1. 姫の結婚宣言
この世界に、かつてあったという雄と雌の分類はない。
長い進化の過程で、あらゆる個々が、生命の種を授ける役割と、それを育む役割、その両方を果たせるようになったのだ。だから親はどちらも母と呼ばれる。
私の母のうちの一人、ローズ・アムール・フィオーレは、フィオーレ王国の女王だ。
そのローズ母様は今、玉座に座っていた。真紅の瞳に、同じ色の艶やかな長い髪が美しい。顔に幼さが残るのは、時止めの魔法で若さを維持しているからだ。しかし、その凛とした佇まいは、年季を思わせる。
対する私は、深く跪いている。女王ローズの一人娘にして、この国の唯一の姫、サクラ・エルモーサ・フィオーレ。それが私である。
ローズ母様は母ではあるものの、王城の謁見の間では王として相対せねばならないと決まっていた。自然と背筋が伸びる。
「面をあげよ、サクラ。結婚相手を見つけてきたというのは本当か?」
「冗談ではございません、ローズ母様」
数日前に結婚相手の確認をされた時は素直に「いません」と伝えたので、当然ながら母は訝しんでいた。
「して、その相手はどこにおるのだ」
「こちらにございます」
私は小瓶を取り出した。瓶はルリの魔力がたっぷり込められた海の水で満たされている。徐ろに蓋を開けると、煙とともに、私にとっては見慣れた人魚が飛び出した。
「はじめまして、ニンゲンのじょおうさま! わたしはルリ! 人魚のルリです!」
「な、ななな……っ!?」
突然の出来事に、ローズ母様が口をパクパクさせて声にならない声を上げている。文句を言われないことをいいことに、私は口早に囃し立てた。
「こちらのルリと、私は長年親交を深めてきました! 人間と人魚、種族は違えど、私達の絆は本物です!」
私の世界で唯一友と呼べる存在、それがルリだった。
小国の、しかもたった一人の姫である私は、社交界ではロクに相手にされなかった。フィオーレ国時期女王という将来が決まっている私は、政略結婚の道具としても価値が薄く、そんな私に興味を示す人はいなかった。次第に、公務以外では城の外へ出ることはなくなっていった。
孤独な日々を送っていた私に唯一光を差してくれたのが、城の庭園の池に迷い込んできたルリだった。
初めてルリを見つけた時、私はその美しさに息を呑んだ。月明かりのように輝く白い肌、太陽の光を反射して煌めく藍色の髪。そして何より、何も裏側のない、純粋で屈託のない笑顔。
それからと言うもの、私はルリと話すために、暇を見つけては庭園に通った。
ルリは私の話を熱心に聞いてくれた。コロコロ変わる豊かな表情で、私の話に一緒に怒ってくれたり、悲しんでくれたり、笑ってくれたり……。社交界で疲弊した私の心を、その存在が癒やしてくれた。
時折ルリにお菓子をプレゼントしたり、海の物語を聞かせてもらったりしながら、長い時間をかけて、確かな絆を紡いでいったのだ。
「サクラから災いの予言の話を聞いたの! サクラがケッコンするのが大事だけど、相手が決まってるわけではないんでしょう? じゃあ、わたしがピッタリだと思うんです!」
ルリも私の言葉に続けてくれた。自信満々に、うんうんと頷いている。
気づけば先程までの少し取り乱していたローズ母様は、女王らしく落ち着きを取り戻していた。
「そう、私は告げた。予言師の助言により、世界の災いを退けるには、サクラの結婚がとても重要であると」
「なら……!」
「待て。正確な予言を伝えよう。フィオーレの王族の血を引く、聖なる巫女の生命を宿すべし。その娘こそが、世界を破滅に導く災いを退ける鍵となろう……とな」
ローズ母様の言葉を解釈するには、私には少し時間がかかった。
むすめ……娘!? 生命を宿す!?
フィオーレ王族の血を引く、聖なる巫女の生命を宿すべし。つまり私が、誰かと子をなして、聖なる巫女を産まなくてはならないと、予言は告げているのだ。私は自分に託された運命の重みに、身体がすくむのを感じた。
「他の手段はないのですか?」
逃げ出したい気持ちになり、思わず尋ねた。
「……そもそも、世界を破滅に導く災というものの、正体がわからぬ。予言通りにするしかないのだ」
ローズ母様の言葉は、どこか悲しみと諦めを帯びていた。
私とローズ母様の間に重い空気が流れる中、それを打ち破ったのは、ルリの声だった。
「オッケー! じゃあわたしとサクラが、子どもを産めばいいんだね!」
私が、責任が重すぎて口に出せずにいたことを、ルリは事もなげに、天真爛漫に口にする。
「……そうだ。そなたたち、その……宿せるのか? 私は、異種族で子をなした話を、聞いたことがないのだ」
そうだ、つまり私は、ルリと子どもを産むことになるのだ。ついこの間まで、ただの友だちだったルリと……!?
戸惑いが全身を駆け巡る。頭の中はぐちゃぐちゃで、言葉を発せないでいた。
「うーん、わたしも聞いたことない! けど、わたしとサクラなら、できる気がするなぁ。ねぇ、サクラ?」
その屈託のない笑顔が、私の混乱を少しずつ溶かしていく。
そうだ。予言通りなら、ルリとじゃなくても、結局子どもを産まなくてはいけないのだ。なら、全然知らない人の子を産むより、ルリとの子を産む方が、良いはずである。
「……っ。はい。大丈夫です。私、……産んでみせます。ルリとの子を!」
「やったー! サクラ、がんばろうね!」
ルリは無邪気に跳ね回る。私は勢い任せに言ってしまったことの重大さを、時間をかけながら徐々に理解していた。これから始まるであろう想像を絶する道のりに、早くも頭を抱えたくなった。
要は、作者が女の子が好きなので、女の子がいっぱい出てくる世界観を作ったというやつです。世界観にそれ以上の意味はありません。