5. 結界抜け実演
チェリーが連れてきた宮廷魔術師キウイに、葵母様が短く指示をした後、キウイは一旦食堂を後にした。そして、そのままつつがなく、食事は続けられた。
「ぜんぶ、おいしかった〜!」
最後のデザートまで綺麗に平らげて、ルリが満足そうに声を上げた頃。キウイが再び食堂に戻ってきて、葵母様に報告をした。
「刻凍の回廊庭園の結界をくまなく点検しましたが、綻びはなく、特に異常はありませんでした」
「そう、調査ありがとう。つまりルリちゃんは、私達が用意した最高水準の結界を、いとも簡単に通ることができるのね」
葵母様は、深い溜息をついた。
「結界が壊れていたわけではないのはよかったわ。ただ……今回はルリちゃんだっから良かったけど、悪意ある存在に結界を通過されたら大変ね」
視線は自然と、ルリに集まる。ルリならなんとかしてくれるかもしれないと、皆が期待の眼差しを向けている。
「ルリ様、始めまして。フィオーレ国の宮廷魔術師、キウイと申します」
キウイがルリの前に行き、頭を下げて挨拶した。
「この国で結界魔術に関しては、キウイの右に出る者はいないのよ」
「そうなんだ! とにかく、すごい人ってことね? よろしく、キウイさん!」
ルリが明るく挨拶を返す。
「その私が用意した結界を簡単に突破されてしまったようで、ちょっと自信をなくしていますけどね……」
苦笑いしながら、キウイは答えた。答えながら、キウイは目を閉じて魔力を練り上げた。しばらく時間をおいた後、部屋の中に小さめの球状の結界が構築された。
「ルリさん、これは、庭園を囲んでいるものと同じ結界魔術でできています。サイズは小さいですけど、強度は変わりません。こちらを通過したので、間違いないですか?」
結界を示しながらキウイがルリに問う。ためしに触ってみたが、見えない壁に阻まれるようにして、そこから先に手を伸ばすことはできなかった。
「そうだね、これ、とっても通りにくいんだよ〜!」
「結界は通れない」という常識がないように、ルリは語る。キウイは信じられないというような表情だ。
「どうやって通過したのか、お見せいただいてもいいですか?」
「いいよ! ちょっと待っててね〜」
そう言うとルリは、魔力を練り上げた。するとすぐに、ぱしゃんという音とともに、ルリがいなくなり、そこにはひと掬いの水があるのみになった。ルリが変化したのだろう。
水が生物のように動き、結界の一部分を覆うように触れる。しばらくすると、水はするんと結界を抜けた。結界を抜けた先で、水が光りだす。光が収まると、そこには元通り、ドレスを着たルリが、結界の内側に立っていた。
「はい、どうかな?」
何も特別なことはしていないかのように、ルリが軽く答えた。
「なんと……! この目で見ても、信じられません……。ルリさんは、水に変化できるのですね。でも、ただの水なら、通れる筈はありません」
実際に結界抜けするルリを目の当たりにして、キウイが頭を抱えて唸っている。
「ルリ、水に変化した後、何か特別なことをやっていたりするの?」
結界の内側にいるルリに声を掛けた。
「そうだね、水になったら、ぴっとりくっついてみるの。すると、カベがなんだか波みたいになって……うすくなったところにちょっとだけ穴があくから、そうしたら、そこを通るんだよ」
言いながら、ルリがもう一度実演してみせた。今度は外側に抜けて、こちら側に戻ってくる。
「水……いえ、水となったルリさんが触れているところだけ、結界がルリさんと同化しているように……視えました。水の魔術は同化の特性が高いのですが、結界のような魔力だけでできた物質に同化できるとは……。たしかに、これなら、理論上は通過可能です」
私には何が起きているのかさっぱりだったが、魔術に長けているキウイは何かを掴んだらしい。
「結界に感知魔法を織り交ぜ、不純物の同化を感知してリジェクトする効果を付与できたら、同様の手段での侵入は防げるでしょう」
キウイが、葵母様に向けて報告する。
「それは国の外壁の結界や、ローズの護衛時に展開する結界にも応用可能かしら?」
「可能です。近日中に国中の全ての結界を置き換えましょう」
キウイが自信ありげに答えたのを聞いた葵母様が、ほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます、ルリさん。このような方法での結界の破り方は、我々だけでは発見できませんでした。」
「そうかな? えへへへー」
キウイにお礼を言われて、ルリは少し照れたようにはにかんだ。
「サクラちゃん? あなたは、ルリちゃんが結界抜けをしているのを、知っていたわね?」
葵母様から私に向かって鋭い視線が飛ぶ。やはり、説教なしとはいかないようだ。
「うぅ……はい。黙っていてごめんなさい」
大人しく謝罪する。国防の一端を担う葵母様からすれば、重大な問題なので、当然の非難だ。
「ルリちゃんだったから良かったけど、悪意を持って攻撃してくるような者だったら大変だったのよ! これからは、そういうことは必ず報告してちょうだい」
「はい、必ず」
大人しく謝ったのと、実被害も出ていないので、葵母様の怒りは一旦落ち着いたようだ。
「まあでも、今回はサクラの大手柄だ。ルリを城に招いてくれて感謝する。お陰で、国防の強化につながった」
ローズ母様が葵母様と私の間に入り、私の頭を撫でた。ローズ母様なりに、仲裁をしようとしているのだろう。
「ルリさん、結界の術式を変えてみるので、通過できるか試してもらっていいですか?」
「うん、いいよ〜!」
ルリから許可をもらったキウイは、結界の術式を組み替えて、結界を強化する。
最初の数回は、ルリが「こうやったら通れる気がする」なんて言いながらするっと通過していたのだが、だんだん通過に時間がかかるようになり、やがて10回ほど組み換えを試したところで、やっとルリが通過できない結界が出来上がった。
「こ、これはどうやっても、通れないよ〜! お手上げだ〜!」
ルリが水から人間の姿に戻りながら悔しそうに声を上げた。キウイは逆に、安堵の表情を浮かべる。
「ああ、よかった……。ルリさん、何度もありがとうございました」
そしてキウイは、葵母様と国内の結界の強化の段取りの話を始めた。
突然、ルリが後ろから抱きついてきた。
不意に体温を感じたのと、部屋でルリに色々弄られたのを思い出し、少しドキッとしてしまった。
「ル、ルリ……? ちょっと、ここにはみんなもいるから……っ」
そういうのは二人の時に……と言おうとして、ルリが今にも眠りそうに、目を閉じかけていることに気づいた。
「魔力の使いすぎで、ねむくなってきちゃった……」
たしかに、キウイに付き合って何度も変化の魔法を使っていた。変化の魔法を扱う知識がないので詳細はわからないが、人間では扱えないような魔法なので、もしかしたら魔力消費が激しいのかもしれない。
それに、食事前に、「いつもは海の中で魔力を食べている」と言っていたのを思い出す。人間の食事で魔力は補充できるのだろうか? できなかったとして、魔力不足は寝たら回復するのだろうか? 突如、不安になる。
「あらあら。ごめんなさいね。サクラ、今日はもう寝かせてあげなさいな」
「はい、葵お母様。……ルリ、歩ける? 眠れればいいの?」
「おへやまでは、歩けるよ……。ねたら、だいじょうぶー」
ひとまず寝ることができたら回復しそうなので、安堵した。ルリが離れようとしないため、そのままルリに肩を貸す形で歩き、部屋に向かう。
部屋に入ると、ルリの変化の魔法が解けて、元の人魚の尾に戻った。一緒に着いてきたメイドのチェリーと協力して、ドレスを脱がせる。
「バスタブに、瓶の海水を……いれてくれる……?」
ルリが今にも眠りそうな感じで弱々しく言った。
謁見の間に行くときや、部屋に移動する時に使った、ルリの魔力が込められた瓶の海水を、言われるがままにバスタブに入れる。
小さい小瓶なのに、気づくと海水はバスタブをいっぱいに満たしていた。瓶に空間系の魔法がかかっているのかもしれない……と思ったが、事実は瓶に魔法をかけた本人に聞かないとわからなそうだ。
「これでいい?」
「ありがとう〜! とってもねむいから、おやすみ〜……」
ちゃぷんとバスタブに入り込み、ルリは水の中に沈んだ状態になった。一瞬息ができないのではと心配になったが、水の中にいるルリの表情は穏やかなもので、ただ寝ているだけのようだった。人魚なので、水の中で苦しいことはないのだろう。
そのまま、ほんのり光を放ちながら、ルリは一晩中、眠り続けた。湯浴みに行く際に声をかけたりもしたが、返事が返ってくることはなかった。
湯浴みを終えてベッドに潜ると、今日の出来事が怒涛のように押し寄せてきた。
――あとで続きやろうね!
軽々しく「続き」と言っていたが……キスをしよう、そして、私とルリの子どもを……ということだ。ルリはもう寝てしまったので、今日はその言葉が実行されることはないだろうが……。
ルリの手に体中を這い回られたり、唇が触れそうになったりした時のことを思い出すたび、心臓が激しく脈打ち、身体がじんわりと熱くなる。
おかげで、今夜は眠れることはなさそうだった。
バスタブの方を見る。バスタブの底に沈んでいるので姿は見えないが、そこにいるルリの存在を感じる。
無邪気なルリは、今日一日中、私のようにドキドキしたりしている様子はなかった。私だけこんなに胸を締め付けられているなんて、ずるい。
私は一人、熱くなった身体を持て余した。
変身が解けた時に、ぱんつがどうなったのか……は、ご想像にお任せします。