28. 姉の歪んだ愛
ルリがその異変に気づいたのは、里に入ってすぐだった。
(あれ……ちょっと、イヤな感じ?)
それは、ルリの鋭い感覚でのみ捉えられた、わずかな違和感だった。海水に混じる、わずかな「毒性」のようなもの……ルリにとってそれは、肌がぞわぞわとするような、心地の悪い感覚がするものであった。ルリはその詳細を理解することはできなかったが、「たくさん身体に入るとよくなさそう」と判断し、事実、それは正しかった。
(でも、だれも気づいてなさそう……。それに、オニキス母さまに、はじめて会うのに、さすがにサクラとアヤメだけじゃあ、こわがっちゃうよね……)
ルリはその違和感をすぐに口にするのはやめることにした。まず、自分の母であるオニキスが、初対面の人と相性が良くないのは理解していた。そして、海水に含まれる「毒性」はとても薄く、すぐには問題にならないと思ったからだ。オニキスとパールへの挨拶が終わるまでは自分の中に留めることを決めた。
オニキスとパールが住まう「屋敷」に向かうまでの間に、場所により「毒性」の濃度に差があることに気づいた。ぞわぞわとした不快感が強まる場所があるのだ。
(イヤな感じがいちばん強いところに行くと、何かがあるのかな……?)
そう考えたルリは、オニキスとパールへの挨拶が終わるや否や、サクラたちとは別行動をすることにし、とびきり強い「毒性」を感じる方に飛び出したのである。
「毒性」が強くなるにつれて、親しみのある魔力を感じだす。
(この魔力は……!)
その慣れ親しんだ魔力の存在に気持ちが高ぶったルリは、それまで追っていた「毒性」の存在をすっかり忘れてしまった。そして「毒性」の源流に、ルリの……慣れ親しんだ姉は、いた。
「スフェーン姉さま!」
そこにいたのは、ルリの姉にして、五人姉妹の四女、スフェーンであった。ルリにとってスフェーンは最も歳の近い姉であり、スフェーンにとってルリは唯一の妹であったため、二人には他の姉妹よりさらに強い繋がりがあった。スフェーンはルリの顔を認識するや否や、その表情を喜びに染めた。
ちょうどその時、あふれ続けていた「毒性」の発生がぴたりと止まったのだが……「毒性」のことが頭から消えてしまっていたルリは、そのことには気づかなかった。
「ルリ、ルリなの!?」
「スフェーン姉さま、ただいま!」
ルリは姉の胸に飛び込んだ。そのままスフェーンを中心にぐるぐると駒のようにまわる。回転がおさまると、スフェーンは愛しい妹を、力いっぱい抱きしめた。
「ルリ、愛しのルリ……。会えなくて寂しかったけど、そんなの、あなたの太陽のようなお顔を見たら忘れてしまったわ。ああ、あなたのことがどれだけ恋しかったか……。おかえり、かわいい私の、たった一人の妹」
「えへへへっ、くすぐったいよ〜」
ルリの頬を優しく撫でながら、スフェーンは淡いライムグリーンの瞳で優しくルリを見つめる。
「ねえ、スフェーン姉さま! あとで、サクラに会ってよ! 私の、ニンゲンの、伴侶だよ! とってもかわいいの!」
ルリのその言葉を聞いた時、スフェーンの瞳に仄暗い闇が宿ったのに、太陽のように笑うルリは気づかなかった。
スフェーンのその特徴的な瞳は、見る角度によって微妙に色が変わる。それはまるで、ルリに対してとそれ以外で態度を変える、スフェーン自身を表しているようでもあった。
「ルリ? かわいそうなルリ……。ニンゲンは怖い生き物なのよ。そのうちあなたを食べてしまうに違いないわ……」
スフェーンはルリを優しい目で見つめた。しかしその様子が何かおかしいことに気づき、ルリは戸惑った。
「へっ? そんなことないよ、サクラは……ひぇっ、スフェーン姉さま……っ!」
ぞわぞわとした強烈な不快感を感じ、ルリは悲鳴を上げた。
目の前にいるスフェーンを中心に、先ほどまで追っていた「毒性」が、まるで黒い霧のように、濃く、そして強く広がっていることに、ルリは気づいた。
このままではスフェーンが「毒性」に取り込まれてしまうかもしれない。そんな危機感を持った。
「スフェーン姉さま、なんか、ここ、イヤな魔力がいっぱい……っ。やっ、やだっ、きもちわるいっ」
その時ルリは、自分の身体の中を何かが這う感覚に襲われた。反射的に魔法でレジストし、その感覚はすぐに消え去る。その間は、ごくわずか、たった一瞬だった。だがそれは「誰か」がルリを「覗く」のに十分な時間であった。ルリは、気色の悪い感覚から解放されたことに安堵するのみで、その間に何が行われていたかには気づくことができなかった。
この「毒性」はただの違和感なんかじゃない。自分たちに害をなす危険なものだ。そう判断したルリは、震える手で、スフェーンの手をぎゅっと握りしめる。
「スフェーン姉さま、にっ、逃げようっ……!」
「あらあらあら、ルリは怖がりなのね……」
魔力の感覚がルリほど鋭くないスフェーンは、その「毒性」の存在にそもそも気がついていない。ルリも、その「毒性」の発生に姉が関わっていることは想像すらしなかった。
その時、ルリに手を握られたのと、珍しく弱々しいルリを見た悦びで、スフェーンの気分は激しく高揚した。その時、スフェーンの気分の変化により、「毒性」の発生がぴたりと止まったのだ。しかしそのことには、「毒性」から逃げようと焦るルリは気づけなかった。
ルリはスフェーンを連れ出して、その場から逃げ出す。
その場には誰もいなくなった……と誰の目にも見えただろう。
「ふふっ……。ふふふふっ! いいじゃない、使えるわ、あの娘……」
その場にずっと、招かれざる「誰か」がいたことには、感覚が人一倍鋭いルリでさえも、気づくことはできなかった。
何気に初めての、サクラ目線以外の話でした。そして何やら不穏な気配……何なのでしょう。
スフェーンという宝石の見た目を知らない人は、ぜひ調べてみてください。スフェーンさんの、見る角度によって色の変わる瞳のイメージがわかると思います。宝石のスフェーンの強い「ファイア」を、スフェーンさんの瞳のイメージに反映しました。




