35. 海底に轟く歓声
アビス・ゲイザーに、時止めの魔法を付与する。私たちはアヤメに、一筋の希望を託すことになった。
私はアヤメのことは信頼しつつも、不安があり、提案を口にした。
「アヤメ、動いてるものに時止めの魔法をかけるのは難しいわ。時止めの魔法の付与も、同じだと思う。最初だけ、ルリにかけてもらいましょう。ルリがアビス・ゲイザーに時止めの魔法をかけて、動きを止めたら、すぐにアヤメが『付与』の時止めの魔法をかけなおすの。ルリ、どうかしら」
先ほどルリが時止めの魔法をかけるのは難しいと渋い顔をした時、少しの時間ならかけられると思う……そうも口にしていた。ルリならば、ほんの少しの時間なら時止めの魔法をかけるのは容易いのだろう。
しかしそれはあくまで、ルリの高い魔法センスによるものだと思ったのだ。事実、とてつもなく巨大である上に、ゆっくりではあるが動き続けるアビス・ゲイザーに時止めの魔法をかけられるなんて、私はルリのように自信満々に断言することはできない。
「うん、まかせておいて! でも、ほんとうにちょっとのあいだしか、時止めの魔法をかけてられないから……すぐに付与魔法をかけてね、アヤメ」
「わかりました、ありがとうございます、ルリお姉様」
アヤメはルリにしっかりと頷く。
「アヤメ、あなたは魔力を練るのがとても早いから、きっと大丈夫」
成人の儀の時にアヤメは、その魔法の才を持ってして、とんでもない早さで時止めの魔法を練り上げた。その時のことを思い出しながら、私は不安を打ち消すようにアヤメに声をかけた。
「パール母さま。わたしとアヤメは時魔法に集中するから、そのあいだ、波から、わたしたちをまもってくれる?」
ルリが、パールさんにお願いした。時魔法は集中力が必要なので、波を退けながら使うのは難しいだろう。
「わかったわぁ。オニキスは、時止めの魔法がかかったあと、攻撃をする準備をしておいてねぇ。スフェーンちゃん、みんなのことは私たちが守るわよぅ」
「ああ、任された」
「わかりました、パール母さま」
パールさんの言葉に、オニキスさんとスフェーンさんも頷く。こうして、打倒アビス・ゲイザーの布陣が完成した。
「じゃあ、いくよ……!」
そして、ルリは時魔法を練り上げるのに集中し始めた。私はルリを応援することしかできず、手をぎゅっと握る。ルリは普段、なんでも卒なくこなすので、魔法を使うときに緊張を見せることはほとんどない。だからこそ、その手から伝わる震えと、いつになく真剣な眼差しに、私は心臓が締め付けられるような思いになった。
ルリが魔力を解放すると、アビス・ゲイザーが淡い光に包まれ、動きがぴたりと止まる。
「……っ! かかった、アヤメ、いそいで!」
「スフェーンちゃん、落ちてくる……大波がくるわよぅ!」
ルリとパールさんがほぼ同時に叫ぶ。
アヤメが目を閉じて魔力を練り上げ始めるのと同時に、時止めの魔法で動きが止まったアビス・ゲイザーが、海底へと落下を始める。轟音とともに海底へと落下したアビス・ゲイザーは、巨大な波を形成した。その波がこちらへと至る前に、パールさんとスフェーンさんが協力して、水魔法を駆使して立ち向かう。二人の放った水魔法は、巨大な波をまるで柔らかいクッションで受け止めるように、ゆっくりと、しかし確実に相殺していく。
「……っ! 時止めの魔法の付与、いきます!」
アヤメが付与魔法を解放したのは、それからすぐだった。ルリがかけた淡い光の上から、さらに強い光が追加される。その光は、周囲の海水が持つ膨大な魔力を、まるで吸い上げるかのように取り込んでいく。これで、アビス・ゲイザーは、時止めの牢獄から逃れることはできなくなった。
「ふわぁっ……! はぁ、はぁ……」
アヤメの付与魔法が成功したのを見て、ルリは自分がかけた時魔法を解除した。途端、ルリの身体から力が抜けてよろめく。慌ててルリを抱きとめると、その身体は震えているのがわかった。アビス・ゲイザーの動きを止め続けるのがどれほどルリに負荷をかけていたのか、その震えが物語っていた。
「ルリ、お疲れさま。……アヤメも」
「ふふ、ありがとー……」
「はい、これで、一安心……ですね」
オニキスさんが静かに前に出る。
「後は、私に任せろ」
その後は、オニキスさんの独壇場だった。
オニキスさんが手を掲げると、アビス・ゲイザーの額に、淡い光が灯される。それは強固な結界ごと核を包み込み、魔法空間へと閉じ込めた。
そして、オニキスさんは掲げた手を、ゆっくりと握りしめる。
パリンという、ガラスが割れるような音が響いた。同時に、核を守っていた結界が壊れる。直後、まるでガラス細工のように、核がばらばらと砕け散った。
「す、すごい……!」
「オニキスの得意な空間魔法ねぇ。空間魔法の領域に対象を捕らえて、圧縮してるのよぅ」
今度はオニキスさんが、まるで巨大な獲物を抱きかかえるかのように、腕を広げた。すると、時止めの魔法で動きを止められたアビス・ゲイザーの全身が、淡い光に包まれていく。
「……ふぅっ」
オニキスさんが小さく息を吐く。次の瞬間、広げた両腕を、一気に、そして迷いなく合わせる。
めきめきという、巨体が軋むおぞましい音が鳴り響いた。同時に、アビス・ゲイザーの巨大な身体が一気に潰れてゆく。
やがてその巨体は、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消えてしまった。
静寂が流れる中、オニキスさんは何事もなかったかのように、静かに腕を下ろす。その表情はいつものように感情がなく、大魔法を駆使したというのに涼しい顔を保っている。ただほんの少しだけ、口角が緩んでいるような気がした。
「やった……やったよ! オニキス母さま、すごい……っ!」
ルリの歓声が、先ほどまで巨大な魔物がいた、何もない空間に響き渡った。その声を合図に、皆の緊張の糸が解けたのを感じた。
「やった……よかったっ……!」
私は、ルリに抱きついたまま、ただただそう呟いた。皆の表情は、一様に安堵と喜びに満ちている。お互いを称え合い、その勝利を分かち合った。
アビス・ゲイザー戦、終幕です!
物語の展開上仕方がなかったのですが、マジでサクラちゃん何もしてない! 作戦を考えたのはサクラちゃんですので……!




