16. 寄生花と、救済の口づけ
「わぁっ……! きれい……!」
「ここからの眺め、お気に入りなの」
街の散策が一段落した後、私たちは街外れの高台を訪れた。石畳で舗装されていて、手すり越しに城下町を一望できる。
ルリは高台の手すりに捕まって、遠くに見える城下町を興味津々に覗いていた。今日訪れた店を一つずつ指差しては、嬉しそうに報告してくれる。その瞳は、昼間見たどのショーウィンドウよりも輝いていて、見るだけで私まで幸せな気持ちになってくる。
私は高台から少し離れたところで、その様子を眺めながら、鼓動がうるさく鳴るのを感じていた。
――口づけするなら、今しかない……っ。
人気のない、街から少し外れた、清閑な場所。ルリをこの場所に案内したのは、今日一日、ずっと心の中で温めていた決意を実行するためだった。
「ねえ、ルリ、私……」
「なあに? サクラは景色、見ないの?」
ルリはきょとんとした顔で、こちらを見ている。逆光を浴びたその表情は、とても純粋で、息が止まりそうになる。
「私、ルリのこと、好きなのっ」
「……? ありがとう! わたしもサクラのこと大好きだよっ!」
無邪気なルリの笑顔が眩しい。その笑顔が、私の決意を鈍らせる。でも私は今日、この日を、特別な日にすると、決意したのだ。
「目を閉じて、待っていてくれる?」
「なにかな? わかった、待ってる」
ルリは私の方を向き直ると、言われたとおりに、きゅっと目を閉じた。口角が少し上がっていて、どんなことが始まるのか、わくわくしているのが伝わってくる。
私は鼓動に合わせて、一歩、また一歩と、ルリに近づいていく。心臓の音がうるさくて、他の音は何も耳に入らなかった。
手が届きそうな距離まで来た時、私は、ルリの柔らかな頬に、そっと手を伸ばし……。
「いたっ」
「ひぇっ!?」
突然、ルリがぱちっと目を開けた。
「わ、私、まだ何もしてないわっ……!」
「目を開けちゃった、ごめんね! なんか足がいたくって!」
ルリの足を見ると、小さな花が、ルリを「噛んで」いた。
「寄生花のララ・ヴァイン……! ルリ、大丈夫、毒はないから」
私はルリに噛みついた花を素早く取り、遠くにぽいっと投げ捨てる。
普段は猫やリスなどの小動物に噛みつき、生命力を吸う花だが、たまに人間が噛まれることもある。痛みなどの後遺症はなく、噛みついた花を取ってしまえば、無害な存在……の筈、だったのだが。
「あわわわ!!! サクラ、あの花、おっきくなってるー!?」
投げた花は一瞬で巨大化し、無数の蔦があちこちにのびてゆく。こんな状況は、聞いたことがない。
もしかして、人魚のルリの魔力を吸ってしまったから……?
「そんなことって……!」
「サクラ、大変! あいつの蔦、街の方にのびていってる!」
「ええっ!?」
ルリの指差す方を見ると、ララ・ヴァインの蔓が、城下町の中心街に向かって伸びていくのが見えた。大量の生命反応を察知したのかもしれない。蔦には、巨体化したのと同じサイズの花がいくつもついている。あの巨大な花に噛まれたら、無毒であっても大怪我をしてしまう。このままだと街の人が危険だ。
私は即座に、魔法で救難信号を出す。街の人の避難を要請するもの、騎士団の出動を要請するものの二種類を表す信号が、上空に飛んで弾けた。
「応援を要請したわ! なんとか時間稼ぎを……!」
「わたしの水魔法で、バリアを出してみる!」
ルリが瞬時に魔力を練り上げ、蔦の方向に水のバリアを出した。しかし、バリアは蔓に吸収されてしまい、あっという間に消えてしまった。
「なんか、吸われちゃった!?」
「植物だから、水は吸ってしまうのね……! 火の魔法が使えたらいいのだけど……!」
「水魔法と真逆の属性は、わたしには使えないよー!」
ルリは様々な魔法を使っているが、あくまで人魚として適性がある魔法しか使えないようだ。
私は目を閉じて集中する。
私の唯一使える属性……全力の時魔法を、ララ・ヴァインに向かって放った。街中に向かって伸びる蔦の動きが、ゆるやかになる。
「止められたかな!?」
「いいえ! 動くものに時止めの魔法はかけられないから、これはただの時緩めの魔法……! 遅くしているだけで、止められたわけではないわ!」
なんとか対応方法を模索する。その時、城のキッチンで育てていたミントに使用人が誤って塩をこぼし、枯れてしまった話を思い出した。
「塩があれば、植物を枯らすことができる……?」
「塩……潮! そうだ、海水を使うのはどう?」
そう言ってルリは、海で汲んできた小瓶を、空間魔法を使ってぽんっと出した。瓶の蓋を開けて、少量の海水を、元凶のルリを噛んだ花に纏わせる。
花は枯れたが、伸びてゆく蔦や、蔦についている新しく咲いた花は変わらないようだった。
「花を一個やっつけただけじゃ、ダメみたい……! 花は、根っこから吸うんだっけ?」
「ルリ、これ以上海水を使っちゃダメよ、魔力回復用に取っておいて!」
「でも……! 根がどこにあるかわかったら、やっつけられるよ!」
ルリは目を閉じて、ララ・ヴァインの根の探知を始めたようだった。
私は、ルリを止めたい衝動に駆られる。しかし、時緩めの魔法に割いている集中を切らすわけにはいかない。もし私が集中を切らせたら、ララ・ヴァインは一瞬で街を襲うだろう。私は、ただ祈るように見つめるしかできなかった。
「……! 根っこのかたち、わかった! ちょっと行ってくる!」
「行く……って、ちょっと! ルリ!」
私の静止も聞かず、ルリは小瓶を握りしめる。次の瞬間、ルリの身体が発光し、煙のように消え去った。
小瓶が、重力に負けて地面に落ちる。しかし、小瓶から飛び出した海水は、まるでルリの意思があるかのように自在に宙を舞い、蔦が生えている地面に、ぐんぐんと吸い込まれていく。
「ルリっ!? 水に変化したの!? 魔力は……っ!?」
私は、ルリの安否を案じるが、時魔法を維持するので精一杯だ。やがて、ゆるやかに街の方に伸びていっていた蔦の動きがだんだん止まり、萎れていった。
花も全て散り、ララ・ヴァインの脅威は去ったようだ。
私はララ・ヴァインが完全に動かなくなったことを確認し、時魔法を解除した。
「ルリ!? ルリ……っ! どこなの!?」
あたりを見回しながら叫ぶ。地面に、少し発光している水たまりを発見した。
「ルリ……?」
恐る恐る水に触れると、眩く発光した後に、ルリの姿になった。
人間への変化の魔法が溶けて、人魚の尾にもどっている。そして……、あの魔力切れを起こした夜のように、淡く発光していた。
キウイに教えてもらった、魔力切れの話が、脳裏に思い浮かぶ。
――魔力生命体が消滅する直前、例外なく、淡い発光をすると言われています。……それが助かる最後のリミットとしての目安にはなるかと。
――魔力を譲渡するのに最も効率的なのは、粘膜接触と言われています。一番簡単なのは、口の粘膜接触、つまり、キスです。
まだ、助かる。
躊躇はしなかった。
温かいルリの頬にそっと手を添え、ゆっくりと顔を近づける。
吐息と吐息が、重なる。
ルリの無事を祈りながら、唇をそっと押し開いて、深くキスをした。屋台で一緒に食べたクレープの、甘酸っぱいオレンジの味がする。
魔力がルリに止めどなく吸われていくのを感じる。長い、長いキスをして、その間、閑静な広場には、時折、二人の吐息と、キスの音だけが鳴り響いていた。
やがて、自分の魔力が空になったような感覚に陥った時、気づいたら、ルリの身体の淡い発光は収まっていた。
そっと口を離す。
「このあったかい魔力、サクラ……?」
ルリが、うっすら目を開ける。
無事だった。本当に、よかった……!
その安堵からか、私の瞳から、止めどなく涙が溢れ出した。
「ルリっ! ………ばかっ!!」
無事でよかった。街を助けてくれてありがとう。
そんなことを伝えたいのに、言葉にはならず、代わりに嗚咽が響く。
「サクラ、泣かないで……? 悪いお花は、いなくなったでしょう?」
「私は、ルリがいなくなると思って……っ」
ルリは、優しく私を抱きしめてくれた。
ルリの温かさと、花屋でつけてもらった髪飾りの花の香りが、私を包み込む。
「わたしは、ずっとサクラといっしょだよ……」
そして、どちらからともなく、もう一度、優しくキスをした。
今度は、魔力の譲渡など関係のない。
お互いの愛を確かめ合う。ただそれだけの、キスをした。
しばらくして到着した騎士団に報告を済ませた頃には、すでに日が傾き、空は燃えるような夕焼けに染まっていた。
街の人々の喧騒が、遠くから聞こえてくる。
私とルリはただ二人、静かにその景色を眺めていた。
不穏なところで終わりたくなかったので、きりのいいところまで書ききったら、少し長くなってしまいました。色々ありましたが、二人が、ようやくキスを成し遂げました。