25. 里の長の娘
私とアヤメは、ルリに誘われるがまま、人魚の里へと近づいていった。
里に近づくにつれて、巨大な貝で出来た美しい家々や、色とりどりの魚達が泳ぎ回っているのが見えてきた。たくさんの人魚たちが、その中で楽しげにおしゃべりしたり、歌ったりしている声も聞こえてくる。
そんな幻想的な光景の中、だんだんと人魚たちの視線を集めているのを感じた。歌っている人魚は声を止め、おしゃべりをしている人魚は、私たちのことを話題にしているようだった。
「あれは……しばらく見ていなかった、ルリ様じゃない?」
私たちを見て発せられた声に、別の声が重なる。
「本当よ、ルリ様だわ!」
「ルリ様、久々にお姿を見たわ!」
「相変わらず、美しいお姿ね!」
あちこちから、たくさんの声が耳に入ってくる。
「ルリ様のお隣にいるのは誰なの?」
「この辺りでは見ない顔ね?」
「そんなのどうだっていいじゃない、あんなに綺麗なんだから!」
「本当、綺麗だわ!」
私たちに向けられた好奇の声は徐々に大きくなる。
(なんだか皆、ルリのことを『ルリ様』って呼んでいるような……?)
人魚の里に到着して、たくさんの人魚たちがルリを取り囲んでいる様子を見て、その疑惑は確信に変わった。
「ルリ様、今までどこにいたの?」
「お連れのお二人はだあれ?」
「今日も美しくて惚れ惚れするわ、ルリ様」
私たちは、四方八方どころか、上も下も人魚に取り囲まれてしまった。
取り囲んでいる人魚たちは例外なく、ルリのことを慕っていて、その眼差しには、尊敬と親愛が満ちているようだった。それは、フィオーレ王国の公務中に、民が私に向ける視線に通じるところがある気がした。ルリはもしかして、人魚の里の中で、特別な身分の人魚なの? そんな予感が私の中によぎった。
集まってきた人魚たちは、ルリが連れてきた私とアヤメの正体に興味津々のようだった。私たちとの関係をルリの口から告げられるのを待っているようで、好奇の視線が突き刺さる。
「みんな、ただいま〜! きょうは、わたしの伴侶と、その妹をつれてきたんだよ! わたし、ケッコンするの!」
ルリが天真爛漫にそんなことを言うと、周りを囲っている人魚たちから、黄色い声が飛ぶ。そして、人魚たちはさらに騒がしくなった。
「ケッコンって、なあに!?」
「伴侶ということは、ルリ様、つがいになるの!?」
「たしかに、素敵な方々だわ!」
人魚たちは、好き勝手お喋りしていて、その興奮は留まるところを知らない。私の隣にいるアヤメは、その熱気に気圧されて、居心地が悪そうに身を縮めていた。
人魚たちは私とアヤメに悪い感情は持っていないようで、次々と褒め言葉をかけてくれる。
「美しすぎておどろいちゃった!」
「珍しい素敵な色の髪ね!」
「瞳も澄んでいて綺麗だわ!」
「ルリ様にぴったりね!」
嬉しいのだが、なんだかこそばゆい気持ちになってくる。
それにしてもこの人魚たちは、いつになったら私たちを解放してくれるのだろうか。ルリが私を「伴侶」と紹介したことで、興奮の渦が巻き起こってしまい、その熱は冷めるところを知らなかった。
そんな時、少し低い通った声が、ざわめきを貫いた。
「皆、客人が困っているよ。一度静まりなさい」
その声は、まるで魔法をかけたかのように、あんなに騒がしかった人魚たちを一斉に静まり返らせた。
その声の主は、紫色の澄んだ瞳を持つ、どこかルリと似た顔立ちの人魚だった。透き通るような綺麗な紫色の長い髪を、顔の横で一つに束ねている。その表情は、ルリの感情に合わせてころころ変わるのとは正反対で、柔らかい笑みをずっと浮かべたままだった。
ルリにどこか似ているのに、ルリとは全く違う落ち着いた雰囲気に、私は思わず息をのんだ。
「アメジスト姉さま! ただいま! オニキス母さまと、パール母さまはいる?」
「屋敷にいるよ。ルリが帰ってくるのを楽しみにしていた」
ルリはその人魚を、姉と呼んだ。その言葉により、ルリに顔立ちが似ていると感じたことに合点がいった。
ルリの底抜けに明るい笑顔とは違って、静かで、落ち着いた雰囲気を纏っている。顔立ちはルリだけど、雰囲気は葵母様に似ていると、少し思った。
「さあ、みんな。客人は、オニキス母さまとパール母さまに会いに来たんだ。屋敷に行くから、通してくれると嬉しいな」
アメジストと呼ばれた人魚がそう言うと、人魚たちは道を開けてくれた。
「みんな、私はオニキス母さまとパール母さまとお話してくるよ! またね!」
ルリが通りすがりにそんな声をかけると、人魚たちも次々と返事を返してくる。
「ルリ様、またお話してね!」
「綺麗なお二方、後でたくさんお喋りしましょう!」
こうして私たちは、人魚の群衆から離れて、屋敷と呼ばれたところに向かい始めた。
「皆が迷惑をかけてしまって、すまないね。深海では刺激が少ないから……。みんな、珍しいものには、目がないんだ」
ルリの姉は私たちを先導しながら、先程の騒動についての謝罪を口にした。
「いいえ、びっくりはしましたけど、皆私たちのことを、歓迎してくれていましたから。ありがとうございます、アメジスト様」
「そんなに固くならなくていいよ。君は、サクラかな?」
「はい、サクラと申します、アメジスト……さん」
私が迷いながらそう呼ぶと、アメジストさんは「そう、それでいい」と、優しく微笑んでくれた。その言葉に、私は張り詰めていた緊張が少し緩むのを感じる。
ルリの姉、アメジストさんは、人魚たちに向けていたのと同じ柔らかい笑顔を、私たちにも向けてくれた。少なくとも、アメジストさんに関しては、私たちは嫌われてはいなさそうで、ほっとする。
「そしてそちらは、アヤメだね? よろしく」
「はっはい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
急に話しかけられて、アヤメは驚きのあまり目を丸くしながらも、丁寧に返事を返した。
ルリからの話が事前に伝わっていたのだろうか。アメジストさんは、ルリから紹介されなくても、私やアヤメのことを知っているようだった。
「ねぇ、ルリ。ルリのお母様たちは、その……、この近辺の、統治者なの?」
私は人魚の里に来てからずっと胸に抱いていた疑問を、ようやく口にすることができた。
「ルリから聞いていなかったのかな? そう、私たちの母、オニキス母さまと、パール母さまは、この里の長であり、このあたりの海の全域を支配する、近海の主だ」
ルリの代わりに、アメジストさんが答えてくれる。その答えは、私の予想通りだった。
私としては、ルリの家族に挨拶するだけの気持ちだったのだが、これはもしかして、人間の国と人魚の国の国交樹立とか、そういう話になるのかもしれない。私は、突然私にのしかかった重圧に、潰れそうになるのを感じる。
「あれ、教えてなかったかも?」
ルリは頭をかきながら、てへっと舌を出した。そんなルリが可愛くて、ずるいなあと思う。
「ルリお姉様、人魚のお姫様だったのですか……?」
アヤメが畏敬の念を込めた、きらきらとした眼差しをルリに向ける。
「サクラとアヤメみたいに、りっぱな感じじゃないよ! この里も、国ではなくて、みんなが集まって暮らしてるだけだし……」
アヤメが畏敬の念を込めて見つめるのに対し、ルリは少し照れたように謙遜の言葉を言った。
ルリは否定するけれど、私にはルリは立派に思えた。先程取り囲んでいた人魚たちの、ルリを慕う様子を思い出す。その様子からは、ルリが人魚の里の民たちからの信頼を得ているのがわかった。
「さあ、着いたよ。私はここで待っているから、挨拶しておいで」
アメジストさんは、里の中でもひときわ立派な、岩のくぼみを利用した家に案内してくれた。
入り口はたくさんの貝や真珠で装飾されていて、光が灯された瓶が、ふんわりと辺りを照らしている。その出で立ちの豪華さから、ルリの母たち――近海の主の、権威を感じ取ることができる。
私は、緊張で震える手を抑えた。
「じゃあ、サクラ、アヤメ、わたしに着いてきて!」
そうして、私たちはルリに続いて、尾ひれに力を込めて、屋敷の中へとゆっくり身体を押し進めた。




