082.5. 《幕間》本棚の奥の秘密の水晶
チェリーはその日の仕事を全て終えてシャワーを済ませた後、使用人用の宿舎の階段を登っていた。
この先に待っている愛しい人の顔を思えば、自然と足取りも軽くなる。
最近ではもう見慣れた階段と廊下を通り、愛するキウイの住む部屋の扉をノックする。
中からの返事の声を確認して、チェリーはいつも通りの慣れた手つきで、扉をそっと開けた。
「こんばんは、キウイさん。荷造りの調子はどうですか?」
チェリーが声をかけると、キウイは高い梯子に登り、本棚の上段を片付けている最中だった。
その身体の横には、キウイが結界魔法で作った高台の上に木箱が置かれている。
床の上には本を詰め終えた木箱がいくつも積み上げられていて、その足元には魔道具を詰め込んだ布袋が雑多に置かれていた。
「順調ですと、申し上げたいところなのですが……。ご覧の通り、如何せん物が多すぎまして。お手伝いを申し出ていただけて、大変助かります、チェリーさん」
チェリーとキウイの同棲が認められ、妻帯者用の部屋が用意されたため、二人は引っ越しの荷造りを進めていた。
チェリーの部屋は物が少なくあっという間に終わったのだが、対してキウイは書物や魔道具が溢れる部屋の荷物を全て仕舞い込むのに難儀していた。
それでもキウイは仕事の空き時間を見つけては片付けを進めており、既に部屋の壁を埋め尽くしている本棚のうち、半分ほどは空になっていた。
「ええと、私はどちらをお片付けしたらよろしいでしょうか」
「一旦、下に降ります。少々お待ち下さい。チェリーさんに危険な高所を任せるわけにはいかないので、下段の方をお願いしようかと」
そう言うとキウイは梯子を素早く降りて、床の上に静かに降り立った。
「ああ、その前に……チェリーさん、少しこちらに来ていただけますか?」
チェリーが言われるがままに机の側に寄ると、キウイは雑多な机の上に大切そうに並べられていた赤い透き通った石を二つ手にとって、チェリーの瞳と比べるように慎重に翳した。
「ふむ……色相と彩度を鑑みるに、やはりレッドベリルより、このルビーですね。私が身につける、チェリーさんの『印』は、これにします」
満足そうに頷くと、キウイは石の片方を箱にしまい込み、残ったもう片方のルビーに掌をそっと翳した。
目を閉じ、静かに魔力を練り上げると、ルビーの石に結界魔法を施した。
チェリーはそのキウイの、結界魔法の光を浴びた横顔の神々しい美しさに、思わず息をのんだ。
「……っ、すみません、私が望んだのに、全てキウイさんに用意していただいて」
「結界魔法の『名目』がないと、着用の許可が降りませんからね。これは、私のお役目ですよ」
結界魔法をかけ終えると、キウイは手際よくルビーの石に細工を施し、耳飾りに仕上げた。
その完成したばかりのルビーの耳飾りを、チェリーの手にそっと握らせる。
「ここから先は……チェリーさんのお役目です。つけてくれますか? この、チェリーさんの『印』を……私に」
キウイは優しく微笑むと、右耳をチェリーに差し出した。
チェリーは高鳴る鼓動に胸を締め付けられながら、震える手で、キウイの右耳にそっと、チェリーの瞳の色の石を装着した。
「ルビーには、愛の疑惑を晴らし、二人の愛をより確かなものにする……そんな逸話があるのですよ。チェリーさんの『印』にぴったりですね。どうですか? この私がチェリーさんのものであると周りに主張できて、安心しますか?」
自分の色の耳飾りをつけて、ひたすらにまっすぐな視線で自分を見つめてくるキウイに、チェリーはその存在を独り占めしているという事実を実感し、心臓が止まりそうになった。
「……っ、お似合い……です。なんだか、気恥かしい、ですね」
あまりに愛らしいその様子に、キウイは頬を緩むのが抑えきれず、満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます。……ふふ、これから毎日見るのですから、早く慣れてくださいね。さあ、荷造りの手伝いをお願いしてもいいでしょうか」
「あっ……は、はいっ、お手伝いいたしますっ」
キウイの言葉に我に返ったチェリーは、部屋に来た理由を思い出した。
「では、この本棚の下段をお願いします。このあたりには本しか入っていないので、全てこの木箱に詰めてください。詰める順番は気にしなくて大丈夫です」
「わかりました」
キウイは、チェリーがすぐに作業を取り掛かったのを見届けると、自身も梯子を登り、上段の片付けを再開した。
本を木箱に詰めながら、チェリーはぽつりぽつりと喋り始めた。
「私、専属メイドとして独り立ちした時に今住んでいる部屋を充てがわれてから、ずっと住んでいたので……。実は、引っ越しというのは、初めてなのです」
「考えてみれば、そうなりますね……。片付けしていると、懐かしいものとか、出てきたのではないですか?」
キウイがそんなことを尋ねると、チェリーは遠い目をするように目を細めて、そっと呟いた。
「色々……出てきましたよ。初めて専属メイドとして認められた時に支給された、制服のリボンとか……。サクラ様の成人の儀に向けて、練習にお付き合いした宣言文の原稿とか……。色々な思い出が詰まったお部屋なので……少し、出ていくのが淋しいですね」
少し目を伏せるチェリーに、キウイは優しく微笑みかける。
「そういう思い出も、すべて詰め込んで、新しい部屋に持ってきてください。過去も全部、二人で大事に抱きしめて……新しい部屋で、新しい暮らしを、一緒に重ねていきましょう」
「……っ、はい……っ」
そのキウイの優しい言葉に、チェリーの胸の中は温かな愛でいっぱいになり、目頭が熱くなるのを感じた。
チェリーが本棚から本を出していくと、ふと、本の後ろに、隠すように押し込まれた小さな丸い水晶が置かれているのに気がついた。
キウイはこの段には本しかないと言っていたので、チェリーは気になってキウイに尋ねた。
「キウイさん、何やら本の後ろから、水晶のようなものが出てきたのですけれど……」
「水晶……? 何でしょう、そこには本しかないはずですが……、ああっ」
キウイはその水晶の正体に思い当たり、血の引くような焦燥に駆られて声を上げる。
「チェリーさんっ、それっ、触ってはダメですっ、絶対にっ……ああっ」
キウイが切実な声で、今にも梯子から飛び降りそうな勢いで必死に制止する。
だが、その声に驚いたチェリーは、びくりと肩を跳ねさせ、逆にその水晶をぎゅっと握りしめてしまった。
次の瞬間、チェリーの手の中で、水晶がぼうっと光を放ち、中に鮮明な映像が映し出された。
それは、紛れもなくチェリーの映像だった。
廊下を歩きながらサクラと楽しげな笑顔で談笑している姿。
サクラの公務に付き添い従っている背筋を伸ばした姿。
中庭の東屋でサクラに紅茶を淹れている優しい姿。
あらゆる場所の、あらゆる表情の自分が映し出されて、チェリーは思わず赤面した。
「あっ、見ないでっ、見ちゃダメです……っ、や、やめっ……、あ、ああっ」
映像を隠そうと慌てて梯子の上で身を乗り出したキウイは、そのままバランスを崩し、派手な音を立てて床に落ちた。
その鈍い衝撃音に、あまりのことに呆然としていたチェリーは、我に返る。
「あっ、ううっ……」
「だ、大丈夫ですか、キウイさんっ……すみません、私……っ」
チェリーが水晶を本棚に戻して慌てて駆け寄ると、キウイはゆっくりと起き上がった。
「結界魔法で……衝撃を吸収したので、身体に損傷はありません……。それより、チェリーさん、それっ……見てしまいました、よね……」
キウイが声のトーンを抑えながらも動揺を隠せない様子で言う。
そのめったに見ることのない憔悴した姿に、チェリーは事実を言うべきか少しだけ迷ったが、意を決して口を開いた。
「ええと……はい。見ちゃいました。その、わ、私……? です、よね?」
「……っ、あぅ……、すみません……っ。そう、です……っ」
キウイはいつも冷静沈着なその顔を耳まで真っ赤に染めながら、絞り出すように、事情を口にした。
「記憶を残しておくための、魔道具でして……。以前は、チェリーさんのお姿を拝見することすら、なかなか叶わなかったので、せめていつでも見られるように、私、それを……っ」
その、珍しく焦り、取り乱している様子のキウイに、チェリーは罪悪感を覚えながらも、胸が高鳴る感覚を覚えた。
「ルリ様の専属メイドになってから、毎日、生の新しいチェリーさんが見られるので、もう、その水晶の存在すら脳内から消え去っていて……っ、そこに隠していることを、すっかり失念していたんですっ」
キウイは片手でぐしゃりと頭を抱えた。
「すみません……こんな、隠れて……気持ち悪い、ですよね……っ」
キウイが俯いて自己嫌悪に沈むようなことを言うので、チェリーは、その背中に優しく腕を回し、キウイを抱きしめた。
「……驚きは、したのですけれど。……でも、なんというか、嬉しかった、です……」
チェリーは、キウイを抱きしめる腕に少し力を込めながら、続けた。
「キウイさんが私のことを、ずいぶん前から好きでいてくれたって、言葉では聞いていましたが……。それが、本当だったんだなあっていうのが、事実としてわかって……なんだか、嬉しくなりました。だから……大丈夫です、キウイさん」
チェリーの全てを包み込むような優しい言葉に、キウイの胸は感謝と安堵でいっぱいになった。
「……っ、チェリーさん……っ。あり、がとう、ございます……っ」
キウイは全身で応えるようにぎゅっとチェリーを抱きしめた。
「今は、過去の記憶ではなく、目の前の……この本物の私を、愛してくれるのでしょう……?」
「はい、もちろんです……っ」
キウイは抱きしめたチェリーの身体をそっと緩めると、チェリーの頬に、愛おしむように掌を当てる。
そしてそのまま、抑えきれない感情を乗せた熱い吐息を、その愛しい唇に重ねた。
それは、確かな愛を誓う、契りのキスだった。純粋で、深く、温かい、愛の証のキス。
キウイはその深いキスで、目の前の愛しい人への尽きることのない愛を誓った。
チェリーが意図せずキウイを振り回している感じが好きです。焦ってるキウイ、かわいいね。
キウイは余裕がなくなると「あぅ」と鳴きます。テストに出ます。
段ボールがない世界の引っ越しってこんな感じであってるのでしょうか……。雰囲気で書きました。
※ムーンライトノベルズで、この後二人がどうなったのかの話を公開中です




