73. 純白の巫女が紡ぐ、魂の絆
アヤメとビュランが愛と安堵に包まれている様子を、少し離れて見守っていたカナが、そっと呟いた。
「ビュラン伯爵……アヤメ様のおかげで、驚くほど穏やかな顔になりましたね。これで、解決……なのでしょうか」
スフェーンがカナの言葉に懸念を込めて応える。
「ええ、その筈……なのだけれど、なぜかしら、何か嫌な予感がするのよ……。もう少しだけ、用心して様子を見ましょう」
スフェーンは、心の奥でざわめく不吉な予感を鎮めるように、胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
その時、鍛冶場の様子を人知れず眺める者がいた。
「気に入らない、気に入らないわ! 人魚の里でも私の邪魔をした、あの白い人間っ! またしても私の邪魔をしたのね!」
怒りと悔しさに顔をゆがめ、神経質そうに爪を噛む。
「確かに、美味しい怒りの感情で、飢えは満たされたわ……でも、気に食わないのよ……!」
本来の目的は果たした筈なのに、また次の場所を探せばいいだけの筈なのに、胸の奥で燻る妙な胸のざわめきを覚えた。
抑えきれないその感情は、「その者」自身も自覚しないうちに、抗いがたい攻撃の意思となって凝縮していく。
「……本当に……気に入らないわぁ……っ!」
魂の叫びのように憎しみの感情を吐き出す。
それは、制御を完全に失った、明確な攻撃の波動となって、アヤメに襲いかかった。
「……っ!?」
意図していなかった自らが出した攻撃に、「その者」は激しく動揺した。だが、その波動は止まらず、容赦なくアヤメに牙を剥く。
「……っ、きゃあっ!」
「アヤメっ!」
アヤメが短く上げた悲鳴に、スフェーンが一瞬の迷いもなく飛び出す。
その刹那、アヤメの持つ、キウイの「切り札」のマカライトの石が白く発光して、放たれた波動の攻撃性を完全に、そして瞬時に打ち消した。役目を終えたマカライトの石は、光の粒子となって儚く弾け消える。
攻撃性を失った波動は、アヤメに何かを訴えかけるような、痛々しい純粋な感情の奔流となって、アヤメの心の奥底深くに届いた。
―― つらい くるしい たすけて
アヤメの中に、自分のものではない圧倒的な量の感情が流れ込んできた。
―― でも 私には これしか生き方がない
その感情はアヤメの心に、切実な悲鳴のようにひたすらに訴えかけてくる。
―― 誰も 私のことを見てくれない 声も届かない 私は ここにいるのに
(ああ、あなたは……誰にも理解されず……孤独なのですね)
―― 私が 選んだわけじゃない こんな生き方
(本当は、救われたい……? あなたは、いったい誰……?)
―― どうして 私はデーモンなの…… どうして
(ああ、あなたは……)
アヤメは、確かめるように、感情の奔流から読み取ったその名を口にした。
「あなたは、『悪魔』……あなたは……デーモン……。それが、あなたの存在なのですね……っ」
そして、何もいないはずの空間に、確かに魂を抉るような寂しさの悲鳴を感じて、アヤメは本能的に視線を向けた。
アヤメの瞳には何も映らず、アヤメが視覚でそれを認識することはなかった。
しかしその瞳は、間違いなく、「その者」――デーモンを、正確に射止めた。
「……っ!?」
その透き通った純白の瞳に、存在の根源を見透かされ、真っ直ぐに射止められたデーモンは、激しく動揺した。焦燥と恐怖を胸に抱いて、これ以上の接触を拒むように、逃げるようにしてその場を去った。
「アヤメっ! 大丈夫なの……っ!?」
デーモンのいた場所、虚空を見つめるアヤメを、スフェーンが心配そうに覗き込む。その時スフェーンは、アヤメの純白の瞳から、無意識のうちにぽろぽろと涙が零れていることに気づいた。
「……確かに、そこに、いたのです……。私たちが『悪魔』と呼んでいた、あのデーモンが……っ」
もう、その存在を感じることはできなかった。しかし、視覚で見ることすら叶わなかったその場所に、たしかにデーモンはいた。アヤメはその愛の力で、絶対的な確信を持っていた。
「デーモンが……、悲しい、存在が……、私に、助けを、求めていたのです……っ。私……っ」
「アヤメ、あなた……」
スフェーンは、自分たちを「瘴気」で苦しめた元凶の存在さえ救おうというアヤメの、底しれない深い慈悲の気持ちを痛いほどに感じた。同時に、そのあまりにも純粋な心の危うさに胸がきゅっと締められるような、切実な感情を覚えた。
「スフェーン様、あなた、『瘴気』の結界の外に……っ! ご無事ですか!?」
カナ伯爵が、飛び出していったスフェーンを必死になって追いかけてきた。それに対して、スフェーンの代わりにアヤメが、そっと涙を拭いながら応える。
「ビュランの心が落ち着いたので……『瘴気』の発生自体は、すでに止まっています。この場の残留している『瘴気』の濃度もだいぶ薄まったようです。なので、ひとまず大丈夫だったのだと……とはいえ、結界の中にいるに越したことはありません」
アヤメが、スフェーンの頬に両手でそっと触れる。
「スフェーン、無理しないでください。あなたに何かあると、私も心から悲しいですから」
「そうね……ごめんなさい」
普段は守られる立場にあるアヤメが、心から自分を案じてくれた。そのことに対し、危険を冒したスフェーンの中に、無茶をしたことへの申し訳ない気持ちが強く沸き起こった。
「ねぇ、『悪魔』……デーモンは、もういないのかしら」
胸の奥の不安を悟られまいと振る舞うスフェーンの問いに、アヤメは首を振る。
「ええ、先ほどは確かな存在を感じたのですが……もう、気配すら感じられません」
その言葉を聞いて、スフェーンは努めて明るく声を出した。
「そう。なら、ここはもう安全ね。私は先に外に出ているから、あなたたちも落ち着いたら出てきなさいな。カナ伯爵、行きましょう」
「えっ……? あ、はいっ」
突然に歩き始めたスフェーンに、カナ伯爵は動揺しながらも、慌ててついて行った。
スフェーンは去り際、アヤメに静かにウインクした。アヤメは、その一瞥で、ビュランと二人きりで落ち着いて話をしなさいという、スフェーンの心からの意思を感じ取った。
「スフェーン様、いいのですか……? あなたは、アヤメ様の……」
カナの戸惑いを含んだ質問に、スフェーンは落ち着いて、力強く答えた。
「ふふっ、愛しのアヤメの無限の魅力は、私が独り占めできるような小さなものではないの。大切なことは、ちゃんとアヤメと気持ちを合わせてあるし、心配いらないわ」
スフェーンは静かに優しい笑みを浮かべる。その様子を見て、カナはまるで光に触れたかのように、眩しいものを見るように微笑んだ。
「あなたたちは……心から想いが通じ合っているのですね。羨ましいです。私の想い人とは、いつもすれ違ってばかりですから……」
「ふうん? あなたは悩んでいるみたいね」
スフェーンの言葉に優しく促されるように、カナはため息を交えて呟く。
「私は、その人に……おそらく疎まれているのです。昔は決して悪い関係ではなかったと思うのですが……」
「あら、それなら、まだ救いようがあるのではなくて?」
予想だにしないスフェーンの言葉にカナは、はっとして弾かれたように顔を上げる。
「だって、愛しい気持ちの真逆は、憎しみなんかじゃない、無関心よ。愛憎なんて元々表裏一体で、簡単に反転するものだもの」
「……っ」
スフェーンは慈愛に満ちた瞳でなおも続ける。
「あなたの想いが正しく伝わったら、またお相手の気持ちが変わる可能性も、十分にあるかもしれないわね? もっとも、想いというものは、心の中に秘めているだけではダメよ。行動や言葉でしっかりと伝えないと、伝わらないわ。これからどうなるかは、きっとあなた次第ね」
「私、次第……ですか」
スフェーンの言葉を深く反芻するように呟いたカナの瞳には、暗闇を破る一条の光が差したかのように、スフェーンは確かに見た。
鍛冶場にただ二人きりで残されたアヤメとビュランは、張り詰めた静寂の中、静かに向き合っていた。
「アヤメ、あんたは……優しいんだね。自分を攻撃してきたやつのために、泣いたりなんかして……」
ビュランがそう言いながら、そっとアヤメの髪を愛おしむように優しく撫でる。
「いいえ……私はただ、切なくて……。誰かを愛し、そして誰かに愛されることの温かさを、あの方……デーモンは、知らないのです。それは、とても……悲しいことです」
アヤメはその悲しみにそっと触れるように、ゆっくりと目を閉じた。
「アヤメは、あの美しい、スフェーンという人を……大切にしているようだったね。あの人は、アヤメの……」
「はい。スフェーンは、私が心から愛し、私のことを心から愛してくれる、大切な婚約者です」
ビュランの質問に対して、アヤメは一点の曇りもなく、優しく微笑みながら即座に答えた。その様子に、ビュランは二人の絆のあまりの熱さを痛感する。そして同時に、その熱い絆と同じ熱を、自らも渇望している感覚を覚えていた。
「そうか……あのさ、もうアヤメに愛は必要ないかもしれないけどさ……。あたしのことは愛さなくていいから、あたしも、あんたのことを愛して……いいかな……? あたしの魂がさ、アヤメを絶対に離しちゃいけないって……どうしても求めちまうんだ……っ」
込み上げる想いに耐えきれず、俯きながら、まるで罪を告白して許しを請うようにそう言ったビュランを、アヤメはその温もりで全てを包み込むように優しく抱きしめた。
「そんな、愛さなくていいなんて、悲しいことを言わないでくださいな……。私の愛は、誰か一人だけに向けられるものではないのです。溢れて、広がって、大切な人みんなを包み込む……それが、私の愛の形なのです。だからビュラン、あなたのことも、ちゃんと、私の全てで愛すと、そう誓います」
そのアヤメの言葉は、ビュランの飢えた魂を温かく包みこんでいく。その寂しさでいっぱいだった心は、アヤメの深く無限の愛によって満たされ、静かに癒されていった。
「ビュラン……私のことを、信じてくださいますか……?」
「……っ、アヤメ……、もちろんさ……っ」
互いの愛を魂から渇望するように、二人は唇を寄せ合い、深くキスをした。その唇から伝わる温かさが、想いを確かめ合うように、互いの魂に響き渡る。
そしてアヤメは、ビュランとも、魂が確かに絡み合い、新たな絆として「愛属性」の繋がりをしっかりと紡いだのを感じ取った。
「悪魔」改めて、デーモンちゃん。よろしくお願いします。
本当は、もう少し後で存在を認識する予定だったのですが……地の文で「その者」とか書くのに限界を感じて、予定より少し早めですが、読者の皆様に存在を認知していただくことになりました。
そして、予告通り、アヤメとビュランも通じ合いました。これから幸せと愛を広げていくアヤメを、どうぞよろしくお願いします!
アヤメというキャラができた経緯などをnoteにまとめました。
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【百合×純愛×ハーレム】を小説「人魚と姫」で書いた話
https://note.com/zozozozozo/n/n9628f4dccdfe




