど無事だ」
ヒナタは、そっと自分の手を見る。
確かに、痛みはある。
だが、失っているものは、なかった。
「……私……
どうして……」
「生存能力が、高すぎるからだ」
イリオスは、短く言い切った。
「機体の損傷、被弾角度、衝撃の分散。
すべてが、“死なない配置”に近い」
ヒナタは、言葉を失った。
(……そんなこと……
考えた覚え、ないのに……)
「……ここは……敵の船?」
恐る恐る、そう聞く。
イリオスは、少しだけ口角を上げた。
「君の言う“味方”でも、“敵”でもない」
「……?」
「我々は、人類防衛軍でもなければ、
ヴォイドでもない」
背後の壁に、薄く光る紋様が浮かぶ。
「第三勢力――
そう呼ぶのが、一番近いだろう」
ヒナタの胸が、どくんと鳴った。
(……私……
とんでもない所に……)
◇ ◇ ◇
数時間後。
最低限の応急処置を終えたヒナタは、簡易ベッドに座っていた。
部屋の扉は閉じているが、施錠されている様子はない。
(逃げられる……?
でも……どこへ……?)
艦内の空気は、妙に静かだった。
そのとき、再び扉が開く。
「……体調はどうだ」
イリオスだ。
「……生きてるって感じは、します」
「それで十分だ」
彼は、静かに椅子へ腰を下ろした。
「君の部隊は、すでに後退した」
ヒナタの胸が、きゅっと締まる。
「……チサは……?
ユウは……?」
「もう一人の脱出信号は、回収されている。
命に別状はない」
「……っ……!」
思わず、息が漏れた。
「……よかった……」
だが次の言葉が、胸に突き刺さる。
「君だけが、戦場に取り残された」
事実として告げられた、その言葉。
(……置いていかれた……
でも……逃がしたんだ……)
ヒナタは、唇を噛みしめた。
「……私……戻らなきゃ……」
「今の君に、それは不可能だ」
イリオスは、即答した。
「君の身体は回復途中。
そして君の世界は、すでに“次の段階”へ移行しつつある」
「……どういう……」
「ヴォイドは、進化を始めた。
あの戦いは、ただの前触れに過ぎない」
ヒナタの背筋を、冷たいものが走る。
(……チサたちは……
そんな世界で……)
◇ ◇ ◇
ヒナタは、ぎゅっと拳を握った。
「……私は……
帰らなきゃ……」
その声は、弱々しいが、はっきりしていた。
イリオスは、ゆっくりと立ち上がる。
「帰りたいのなら、力をつけろ」
「……力……?」
「君が今使っている戦い方――
“受け流し型”」
その言葉に、ヒナタははっとした。
「……知ってるんですか……?」
「知っている。
そして――評価している」
イリオスの声が、初めて僅かに熱を帯びた。
「力で勝てない者が、
“流れそのものを書き換える戦い方”」
ヒナタの胸が、どくんと跳ねる。
「……あなたたちは……
私を、どうするつもりですか……」
イリオスは、短く答えた。
「育てる」
「……え……?」
「そして、
来たる“本当の戦争”に備える」
その言葉は、あまりに静かで、
それでいて――あまりに大きな意味を含んでいた。
目覚めた場所は、味方でも敵でもない宙だった。
アオイ・ヒナタは今日、自分が“戦場から回収された存在”であることを知る。
帰れない距離と、迫りくる次の戦い。
その狭間で、少女はもう一度問われる。
――帰るために、どこまで強くなるのか。




