65. スフェーンの幸せの在り処
「ふぅ。アヤメ、そろそろ眠りましょう」
ベッドに座るスフェーンが、アヤメに優しく声をかける。二人は自然に顔を寄せ合い、軽いキスを交わした。それが、二人だけのおやすみの合図だ。スフェーンはベッドの上に用意された薄手の毛布に潜り込んだ。
「スフェーン……」
「こら、アヤメ。ちゃんと眠るのよ。明日あなたには、大切なお役目があるんだから」
まだ甘えたりない声を出して抱きついてくるアヤメに、スフェーンは優しく笑みをこぼしながら、諭すように言い聞かせた。優しい手つきでアヤメの身体をベッドに寝かせると、額にキスを落とし、アヤメの肩をぽんぽんと優しく叩く。まるで幼子を寝かしつけるかのようなスフェーンの仕草に、アヤメは不満そうに頬を膨らませた。
「……むう。そうなのですが、いいではないですか、少しぐらい」
「ふふっ……そうね、少しお話するだけなら……いいかしら」
スフェーンは微笑ましそうに目を細め、横になったまま少し身体を起こした。愛おしそうにアヤメの顔を覗き込み、視線を絡ませながら、その髪を優しく梳く。そうして、唇に優しいキスを落とした。
そのままスフェーンは、アヤメの瞳をまっすぐに見つめながら、その髪を梳き続けた。
「アヤメ……私、あなたがどんな運命を選んでも、受け入れられるし、あなたを愛し続けるわ」
それはいつもの、ただひたすらに甘い愛の言葉とは違う、静かで、強い決意を秘めた声だった。
「スフェーン、何を……」
その声色から、ただごとではないと察したアヤメの瞳に、戸惑いと少しの不安の色が宿る。スフェーンは、その不安をそっと払うように、優しくアヤメの髪を梳き続けた。
「アヤメは『聖なる巫女』……そして、あなたの魔法は『愛属性』……ね?」
スフェーンは問いかけるように、アヤメの顔をじっと見つめた。
「きっとこれから、『悪魔』に魅入られた人たちを、その無限の愛で解放していく……それが、アヤメに課された運命。違うかしら」
スフェーンの確信に満ちた予想に、アヤメは息をのむ。その白い瞳は動揺に大きく揺らめいた。
「それ……は……っ」
スフェーンが口にしたのは、アヤメ自身も心の片隅で気づきながら、目を背けてきた事実だった。スフェーンとの変わらぬ愛を信じたかったからこそ、アヤメは自分の運命に、固く鍵をかけていたのだ。
「今日の『お説教』の時も言ったけれど……私はアヤメが幸せなら、なんだっていいのよ。神が定めた『聖なる巫女』のお役目なんて、アヤメが望まないのなら、やらなくていいと思っているの。それで世界が滅びてしまっても、ちっとも気にしないわ」
強い言葉とは裏腹に、スフェーンは変わらず、優しい手つきでアヤメの髪を梳き続けた。
「でもね……アヤメが幸せになるのであれば、神が敷いた道であっても、それに導かれるのも悪くないと、そう思うの」
スフェーンは愛おしむようにアヤメの頬を撫でる。
「だって、アヤメと私が初めて心を通わせた時、まさにこれこそが運命だって感じたわ。仮に、私たちのこの愛が、神が定めた運命でしかなかったのだとしても、私は今、最高に幸せ。だから……」
そうしてスフェーンは、アヤメがあえて触れずにいた核心に、そっと触れた。
「だから、アヤメは……明日、ビュラン伯爵とも、そうなるんじゃないかしらって……私は思っているの」
「……っ、スフェーン……」
スフェーンの一切の迷いのない視線は、深い愛を込めてアヤメをまっすぐに射抜いていた。
「明日、あなたはきっとビュラン伯爵を救うわ。その時、アヤメが……あなたが一番幸せになれると思う選択をしなさいな。それが、私の幸せだから」
スフェーンの心には、自分の存在がアヤメの幸せの枷になってはいけないという強い思いに突き動かされていた。だからこそ、あえてその可能性を口にし、いざという時にアヤメが、自分の心に正直に従えるように、そっと背中を押したのだ。
「アヤメ……私にとっての幸せは、あなたが幸福であること、ただそれだけよ。それだけは、わかっていて欲しいの」
スフェーンはアヤメの頬に優しく手を触れたまま、真剣な眼差しを向けた。
「前にも言ったけれど……あなたが、どれだけ愛を広めても、私は気にしないわ。あなたが幸せである限り……ね」
アヤメはスフェーンの一切の偽りのない深い愛を秘めた瞳を、ただ、ただ、静かに見つめ返していた。
「私が『悪魔』に囚われて、サクラに嫉妬した時……アヤメが教えてくれたのよ。ルリがサクラを愛しても、変わらずルリは私を愛してくれるって。二人への愛は別で、ルリの愛は決して減らないって」
スフェーンは目を閉じ、その時の記憶を噛み締めるように深く頷いた。
「そうして、それは正しかったわ。ルリは今も変わらず、私を愛してくれている。私たちの絆は、誰かへの愛が加わっても、決して揺るがないの」
スフェーンの指が、アヤメの頬を優しく撫でる。
「だから……アヤメもきっと同じでしょう?」
静かな微笑みを浮かべると、スフェーンはアヤメの頬を手のひらでそっと、愛おしそうに包み込んだ。
「あなたがこれから、どれだけ多くの人を愛しても、変わらず私を愛してくれる。そうでしょう?」
「スフェーン……私……っ」
スフェーンはすべてを許容し、アヤメに愛を広げる道を示そうとしている。その深い意図を理解したアヤメは、胸に熱いものがこみ上げてきて、言葉にできないほどの感謝と愛おしさに、言葉を詰まらせた。スフェーンが自分のことを何よりも想っている、その揺るぎない確信が、アヤメの心を幸福感で満たした。
「だからアヤメ、私のことは気にせず、あなたが一番いいと思う選択を選びなさい。必ずよ」
スフェーンは、愛と信頼を込めて、アヤメの額に優しいキスを落とした。それは、アヤメの心に宿る迷いを全て払い、これから広がる愛の道を後押しする、解放のキスだった。
「スフェーン、私……っ。明日の私が、どんな選択をするのか、わかりません。けれど、これだけは断言できます。私は、スフェーンを、愛していますっ! ずっと、ずっと、変わらずに……っ!」
涙が滲む瞳で、アヤメはスフェーンをまっすぐ見つめ返した。その瞳に宿る、激しくも確かな愛を感じたスフェーンは、すべてを受け入れるように優しく微笑んだ。
「ふふ、ありがとう、アヤメ。私もよ」
スフェーンは、アヤメの涙をそっと指で拭った。
「ずっと、ずっと、永遠に、愛しているわ」
それ以上の言葉を交わす代わりに、二人はどちらからともなくキスをした。それは、熱い情熱と深い信頼を確かめ合うかのような、長く、長く続くキスだった。まるで魂が溶け合うかのように、二人はお互いの愛の深さを何度でも確かめあった。
「さあ、本当に寝ましょう、アヤメ。明日のためにね。……おやすみなさい」
「ええ……スフェーン、おやすみなさい」
アヤメはスフェーンの腕をぎゅっと抱きしめ、その胸に顔を埋めた。スフェーンの変わらない愛の言葉が、アヤメの心に深く沁み渡り、明日へのすべての不安を溶かしていく。
深く、深く寄り添いあった二人は、やがて満たされた寝息を立て始めた。
壮絶なネタバレにはなってしまうのですが、あえて今後の展開を隠すことなく書きました。察しのいい方は勘づいていそうな気がしたのと、スフェーンも、アヤメも、この展開で不幸ではないと、その前提の安心感のもとで、今後の話を読者の皆様にお楽しみいただきたかったからです。
アヤメが愛を広げてゆくのは、この作品の変えられない大根幹の設定です。書いていくうちに想像以上にアヤメとスフェーンが純愛の雰囲気になってしまい、どうしたもんかと悩みました。でも、根幹の設定を変えるわけにはいかなくて、こういうエピソードを書かせていただきました。
今後とも、私が責任を持って必ず幸せにしますので、アヤメたちの行く末を見守っていただけると嬉しいです。
ところで、昨日の隣の部屋と雰囲気違いすぎてびっくりしますね! 書きながら自分で笑ってしまいました。スフェーンさん、あなた、自分の妹の寝かしつけもした方がいいですよ!(笑)




