46. 『現在』を、重ねる口づけ
朝食を終えて、ルリと今日の予定を相談していると、コンコン、と部屋のドアがノックされる音がした。ドアを開くと、そこにはアヤメとスフェーンさんが並んで立っていた。
「あら、アヤメに、スフェーンさん。私たちに何かご用ですか?」
「ええ、二人に結婚祝いを渡していなかったでしょう? アヤメと一緒に、こういうのを作ってみたの」
そう言うスフェーンさんの手には、きらきらと輝く、美しいガラスドームが抱えられていた。
「わあ、素敵! ありがとうございます! でしたら、折角ですし、一緒にお茶でもいかがですか?」
私は二人を部屋に招き入れる。部屋の隅にあるベルを鳴らしてチェリーを呼び、四人分の紅茶を用意するように頼んだ。チェリーは心得たようにすぐに戻ってきて、慣れた手つきでティーセットを広げ、紅茶の用意を始める。
「あら? キウイはいないの?」
キウイはルリの専属メイドなので、ルリがお茶をする場合は宮廷魔術師の仕事で都合が悪くなければ来てくれる。しかし今日はチェリーしかいなかった。
「はい……最近キウイさん、わずかでも空き時間を見つけては図書室に籠もっているのです。今も、とても集中して本を読んでいるようだったので、私の判断でお声がけを控えさせていただきました。あちらのお役目はキウイさんにしかできませんが、紅茶の用意でしたら私だけでもできますし……その、そうした方が、サクラ様のためになるかと思いまして」
私はキウイに『時魔法の真髄』の相談をした時に、キウイが「時魔法の文献を漁り直してみる」と言っていたことを思い出す。きっと、私のために調べものをしてくれているのだろう。
「キウイさんに、何か調べものを頼んでいるのですか?」
「ええ、まあ、そういう感じなの。チェリー、私への気遣いありがとう。では、紅茶の用意をよろしくね」
アヤメの質問に少しお茶を濁して返事をして、私はソファに座った。続いて、私の隣にルリが、対面にはスフェーンさんとアヤメが並んで座る。皆でチェリーが紅茶を淹れるのを待っている間に、スフェーンさんは手に持っていたガラスドームを渡してくれた。
「わあ、きれい……! スフェーン姉さま、アヤメ、ありがとう!」
「ありがとうございます。これは……中にお花を入れるものですか?」
スフェーンさんのくれたガラスドームは、中に物をいれるスペースがある、小さいドーム状の透明なガラスだった。底面は二枚貝の内側のように虹色に輝く板になっている。ドームの所々で、小さな光の粒がまるで星のように瞬いていた。
「ええ、そうなの。アヤメと一緒に色々試行錯誤したんだけど、これぐらいの小さな光なら、魔力の少ない陸上でも付与魔法を維持できるみたい」
「私も、光の付与を手伝ったんです。でも、ガラス細工の殆どはスフェーンが作ってくれました」
そう言って二人は顔を見合わせて、互いに優しい笑みをこぼした。大切な二人が協力してプレゼントを作ってくれたことに、私は胸が温かくなるのを感じた。
「サクラお姉様も、ルリお姉様も、最近何かと忙しそうでしたので……もし今日、お二人の時間があるなら、この中に入れるための花を城下町に買いに行くなんて、いいのではないでしょうか」
アヤメがそんな魅力的な提案をしてくれる。確かに、結婚式の次の日に城下町に行ったのは、楽しいひとときではあったものの、ルリの家族たちと一緒だったので二人きりではなかった。それに最近は、結婚式に参列してくれた近隣国のゲストに対するお礼状を書いたり、ローズ母様から『時の真髄』の話を聞いたりと、毎日が慌ただしく過ぎていた。ルリと二人のゆっくりとした時間はしばらく取れていない。
「とっても素敵ね。ルリも、いいかしら?」
「うん! サクラとひさしぶりのデート、たのしみ!」
その後、アヤメとスフェーンさんがやっている付与魔法を活用した時魔法の産業化の話なんかを聞きながらゆっくりお茶をした後、私とルリは城下町に出かけることにした。
「やっぱり、裾が短いのは、そわそわするわね……」
「ふふっ、サクラ、とってもかわいいよ!」
私たちはチェリーが用意してくれた町娘風の衣装に着替えて、二人で街に繰り出した。
「お花を買うのは、いつものワゴンでいいかしら?」
「うん、いいよ!」
私の提案にルリも笑顔で頷く。私たちの中で城下町へ出る時の定番になっている、いつもヘアアレンジをしてもらっている花売りのワゴンに向かった。
「あっ、サクラ様、ルリ様、いらっしゃいませ!」
以前も来たので、町娘風の服を着ていても、店員のお姉さんは私たちのことがわかったようだった。だが、前回のときに少し打ち解けたからか、あまり緊張せず迎えてくれた。
「ええと、今日は部屋に飾るためのお花が欲しいだけではあるのだけど……」
私はそんなことを言いながらルリの方に視線を送った。
「ええ〜っ、髪にかざるやつも、やろうよ!」
「ふふ、言うと思ったわ。じゃあ、ひとまずヘアアレンジを……髪に飾るお花はお任せで、お願いしたいわ」
ルリが予想通りの反応をしたのに笑みをこぼしながら、私は店員のお姉さんにそう告げた。ヘアアレンジをされながら、ルリとどんな花を買うか相談した。
「やっぱり、ピンクの花がいいな〜。サクラっぽいやつ!」
「私はルリの色のお花がいいわ。二つ買ってもいいんじゃない?」
「あっ、そういうことでしたら、ちょうどいいお花がありますよ!」
私たちの会話を聞いていたお姉さんが、ワゴンからすっと二本の花を引き抜いて見せてくれた。
「こちら、ブルーローズとピンクローズです。サクラ様とルリ様の結婚式があってから、お二人の色のお花をセットで買っていく人が多くて。おかげさまで、今、とっても人気商品なんですよ!」
店員のお姉さんが渡してくれた二本のバラは、まさに私たちの髪と同じ色をしていて、私たちのために用意されたかのような花だった。
「わあ、かわいい! わたし、これがいいな!」
「素敵な提案ありがとう。では、こちらのお花、後で包んでくださるかしら?」
そうして、ヘアアレンジをした後、店員のお姉さんは二本のバラをリボンで留めて包んでくれた。
お姉さんにお金を気持ち多めに払い、私たちは顔を見合わせて笑い合いながら、花売りのワゴンを後にした。
「このあとは、どうする?」
「私、ルリと一緒に行きたいところがあるのだけど……着いてきてくれる?」
私はルリにそう声をかけて、少し前からずっと行きたいと思っていた、街外れの高台の広場に向かった。
「ここ、わるいお花をやっつけたところだよね?」
私がルリを連れてきたのは、以前、寄生花ララ・ヴァインと戦いを繰り広げた広場だった。今は、国の騎士団により、寄生花は一輪残らず駆逐されているので、噛まれる心配はない。
あの日、寄生花と戦ったことにより、ルリが消失しかけて、私が口づけで魔力を譲渡して助けた、因縁の場所だ。
「そうなの。ここの場所、とても景色が良くて好きなんだけど……悪い思い出の場所になってしまっているから、楽しい思い出で上書きしたくて」
今この場所に来ると、寄生花との戦いを……ルリを失いかけたことを思い出し、気分が落ち込んでしまうので、避けてしまっていた。しかし、折角の景色が綺麗な場所だから、勿体ないと思っていたのだ。
「たしかに、それいいね! なにする? うたっちゃう?」
「あのね、私、あの時……ルリに、目を閉じていてってお願いしたでしょう? 実はね、あの時、キスしようとしていたの。あの時のやり直しをさせてくれるかしら」
そう、私はあの時、ルリと初めてのキスに臨んでいたのだ。もう幾度もキスは交わしてきたし、結婚式で誓いのキスもした。もう、初めてのキスではなくなってしまったけれど、それでも、あの日のキスをやり直したい気持ちが、ずっと心の中にあった。
「えぇ、そうだったの! んふふ……いいよ! たしか、あっちで、サクラが好きっていってくれたんだよね!」
ルリが浮いた足取りで、広場が見渡せる手すりの前に移動する。そう、あの時、その手すりにつかまって街を楽しそうに見ているルリに、声をかけたのだ。
「じゃあ、サクラ! どうぞ!」
「……っ。……ルリ、私……ルリのこと……好きなのっ!」
「ありがとうっ! ふふ……わたしも、サクラのこと、だ〜いすきだよっ!」
あの時を思い出し、向かい合わせで叫び合う。ルリは相変わらずの無邪気な笑顔だ。もう何度も愛を囁きあった仲なのに、こういう場で改めて伝えると、なんだか気恥ずかしい。
「じゃあ、目を閉じて……待っていてくれる?」
「ふふふっ、目をとじると、ドキドキするね……。いいよサクラ、わたし、待ってるよ……」
ルリがきゅっと目を閉じる。もう何が起こるかわかっているのに、ワクワクして口角を上げているのも、あの時と変わらない。
私は鼓動に合わせて、一歩、また一歩と、ルリに近づいていく。高鳴る胸の音が心地よく感じる。私たちの関係は、今日また、さらに良きものになるのだ。
手を伸ばせば届く距離まで来た時、私は、ルリの方に手を伸ばし、その柔らかな頬にそっと触れた。ルリの頬の温かみをじんわりと手のひらに感じながら、目を閉じる。
そのままゆっくりと顔を近づけると、私の唇が、ルリの柔らかな唇にそっと重なった。あの時、魔力譲渡するために重ねた唇とは違う。ルリの甘い香りが鼻腔をくすぐり、世界から音や光が消え、ただ二人の存在だけがそこにあるような、そんな気がした。
どれぐらいそうしていただろうか。時が止まったかのような静寂の中、私はゆっくりとルリから唇を離した。ぱちっと目を開けたルリと顔を見合わせると、どちらからともなく、ふふ、と笑みがこぼれ落ちた。
「ふふふっ……こんなに改めてキスすると、緊張するわね!」
「そうだねー! とっても、ドキドキしちゃった!」
もうこの場所は、気分が落ち込んでしまう場所なんかじゃない。これから先は、ここを訪れる度に、今日のきらきらとした思い出を振り返ることだろう。
あの時の過去を上書きしたのではない。どれだけ楽しいことを重ねても、過去を消すことはできない。
それでも私たちは、この価値ある『今』を重ねることで、辛かった過去すらも、「あんなこともあったね」と笑い合える、愛おしい『過去』に変えることができるのだ。
―― 過去も未来も全て『現在』であると、そう理解するのだ
その時、ふと頭に、ローズ母様の言葉が聞こえた気がした。
「……今……現在……。現在の行いで……過去を……。過去は……現在……?」
「……サクラ? どうしたの、サクラ?」
気づくとルリがきょとんとした顔で私を覗き込んでいた。
「いえ……ごめんなさい。少し、ぼうっとしていたみたい……だわ」
何となく心に引っかかるものはあったのだけれど、それ以上の確信を得ることはなく。
私たちは、そっと指を絡ませながら、帰り道へと向かった。
『16. 寄生花と、救済の口づけ』と繋がるエピソードでした。初めてのキスは魔力譲渡、とストーリーを決めてはいたものの、普通のキスをさせてあげたかったなという私の思いもあり。やり直しをさせてあげられて、私も心が軽くなりました。流れは踏襲しつつ、セリフや地の文は全て調整してあります。見比べると面白いかもしれません。




