4. ケッカイ? あの、ちょっと通りにくいやつ?
食堂では、既に母様二人が席に着いていた。
「ほう……ドレスもなかなか似合うじゃないか。その脚は、魔法で変化させておるのか? 実に素晴らしい技術だ」
ローズ母様は、人魚のルリが人間の脚になっていても、大して驚いた様子はなかった。これが女王の風格なのだろう。
「はい、サクラとおなじになりたくて! ドレスありがとうございます。それで……」
ルリが、ローズ母様の隣りに座っている、私のもう一人の母様――女王ローズの后、葵・ヴンシュ・フィオーレの方を向いた。
「となりにいるのは、おきさきさま?」
声をかけられた葵母様は、いつもの優しい笑みを浮かべて、ルリに返事をする。
「ルリちゃん、はじめまして。私はローズの后、葵と言います。ローズの親衛隊長も勤めているのよ」
葵母様は、后でありながら、女王ローズを守る騎士でもある。高貴さを思わせる紫色の髪に、同じ色の瞳。長いまっすぐな髪の毛を高い位置で結んでいて、精悍な顔つきをしている。その瞳の奥には、妻であり女王であるローズ母様を守る騎士としての、揺るぎない決意が宿っている。
仕事中は凛とした立ち振る舞いで女王を守るが、家族の前ではいつも柔和な印象だ。今は、その騎士としての顔をすっかりしまいこんで、ルリの相手をしている。
「そうなんだ、かっこいい! よろしくおねがいします!」
元気いっぱいに答えたルリを見て、葵母様がふふっと笑う。
「私のことは葵と、名前で呼んでくれたら嬉しいわ。娘になるんですもの」
「おっと、私もかわいいルリには名前で呼んでほしいな。ローズと呼んでくれるか?」
「はい! よろしくおねがいします、葵さん、ローズさん!」
実のところ、人魚のルリが家族の輪に入れるか、少し心配していたのだ。二人の母様と打ち解けたルリを見て、その心配は杞憂であったことがわかり、胸を撫で下ろす。
「あなたたちには大変な運命を背負わせてしまって、申し訳なく思っているのよ」
目を伏せながら、葵母様が言った。
「そうだ。だがルリのお陰で、サクラが望まぬ相手との結婚は避けられそうで、我々も安心しているのだ。ルリには感謝しかない」
「わたしもサクラのことだいすきだから、たくさんいっしょにいられて、うれしいです!」
天真爛漫に答えるルリを見て、ローズ母様から少し笑みがこぼれたのがわかった。しかしすぐに、ばつが悪そうな表情に変わり、おずおずとこちらを見てくる。
「ところで……その、うまくいきそうか?」
言いにくそうに、ローズ母様が聞いてきた。あけすけに言うと、子作りができそうかと、そう聞いているのだ。
何と答えるか迷っているうちに、先程までの騒動を思い出し、顔が赤くなるのを感じた。なるべく表情には出さないように、落ち着いて言う。
「も、もちろんよ母様。任せておいて」
少し声が裏返ってしまったが、なんとか誤魔化せただろうか。そう心配していると……。
「ねー、あとで続きやろうね!」
あっけからんと、ルリがそう言った。
せっかく、私が、なるべく冷静になるように答えたのに! 取り繕うとしたが、時すでに遅し。二人の母様は少し驚きつつも、どこか少し微笑ましげな表情をしている。
「あらあら……ふふっ」
「短い時間で、もうそんなに進展しておるのか……若いな」
「昔の私とローズみたいね?」
お互いに笑い合いながら、そんなことを言っている。
「ちょっと、ルリ!」
「あら、仲がいいのはいいことじゃない」
恥ずかしくなってルリに文句を言ったが、嬉しそうに笑う葵母様に止められてしまった。
「さあ、食事をいただきましょう。ルリちゃんには我々と同じものを用意してみたのだけど、食べられるかしら?」
葵母様の合図で、メイドが私達二人のために椅子を引く。用意された席に座りながら、ルリが答えた。
「わからないです! いつもは、海で魔力をたべて、おしまい〜ってかんじなんです。でも、サクラがよくクッキーっていうのをくれて、それはおいしかったから、大丈夫な気がする!」
最初に運ばれてきた皿は、前菜のスープだった。メイドがスプーンを示しているのに気づかず、指をおそるおそる近づけ、熱々のスープの表面をつんとつつく。
「あつい!」
あまりの熱さに驚いた様子である。
「ルリ、このスプーンを使って食べるのよ。ふーふーってして」
「ふーっ! ふーっ! ……おいしい!」
食べ方を教えてあげると、慣れないながらもスプーンを使いこなし、見事口に入れるのに成功していた。
「ふふっ……」
「ははは、楽しい食卓だ」
素直なルリの様子を見てか、母様たちの顔には笑みがあふれていた。
「ところでサクラ、お主はあまり城から出ることはなかったように思うのだが……どこでルリと親交を深めたのだ?」
「そ、それは……」
私は、ぎくりとする。
実のところ、ルリとは今まで城の庭園で会っていたのだが……。私はそれを、家族や城の人に内密にしていたのである。
「よく庭でお話してたんだよねぇ。大きい噴水の池があるお庭」
事情を知らないルリが素直に答える。
「それはもしかして、刻凍の回廊庭園のことかしら?」
「そうです……」
葵母様はルリの言葉にピンと来た……来てしまったので、私は白状した。
刻凍の回廊庭園というのは、フィオーレ国の王族しか入り口を開けることが許されていない、この城一番神聖で、厳重に守られた場所だ。
本来は国賓との極秘会議などに使う目的で作られているのだが、あまり使用される頻度自体は高くないので、普段は私がゆっくりしたい時に使う休憩所となっていた。
ちなみに名前の由来は、ローズ母様の魔法で庭園の時間が止まっているからだ。中にある植物は、花は枯れず、葉も落ちない。池の水が腐ることもなく、使用人の手入れは不要である。だからこそ、入口は固く閉ざされ、王族以外の誰にも開くことはできないのだ。
「たしかにサクラちゃんは庭園にいるのが好きだったわね。ルリちゃんはそこまでどうやって入ってきていたの?」
「池がね、すっごく長いんだけど、海につながってるの! そこから来てたんだよ」
実際のところ、サクラはどのようにしてルリが城の庭園に通っているか、知っていたのである。それが、国にとって重大な問題であることに、薄々気づいていた。しかし、それを誰かに伝えると、ルリとはもう会えなくなってしまう気がして。重大さをわかっていながら、誰にも言えずにいたのだ。
「庭園には、強固な結界があるのだが」
「ケッカイ……って何?」
「見えない壁のようなものだ。庭園には、虫一匹……塵一粒も入れぬようにしてある。もちろん、水路もな。そこを通ったというのか? いかにして?」
ローズ母様が訝しむように聞く。
そう、庭園の入口は、王族しか開けることはできない。では、その他の場所は? 当然のごとく、何人たりとも、塵の一粒すらも、何も通さないように、対策されている……筈なのである。
「あの、ちょっと通りにくいやつかな? たしかに、穴がすっごく小さいから、虫さんは通れないかもね?」
まるで何でもないことかのように、ルリが答える。二人の母様の顔が強張った。
「結界に穴……とな。おい、葵。これは、大問題だぞ」
「ええ、ローズ。すぐに対応が必要ね。……チェリー! 宮廷魔術師のキウイを呼んできて。至急よ!」
「はっはい! すぐに!」
バタバタと、チェリーが走って出ていく。
なぜ今までこのような国防に重大な秘密を黙っていたのかと、責められるだろう。そう思うと、背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
しかし、ルリと結婚の話を出した以上、いつかはバレる運命なのは理解していた。
もうどうにでもなあれと、私は心の中で叫んだ。そして、味のしないスープを啜った。




