37. 人魚の里を後にして
アビス・ゲイザーを撃破し、人魚の里に帰る途中、アメジストさんと合流した。アビス・ゲイザーが放つ大波から人魚の里を守ってくれていたが、海が静かになっても警戒を続けていたらしい。遠くから私たちの姿を確認すると、安堵したようにほほ笑み、こちらにすっと泳いできてくれた。
「ああ、みんな、無事でよかった! スフェーンとアヤメも一緒なのだね。アビス・ゲイザーは、うまく封印できたのかい? 一度、めっぽう大きい波が来た後、音沙汰がなくなったのだが……」
私はアメジストさんに、みんなで力を合わせて、アビス・ゲイザーを完全に消滅させたことを説明した。話を聞きながら、アメジストさんの表情が徐々に明るくなってゆく。
「なんと……! あの忌まわしい脅威は、もうこの世にいないのだね。よかった……。本当にありがとう、あなたたちのおかげだ、サクラ、アヤメ」
「いえ、私は、何もしていなくて……」
アメジストさんの言葉に私が首を横に振ると、アヤメとルリが両側から、私の手を握ってくれた。
「私は、サクラお姉様の言う通りにしただけですわ」
「そうだよ! サクラのかんがえた作戦、大成功〜、だよ!」
現地での私は本当にお荷物で、思ったことを口に出しただけなのだが。皆が一様に褒めてくれて、こそばゆいのを感じた。
「こんな私でもお役に立てていたなら……嬉しいわ。ありがとう、二人とも」
そう言うと、「サクラ、えらい!」と、ルリがぎゅっと抱きしめてくれた。じんわりと温かい体温が、抱きしめられた胸元から全身にひろがってゆく。それはまるで、心まで満たしてくれるような温かさだった。
人魚の里に辿り着くと、心配そうな顔をしていた人魚たちが一斉に集まってくる。
「オニキス様、パール様!」
「さっき、とっても大きい音がしたの!」
「里は大丈夫なの?」
「怪物が襲ってくるの?」
人魚たちは不安そうな表情で、口々に質問をぶつけた。
「脅威は去った。心配は要らない」
オニキスさんが短い言葉でそう説明すると、人魚たちは一瞬、静まり返った。しかしすぐに、また元の喧騒が戻って来る。
「どうやって脅威を退けたの?」
「すごいわ! さすがオニキス様ね!」
「本当にもう大丈夫なの?」
「とにかく、無事でよかった!」
「ありがとう、オニキス様!」
あちこちから、何が起こったかの質問と、オニキスさんを称える声が上がった。しばらく声を聞いたあと、アメジストさんが前に出て、好き好きにお喋りする人魚たちに声をかける。
「ほら、オニキス母さまとパール母さま……それに、大切な客人は、この件でお疲れだ。みんな、道を通してくれるね?」
アメジストさんの声に、人魚たちは後ろに下がり、道を作ってくれた。
「みんな無事でよかった!」
「もしかして、あなたたちも協力してくれたの?」
「ありがとう!」
通りすがりに、そんな声をかけてくれる人魚もいた。その優しい言葉に、心が温まるのを感じた。
「さて、一度屋敷に戻って身体を休めましょうねぇ。サクラちゃんたちも、おいでなさいなぁ」
そう言うパールさんの言葉に従って、一度屋敷に向かうことになった。
「サクラとアヤメは、姉さまたち全員にあいさつはできたんでしょう? わたしは、シトリン姉さまとガーネット姉さまには会えなかったけど、またいつでも会えるもんね! じゃあ、そろそろお城に帰ろうか!」
皆で屋敷に戻ってしばらく身体を休めた後、ルリがそう言い出した。
「スフェーン姉さまはどうする? いっしょにくる?」
「そうねぇ……」
スフェーンさんが、アヤメに問いかけるように目線を向ける。アヤメは、言いたいことはあるようだが、スフェーンさんの意思を尊重したいようで、唇を固く引き結び、言葉を飲み込んでいる。
「……里を離れるとなると、色々と準備があるからねぇ……もう少し待ってほしいわ」
スフェーンさんはしばらく考えたあと、そんなことを言った。
「ええ〜、そうなの? 里にはすぐ帰ってこられるんだし、いっしょにきたらいいじゃん!」
「私はルリのようには、自由に行動なんてできないわ」
たしかに、ルリは「私とケッコンしたらいいじゃん!」と言ったその日にはローズ母様に話を通して、一緒に暮らすことになった。それは聖なる巫女の予言があったからこそ、フィオーレ王国としても最速で最善の受け入れ対応が取られたからに他ならない。本来であれば、行く側も受け入れる側も、もっと準備が必要な筈だ。
「ふふ、アヤメ、そんな顔しないの。ルリの結婚式には行くから、そこですぐに会えるわ」
少し寂しそうにしているアヤメに、スフェーンさんが笑いかけた。その言葉に、アヤメの顔に少し安堵の色が浮かぶ。アヤメの表情を見て微笑むスフェーンさんからは、大人の余裕が感じとれた。
その『結婚式』という言葉を聞いて、私は我に返った。そういえば人魚の里を訪れたのは、ルリとの結婚式に向けて、ルリの家族がどんなものを好むかの調査のためだった。私は改めて、結婚式の準備について尋ねた。
「あの、結婚式に向けて、みなさんのドレスを用意しておくのですが、どういったものがいいでしょうか? ひらひらした服装がお好きでないなら、ドレスではなく動きやすい服装も用意できますが……」
特にオニキスさんは、きりっとしているから、パンツスタイルの方がお好みかもしれないと思ったのだ。しかし、パールさんはふふっと微笑んで、首を横に振る。
「あら、みんなドレスで大丈夫よぅ。とびきり可愛いのを用意していただけると、嬉しいわぁ」
そう言うパールさんに、オニキスさんも静かに頷いた。
「……楽しみにしている」
いつもと変わらない無表情だったが、その瞳にはかすかに期待の色が浮かんでいるように見えた。
私の目線に気づいたのか、パールさんが補足の説明をしてくれる。
「ふふ、オニキスは可愛いものに目がなくてねぇ。この家の装飾も、全てオニキスの趣味なのよぅ」
「そ、そうなのですか……!」
私は驚いて、思わず声を上げてしまった。きりっとしていて、少し近寄りがたいと思っていたオニキスさんから、こんなにも可愛らしい趣味が出てくるとは思わなかったからだ。その意外な一面を知ることができた私は、なんだかとても嬉しくなった。
「そうよ、オニキス母さまは不器用で自分で飾りが作れないから、私がよく作ってあげてるの。そこのステンドグラスのランプを作ったときなんて、注文が細かくて仕方なかったんだから」
スフェーンさんが呆れたように肩をすくめた。不器用で可愛らしいオニキスさんの姿を想像してしまい、私とアヤメは目を合わせて笑い合った。
そんな話をして、私たちは人魚の里を後にした。アヤメとスフェーンさんは、私たちの結婚式を終えた後に、一緒に暮らすのを目標にしたようだ。
屋敷を出るときに、誰にも見えないようにこっそりとキスを交わす二人を、私は密やかに目撃した。いたずらそうにキスをするアヤメと、驚きながらも、その行為を愛おしそうに見つめるスフェーンさん。ああ、この二人にとって、もうお互いにかけがえのない存在なんだな……そう思ったその光景は、誰にもいえない、私だけの秘密だ。
そうして、サクラたちが、人魚の里を後にした頃。人魚の里の上方にて。
「あーあ! 『黄緑の人魚』の眠りを妨げたついでに、運良く封印されていた巨大な鮫も目覚めて、とっても面白いことになりそうだったのに……本当、身体が大きいばっかりで、全然使えなかったわ! もっと、恐怖の感情をまき散らしてくれたら、極上の食事になりそうだったのに……」
その苛だった声は、誰の耳に入るわけでもなく、ただ虚空に響いていた。
「まあ、いいわ! あの黄緑の人魚から、美味しい嫉妬の感情をたっぷりいただいたし……しばらく、空腹の心配はなさそうだわぁ」
それは、満足そうに笑う。
「ふふふ……、次はどこに行こうかしら……次の獲物からは、どんな醜い感情をいただけるのかしらぁ……?」
こうして、物語の舞台裏で、静かに、そして人知れず、『聖なる巫女』と『災い』の戦いは幕を開けていたのである。
長かった人魚の里編、終わりました。いかがでしたでしょうか。
書いていると、地味に、「一歩踏み出す」「歩みを止める」などの足関連の表現、「呼吸が激しくなる」「吐息を重ねる」などの息関連の表現、「空気が震えた」「虚空に響く」などの空気関連の表現を封じられて、苦労しました。
かなり行き当たりばったりで書き始めたのですが、ルリの両親と姉たちもなかなか魅力的に書けてよかったです!
ここまで読んでいただいてありがとうございます。引き続き、結婚式編をお楽しみいただけると幸いです。
※ムーンライトノベルズにて、フィオーレ城に帰った後の話を公開中です




