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トップを越えろ!  作者: たむ


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第16話 「心が折れる日――ヒナタ、初めて泣く」

負けたことがある者は、次の一歩を知っている。

だが、本当に何も届かなかった敗北は、人の心そのものを試す。

少女は今日、初めて“立ち上がれない夜”と向き合う。

 医療ブロックは、夜になるとひどく静かだった。


 ベッドの上で、ヒナタは天井を見つめたまま、指一本動かせずにいた。


(……負けた)


 それだけが、何度も頭の中で繰り返される。


 シキ・クロウ。

 あの完璧な間合い。

 オーバードライブに入る“瞬間の癖”。

 それを、まるで最初から知っていたかのように叩き潰された。


(私……考えてたつもりだったのに……

 感じて、動いてたつもりだったのに……)


 何もかもが、“つもり”だった。


 ドアの開く音がしても、ヒナタは振り向かなかった。


「……ヒナタ」


 チサの声だった。


「……怪我、もう大丈夫だって。

 明日から、普通に訓練戻れるって……」


「……そっか」


 短く返事をしたつもりだったが、声は自分でも驚くほどかすれていた。


 チサは、しばらく黙ったまま、椅子に腰かけた。


「……悔しいよね」


「……うん」


「怖いよね」


「……うん」


「それでもさ……」


 チサは言葉を探すように、一度視線を落とした。


「ヒナタは、ちゃんと前に出たよ」


 その一言に、胸の奥に溜まっていた何かが、わずかに揺れた。


「……前に出ただけじゃ、何も変わらなかった」


 ヒナタは、ぽつりと呟く。


「努力しても、考えても、

 ああいう人の前に立ったら……

 全部、意味ないみたいだった」


 チサは、何も言えなくなった。


◇ ◇ ◇


 消灯後。


 ヒナタは、そっと医療ブロックを抜け出した。


 足は、無意識に旧式区画へ向かっていた。


 照明の間引かれた、薄暗い空間。

 そこにある、いつもの鉄塊。


「……毎日、ここに来ても」


 ヒナタは、静かに両手をかける。


「……あんな人たちは、見てすらいないんだよね」


 押す。


 ――ギィ……。


 わずかに、動く。


 だが今日、その音は、ひどく虚しく響いた。


「……越えられないよ」


 声が、震えた。


「どれだけやっても、

 どれだけ負けても……

 あんなの……」


 押す力が、抜けていく。


「……あんなの、どうやって越えるの……」


 膝が、床についた。


 そして、そのまま――崩れるように座り込んだ。


「……やめたい、わけじゃない」


 小さな声。


「……でも……進んでも、意味がないなら……」


 その瞬間。


 視界が、にじんだ。


「……!」


 何かが、頬を滑り落ちる。


「……あ」


 それが涙だと気づいたときには、もう止まらなかった。


「……なんで……」


 声が、途切れ途切れになる。


「……こんなに……やってるのに……」


 拭っても、拭っても、落ちてくる。


 鉄塊の前で、

 誰にも見られず、

 誰にも聞こえない声で、

 ヒナタは初めて――泣いた。


◇ ◇ ◇


 その様子を、少し離れた場所からユズハが見ていた。


(……来た)


 焦りも、止める動きも、なかった。


(この涙は……

 止めちゃいけないやつ)


 さらに奥の影には、別の人物もいた。


 キリサキだった。


 だが彼も、何も言わない。

 ただ、腕を組んだまま、動かない。


(……ここを越えられるかどうかは)


 キリサキは、心の中でだけ呟いた。


(……あいつ自身が、決める)


◇ ◇ ◇


 どれくらいの時間が経ったのか、ヒナタには分からなかった。


 涙は、やがて止まり、

 代わりに、深い疲労だけが残った。


「……私、弱いなぁ……」


 自嘲気味に、そう呟く。


 でも、不思議と――

 胸の奥にあった“張りつめきった何か”は、少しだけ緩んでいた。


(……でも)


 ヒナタは、ふらつきながら立ち上がり、

 もう一度、鉄塊の前に立つ。


「……それでも」


 両手をかける。


 ――ギィ……。


 さっきより、ほんの少しだけ、大きく動いた。


 泣いたあとでも、

 心が折れたあとでも――

 体は、まだ前に出ていた。


 その事実が、

 今はただ、静かに胸に残った。

初めての涙は、敗北の証であり、同時に前進の証でもある。

アオイ・ヒナタは今日、努力が報われない現実の前で、ついに心を折った。

だが、折れたまま終わらなかった。

泣きながら、それでも手を伸ばした。

その姿は、まだ誰も知らない“次の強さ”の始まりだった。

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