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人魚と姫 〜私達が結婚すると、世界が救われる!?〜  作者:
第四章 ドワーフの国

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64. 『瘴気』の国の、夜の掟

 サウナで汗とともに疲れを流し、私たちはフォルナ公爵が用意してくれた寝間着に身を包んだ。それは前開きの、柔らかい肌触りの薄手の服だった。袖に腕を通し、腰のあたりできゅっと紐を結ぶ。


「そちらはガウンと言いますの。大きさは問題ないでしょうか」

「ちょうどいいです。ありがとうございます」


 着替えを済ませた私たちは、客間に戻り、そのままそれぞれの部屋に分かれて眠りにつくことになった。


 それぞれの部屋に分かれて休もうとした直前、キウイが静かに一歩前に出て、私とルリを呼び止めた。


「サクラ様、ルリ様。お眠りになる前に、少しだけお邪魔させてください」

「ええ、いいわよ。何かしら?」


 私が理由を尋ねると、キウイは言葉を濁すように応じた。


「ここで立ち話するような内容でもありませんので、詳しい話は、お部屋の中で……では、お邪魔いたします」


 キウイの歯切れの悪い様子に疑問を抱きながら部屋に入ると、キウイは改めて背筋を伸ばし、真剣な面持ちで口を開いた。


「今晩も、サクラ様からルリ様への魔力譲渡が必要ですよね。ですが、サクラ様の魔力が完全に空になると、このコーグ公国に充満する『瘴気』から身を守る結界魔法が維持できなくなってしまいますので……」

「えっ、じゃあきょうは、サクラの魔力もらえないの……?」


 キウイの言葉に、ルリが不安げな瞳で焦るように尋ねた。その切実な声に、キウイはゆっくりと首を横に振る。


「それではルリ様があまりにもお辛いでしょうから。魔力譲渡はいつも通り行っていただいて全く問題ありません」


 ルリにとっての魔力譲渡がいかに重要かを熟知しているキウイは、その不安を取り除くように、柔らかな声をかけてくれた。


「ルリ様への魔力譲渡を終わらせた後、不足する分の結界魔法を維持するための魔力を、私がサクラ様に提供します」

「それだと、今度はキウイが、『瘴気』から身を守る結界を維持できなくなってしまうのではないの?」


 私が思わず心配してそう言うと、キウイは落ち着いた口調でその懸念をきっぱりと否定した。


「私は結界魔法への適性が非常に高いので……一人を包む程度の大きさの結界であれば、使用してもほとんど魔力消費なしで維持することができるのですよ。なので、そこに関して、お二人が気に病む必要は一切ありません」

「そうなの? キウイって、やっぱりすごいのね。それなら、いいのだけれど」


 私がようやく納得して頷くと、キウイは話を先に進めるように続けた。


「ではまず、今ここで、サクラ様からルリ様への、魔力譲渡をお願いします」

「……へっ?」


 キウイがあまりにも平然とそんなことを言うものだから、私の声は驚きと焦りで裏返ってしまった。


「あの、魔力譲渡って、ルリとキスをしないといけないのだけれど……」

「もちろん知ってますよ。私がサクラ様に教えたことですからね。魔力譲渡の最適な手段は、口内粘膜の擦り合わせ、つまりキスです」


 キウイはいたって真面目な顔で、私にとっては耳まで熱くなるようなその事実を口にした。


「ええと、その……キウイが見ている前で、しないといけないの?」

「ご存知の通り、私に与えられた最優先の使命は、皆様の安全確保です。サクラ様の魔力が完全に空になると、結界魔法が維持できなくなってしまいます。そのような大変危険な事態にならないよう、私はサクラ様の魔力の残量を、この目で、確実に、監視しておかないといけません」


 キウイは表情を変えず、ただ事実だけを淡々と述べる。


「ですから、今この場で……私の目の前で、魔力譲渡を執り行ってください。冗談で言ってるのではなく、極めて真面目な話なのですよ」


 キウイの言うことは、結界魔法の維持という観点から見れば、至極真っ当であった。だがしかし、その理屈を受け入れたとして、人前でキスをすることに恥じらいを感じないかと言うと、またそれは別の話なのである。


「サクラ? べつにキウイが見てたっていいじゃん。魔力、そろそろほしいな……」


 切実な声でルリが私をまっすぐ見つめて、魔力の催促をしてくる。


「……っ、ルリ、魔力、残さないといけないんだからね? 今日は、私があげる分を決めるの。絶対に、そっちから、吸い上げたり、しないでねっ……」

「む……わかった。ちゃんと、きをつけるよ」


 ルリは興奮すると、時折、理性を失ったように魔力ごと私自身を吸い上げてしまうことがある。だから私は、必死に念を押して注意したのだ。これは、結界の維持に必要な魔力の残量を守るという目的の他に、キウイの観察下で、ルリに我を忘れさせられ、無様な痴態を晒したくないという、私自身の切実な願いでもあった。


「じゃ、じゃあ……キス、するからね……」

「うん……」


 ルリは目を閉じ、無邪気に私のキスを待っている。

 意を決してルリに顔を近づけようとした瞬間、どうしても気になり、反射的に横を見やった。すると、キウイの緑色の透明な瞳が、まっすぐに私を見つめているのと目が合った。


「はい、しっかりと魔力の残量を、この目で、監視していますから。どうぞ続けてください」


 キウイが一切の感情を見せずに落ち着いた声でそう言うのに、私の心臓はどくんと跳ね、頬が火照り、胸の奥から熱が込み上がってくる。

 逃げるように再びルリの方を見る。キウイの視線を意識しないようにしようとすればするほど、横から突き刺さるようなキウイの視線が気にかかる。自分の耳に心臓があるみたいに、激しい鼓動の音がうるさく感じた。


 一刻も早くこの場を終わらせたいと、意を決して、私は目を閉じた。そして、いつものようにルリの唇に私の唇を重ねる。唇が触れ合った瞬間、いつも通りに、魔力がルリに流れ込む感覚が始まる。

 だが、状況はいつもと完全に異なっていた。いつもと同じはずなのに、私の頬は内側から沸騰したように熱く、指の先まで制御不能なほど細かく震える。絶えず、キウイの視線が横から突き刺さっているかのような錯覚に陥った。魔力を使い切らないようにと必死に理性をかき集めながら、私はなんとかルリへの魔力譲渡を済ませた。


 目標の魔力の残量を残し、そっと唇を離す。目を開けると、何事もなかったかのように穏やかな、いつものルリの顔が、目の前に見えた。

 私たちが唇を離した瞬間、その様子を見ていたキウイが冷静な声で言葉をかけてきた。


「はい、魔力の残量も問題ないです。これで、今晩のルリ様も大丈夫でしょう。お疲れ様でした」


 まるで実験の観察結果を読み上げるかのようなキウイの声に、私の心臓は驚きと羞恥で大きく跳ねた。

 私からルリに対する魔力譲渡が終わったのを見届け、キウイは間髪入れずに次の行動に移った。


「では、結界維持のための魔力を、私がサクラ様に提供します」


 キウイが静かに私のそばに寄ってくる。


「あれ……ということは、キウイも、サクラとキスするの?」


 ルリのその純粋な問いかけに、私は思考が真っ白になり、焦って裏返った声が出た。


「……ひぇっ!?」


 頭の中が沸騰する。確かに、魔力の譲渡にはキスが必要だ。だとすれば、今から、キウイが私にキスをして、魔力を渡してくれることになる。

 必要に迫られた状況とはいえ、ルリの目の前で、キウイとキスを……? まさか、そんな。

 そんな倫理観が崩壊しそうな事態を意識すると、頬どころか、顔中が熱くなり、心臓が喉から飛び出してきそうになった。

 その混乱の最中、キウイが無言で私に手を伸ばしてくるのに、私は思わず身体をびくっと硬直させた。


「……ふふ、私の唇は愛するチェリーさん専用ですから、いくらサクラ様でも提供することはできません。ほら、サクラ様も手を出してください」

「へぇっ……?」


 キウイが楽しそうに軽く笑いながら言ったその予想外の言葉に、私は身体の力が抜けて一気に緊張が解け、喉からは間の抜けた声が出た。

 キウイに促されるがまま手を差し出すと、キウイは目を閉じて、私の手を優しく、しかししっかりと握りしめた。ほどなくして、手のひらを伝って、確かな温かい魔力がキウイから流れ込んでくるのを感じた。しばらくしてその感覚が収まると、キウイはゆっくりと目を開き、私の手を離してくれた。


「……ふぅ。魔力の流れを完全に理解し、制御することができるなら、粘膜を経由せずとも、このように魔力の譲渡をすることが可能なのですよ。これでしばらくは結界魔法が持つと思います」


 キウイはどこか得意げにそう説明した。


「なんだー! もう、キウイ、びっくりさせないで! キウイもサクラとキスするのかとおもって、あせっちゃった!」


 キウイの言葉に、ルリは心底ほっとしたようにそう言った。私はキウイとのキスという想定外の事態を回避できたことに安堵しつつも、まだ一連の騒動の余波で激しい鼓動が完全には収まらずにいた。

 だが、安堵の裏で冷静になりつつある頭が、一つの疑問を提示した。自身の豊富な知識を好んで語るキウイが、キスせずとも魔力譲渡ができるという重要な情報を、この土壇場ギリギリになるまで口にしなかったのは、一体何故だろうか?

 その違和感は、キウイ自身の言葉により、すぐに確信へと変わった。


「ふふっ……『いいもの見せていただき』、本当にありがとうございました」


 キウイが意味ありげに私を見て、まるでからかうように笑いながら言ったその言葉に、私の頭の中で全ての点が線となって繋がり、思考は一気に結論へと至った。

 この一連の流れが、コーグ公国に向けてフィオーレ王国を出発する時に、キウイとチェリーの熱い抱擁を私が「いいもの見せてもらった」と茶化したことに対する、あからさまな仕返しであることは、火を見るよりも明らかであった。


 全てが繋がり、よく考えれば、おかしなことばかりだった。いつもキウイは、魔力の流れに集中する時、そっと目を閉じる。それなのに、私がルリとキスをしている時、「魔力の残量を監視する」とまで言いながら、その緑の瞳を決して閉じようとせず、私たちの一挙一動をしっかりと凝視していた。

 キウイの悪戯めいた企みに気づいた瞬間、私の顔は羞恥のあまりさらに熱を持ち、収まりかけていた心臓の鼓動が再び激しくなるのを感じた。

 羞恥と憤りで顔を真っ赤にしながら、私はキウイを睨みつけた。


「キウイ、あなた、私をからかったのね……!?」

「さあ、何のことでしょう」


 キウイはあくまで白々しく、口元だけで軽く笑ってみせた。

 しかしすぐにキウイは、先ほどの悪戯な様子が嘘のように、その表情を一気に真剣なものに戻した。


「さて、サクラ様、ルリ様。今日の夜……これからのことです。今からお話することは、お二人にとっては心が抉られるようにお辛いことかもしれませんが、生命に関わるとても大事なことなので、私の指示を必ず守ってください」


 居住まいを改ためて背筋を伸ばしたキウイが、いたって真面目な声で言う。そのいつになく深刻な様子に、私も無意識に姿勢を正して、その声に聞き入った。


「まず、今夜は唇同士のキスは禁止です。間違ってルリ様にサクラ様の魔力が想定外に吸われたら、結界魔法が維持できなくなって、大変なことになりかねませんから」


 いたって真面目な顔のキウイからの意外な指示に、私はいつものルリとの夜を思い出してしまい、思わず頬が赤くなった。


「ええっ、そんな! きょうはキスしちゃダメなの!?」


 ルリの文句に、キウイは表情一つ変えず首を横に振る。


「絶対に、ダメです。お二人の身の安全を守るためなのです。ご理解ください。どうしてもキスをしたくなったら、お相手の頬か、額に。いいですね?」


 キウイの毅然とした剣幕に、ルリは不満そうながらしぶしぶと頷いた。


「さらに、口内以外の粘膜の擦り合わせも、危険なので禁止とします。粘膜、わかりますか? 口の中のように、ぬるぬるとしているところです。例えば……そうですね」


 背筋を正したまま、キウイは一呼吸置いて、言い聞かせるように、静かに告げた。


「下着の中とか、です」


 キウイの言わんとしていることを完全に理解した瞬間、私の顔は羞恥のあまり沸騰したように熱くなり、耳どころか首筋まで熱を帯びていった。まるで私たちの日々の夜をキウイに全て見透かされているかのような、そんな極限の恥ずかしさを感じた。


「ええ〜っ! そんな、ひどいよ、キウイ!」

「これも、お二人の生命を守るためですから。絶対に、守ってください」


 恥じらいもせず心底からの文句を言うルリに、キウイはあくまで冷静に諭すように言った。


「最後に、結界のペンダントにルリ様が触れないように、くれぐれも気をつけてくださいね。サクラ様は、ちゃんとペンダントを身体の奥にしまい込んで、衣服を乱さないようにしてください」


 端から聞けばまるで子どもの身だしなみを注意するかのような、しかし確実に私たちの夜の行為を意識しているキウイの言葉に、私は顔を赤くしながら、黙って首を縦に振ることしかできなかった。


「私からの重要な指示は、以上です。サクラ様、ルリ様、ここからはどうぞ、お二人の時間をお楽しみくださいませ。おやすみなさい」


 キウイは一礼しながらそう言い残して、静かに部屋を出ていった。

 こうして、私はルリと、身も心も焦れるような長い夜を過ごすことになったのだった。






キウイの手のひらの上でころころされるサクラちゃん……かわいいね……


※ムーンライトノベルズで、この後二人がどうなったのかの話を公開中です

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