23. 結婚式の準備
プラムワインの検証の話は、順調に調整が進んでいるらしい。アヤメが逐一経過を報告してくれるが、その表情はいつもきらきらと輝いている。自分の提案したことがだんだん形になってきたので、やりがいを感じているのだろう。いつもルリと一緒に、微笑ましく見守っている。
さて、昨今のフィオーレ王国での一番の話題は、およそ一ヶ月後に執り行われる予定である、次期女王――つまり私の、結婚式の話題だ。
私とルリは連日、ドレスの調整だったり、ダンスの練習、誓いの言葉の読み合わせなどで忙しなくしている。でもその一つ一つが、ルリとの未来に繋がっていると思うと、少しも苦にならなかった。むしろ、幸せな気持ちでいっぱいだ。
結婚式のドレスを考えるのは、メイドのチェリーの役目になっていた。本来はルリの専属メイドのキウイも一緒に担当するものだが、「私そういうのわからないので、チェリーさんよろしくお願いします」と丸投げされてしまったらしい。「楽しいからいいんですけど、言い方ってありますよね!」と軽く文句を言っていた。
チェリーの手配したドレスはどれもとても素敵で、チェリーのセンスには脱帽する。特にウエディングドレスは花溢れるフィオーレ王国を象徴するように、随所に花の意匠が取り入れられた豪華なデザインだ。
なお、ルリのドレス姿は「当日のお楽しみです!」とチェリーに言われて、決して見せてもらえない。ルリと私は、お互いにどんなドレス姿なのか、想像を膨らませる毎日だ。いろんなドレス姿のルリを思い浮かべるだけで、胸が高まってしまう。
ダンスは、私はある程度の経験がある。人魚のルリにとっては、これが初めての経験だ。うまくできるか心配していたが、そんな心配は杞憂に終わった。
ルリは、一度教えられただけで完璧にステップを覚えてしまった。持ち前のリズム感で軽やかに踊る。その様子はまるで妖精が舞っているようだった。
ルリが踊ると、その場がぱあっと華やぐ。「サクラ、たのしいね!」なんて言いながら笑顔で踊る姿は、見る人の心まで弾ませるようだった。私は、ルリに見とれてステップを間違えないよう、いつも必死だ。
ルリは、結婚式で何やらサプライズを企画しているようだ。
「サプライズがあるから、たのしみにしてて!」とルリ本人から聞いた。言ってしまったらサプライズではないのでは、と少し思ったが……、内容がサプライズらしい。
葵母様は内容を把握しているそうなので、結婚式がめちゃくちゃになるようなことはなさそうだ。私は安心して、ルリからのサプライズに期待を寄せている。
誓いの言葉は、二人で内容を考えた。今は、読み合わせのたびに、目が合って、お互い照れくさくなって笑ってしまう。「もう、サクラ、照れちゃダメだよ!」と言うルリの顔も火照って真っ赤だ。本番では照れないように、何度も読み合わせをする。この時間が愛おしくてたまらない。これからずっと、ルリと一緒にいるんだ。そう思うと、胸がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
ルリが特大の爆弾を落としたのは、ある日、普段と変わらない和やかな雰囲気の夕食の時間だった。
「あの、ローズさん、葵さん。ケッコンシキって、たくさんの人に来てもらうんでしょう? わたしも、母さまたちや、姉さまたちを呼びたいなって、思うんです。どうでしょうか?」
ルリの悪気のない無邪気な一言に、まるで時魔法を使ったかのように、食堂の時間は止まった。
ナイフで肉を切るローズ母様の手はぴたりと止まり、葵母様は優雅に微笑んだまま固まっている。アヤメは、何やらまずそうな気配を察知して、物音を立てないようにしているようだった。
「ルリに……お母様たちがいらっしゃったの?」
我ながらなんとも間抜けな発言だった。
当然、生物として産みの親がいるのは当たり前のことだ。以前、子どもの作り方の話をしていた時だって「まずどちらかが卵を出して」なんて話をしていたのだから。
でも今まで、ルリから家族の話をほとんど聞いたことがなかった。厳密には出会った頃に少し聞いた気がするが、随分前のことなので忘れていた。だから、私の中では、ただ一人で存在する人魚、という認識しかなかったのである。
「いるよー! 母さまたちとはずいぶん会ってはないけど、連絡はずっとしてるんだ。お部屋に、水場を作ってくれたから……」
聞けば、人魚に文字という文化はないため、思念を載せた魔力の塊を、私の部屋の海水を引いている水場から海に向かって放って、メッセージを送っていたらしい。あちらからの連絡を受ける時は、水に浸かって、探知魔法で探して、受信する。そんな感じのやり取りを、密かにしていたそうだ。
「サクラちゃん、あなた、ルリちゃんの家族を把握していなかったの?」
葵母様の射るような厳しい視線が飛んでくる。普段、家族の前では穏やかで優しい葵母様だが、騎士の仕事をしているだけあり、怒ると怖いのだ。でも私が同じ立場なら、同じ非難をしただろうと思う。
「言い訳の言葉もございません……」
私は絞り出すようにそう答えることしかできなかった。
「もちろん呼んでもらうのは構わない。だが、何を準備すればよいのかわからないので、後で使用人と話し合っておいてくれるか? 水槽とか、用意しておいたほうがいいんだろうか……見世物みたいにならないようにしないといかんな」
ローズ母様はそう言ったあと、難しそうな顔で唸った。たしかに、人魚の入った水槽を式場に置いていたら、それは参列者ではなく、変わった飾り物として見られてしまいそうだ。
「わたしがかわいいドレスを着てるって教えたら、母さまは、いいなーって言ってたから、たぶん、みんなニンゲンの姿で来るとは思います。あっ、でもそうしたら、ドレスの用意をおねがいしないと、でしょうか?」
「そうだな。しかし、サイズと人数にもよるが、人間と同じドレスならすぐに準備できるだろう」
ローズ母様の言葉に、ルリはほっとしたような表情になった。
「よかったです! サイズはみんなわたしと同じぐらいかな? 母さまたちと、姉さまが四人……あと、伴侶がいる姉さまが二人、です。まだ、みんな来るかわからないけど……」
姉が四人ということは、ルリは五姉妹のようだ。私はアヤメが産まれるまで一人っ子だったので、楽しそうでいいなと、少しだけ思った。でも、人魚の姉妹ってどういう感じなのだろうか。
「それなら大丈夫そうだ、後で使用人と詰めておいてくれ。チェリー、橋渡しを頼む」
チェリーは「かしこまりました、ローズ様」と言いながら、顔には「なんでルリ様の話なのに、キウイさんではなく私が……」と書いてあった。だが実際、結婚式の準備の仕事にほとんど関わっていないキウイよりチェリーの方が適任であることは確かなので、ローズ母様の采配は正しい。
ここまで聞いて、思う。可能なら、誰かがルリの家族たちに会いに行って、どういう方々なのか、ドレスの色は何色が良さそうかなど、リサーチが必要であろう。そして、当然ながら、一番の適任者は、私であった。
「私、ルリのご家族に、ご挨拶に伺ってもいいかしら……?」
「むむむ? サクラが、わたしたちの人魚の里に来てくれるってこと? それ、とってもすてき!」
私の提案に、ルリは太陽のような笑顔を向けた。
「そうね、ルリちゃんの家族が受け入れてくださるなら、当然、挨拶は必要ね。サクラちゃん、くれぐれも、失礼のないようにね?」
葵母様は、優しく微笑んではいたが、その奥には、これ以上失態は犯さないようにと、無言の重圧を感じた。
「ねぇ、アヤメも来ない? 海の底だけど、とってもきれいなところなんだよ!」
「ええっ、よろしいのですか?」
ルリの突然の提案に、アヤメは驚きと、そして期待に満ちた表情で目を丸くした。
「あっでも、海の底なんて、私、どうやって行けばよいのでしょう……?」
「わたしが魔法で人魚にしてあげる! サクラとも、そうやってデートをしたことがあるの」
おろおろするアヤメに、ルリは屈託のない笑顔で告げた。
「ええと、私、公務はしばらく予定がございませんし、プラムワインの話も、ナデシコの国から取り寄せた品が届くのを待っている状態で、お仕事的には問題ないと思うのです。その、お邪魔でないのなら、とても、興味はあるのですけれど……」
アヤメは、行く許可が降りるか不安なようで、ちらりと葵母様の顔色を窺う。その表情には、人魚の住む世界を見てみたいという純粋な好奇心と、迷惑をかけてしまわないかという遠慮が入り混じっていた。
「できれば、ローズさんと葵さんにも来てほしいけど、さすがにおしごとがありますよね……」
ルリは、少し寂しそうな目で、ローズ母様と葵母様を見つめる。
「そうね、さすがに私たちが城を空けるわけにはいかないから、私たちの分まで挨拶をよろしく頼むわね、アヤメちゃん」
葵母様は、優しく微笑んでアヤメの背中を押した。その言葉に、アヤメの顔がぱあっと明るくなる。
「ルリちゃん、行けなくてとっても残念だけど、帰ってきたらたくさんお土産話を聞かせてちょうだい」
ルリは少し残念そうな顔をしたが、「うん、わかった!」と元気よく頷く。
こうして、私、ルリ、アヤメによる、人魚の里への訪問が正式に決まったのであった。
ここからしばらく、舞台は人魚の里になります。




