13. ルリと湯浴み
「では、サクラ様はこちら、ルリ様はキウイさんの方へお願いします」
脱衣所にて、カーテンに仕切られた空間にそれぞれ入り、湯浴みの準備をする。ドレスやコルセットは一人で着脱ができないため、専属のメイドに脱がせてもらわないといけない。
「ルリ様、肌がつやつやですね……!」
「キウイさん、粗相のないようにしてくださいね」
チェリーが心配そうに、ルリの方の脱衣スペースを見やる。
私はと言えば……鼓動が激しすぎて、それどころではなかった。ルリの脱衣スペースから、シュルシュル……と衣擦れの音がする度、息が止まりそうになる。そんな私を他所に、チェリーは慣れた手つきで、私の身を包む服を、一枚ずつ丁寧に解いてゆく。
カーテンの向こう側から、ルリの明るい声が聞こえてくる。その声が、私の胸を焦がし、胸の奥の方をじんわり熱くしていく。
「サクラ様、この手ぬぐいで前を隠してくださいな。大丈夫、サクラ様の肌もお綺麗ですよ」
チェリーは全ての服を剥がし終わると、ルリに聞こえないように、そっと耳元で囁いた。その瞳は、大丈夫、わかってますよと言いたげだった。私は恥ずかしくなってしまい、顔だけでなく耳まで赤くなるのを感じる。
「あっルリ様、そちらを覗いてはいけません!」
「サクラ、用意できた?」
カーテンがひらりと開いて、ひょこっとルリの顔が覗き込んできた。突然の出来事に、心臓がきゅんと縮まる。
「ああ、サクラ様申し訳ありません……」
「いいのよキウイ、ちょうど準備が終わったところだから……」
申し訳なさそうにするキウイの手前、寛容な言葉を放ったが、私の心臓は破裂寸前だった。身支度という意味の準備は終わったが、心の準備が整うことはなかった。身体を隠す布を抑える手には、心臓の放つ振動がダイレクトに感じられた。
「サクラ、なんで布で隠してるの?」
「お風呂でも、ドレスの中は見ちゃダメなのっ」
ルリは隠す様子もなく、真珠のような肌が全身あらわになっていた。
チェリーが「お風呂でも、と言うことは、お部屋で何かあったのですねぇ」なんていいながら、目を細めている。
「さあお二人とも、こちらへ」
チェリーの先導で、浴室に移動した。私にとっては慣れ親しんだ、城の王族用の浴場だ。
「わあ、お花が浮かんでる!」
「我が国では、こうやって、お花の花弁をお風呂に浮かべる風習があるのです。今日は、薔薇を浮かべたローズバスですよ」
私にとってはいつもの光景だが、ルリは物珍しそうにキョロキョロあちこちを見回している。
「先に御髪を清めましょう。こちらへどうぞ」
チェリーに促されて、まず私がいつものように浴槽に入り、隅の段差に腰掛ける。そのまま浴槽の端が斜めになっている部分に、背もたれのようにもたれかかると、ちょうど頭だけ出す形になる。これで、メイドに髪を洗ってもらうのだ。
私を見て、ルリも真似して私の隣に座る。座った距離がとても近かったので、肩がぶつかり合ってしまった。不意に感じる肌の感触に、私の心臓はどきりとした。
「お湯加減、どうですか?」
「とっても気持ちいいです〜!」
ルリが元気に返事をする。私は、心臓が機関車みたいに激しく鼓動していて、うまく声を出せずにいた。チェリーが慣れた手つきで、キウイがたどたどしい手つきで、私たちの髪を洗ってくれる。
「うーん、髪をお湯で洗うってはじめて! いい気持ち〜」
目を閉じてリラックスするルリを、私は思わず横目で盗み見る。ふと、ルリの長い睫毛が震え、その藍色の目がパチリと開く。視線があった瞬間、ルリはにっこりと、花が咲くように微笑んだ。その笑顔が無邪気で可愛らしくて、私の顔は熱を帯びていった。
「お顔、赤いよ? だいじょうぶ?」
「お湯に浸かってると、こうなるのよ。心配しないで」
「ふうん、そうなの?」
なんとか誤魔化すが、ルリの視線が刺さるのを感じる。
「さあ、我が国自慢の、お花から抽出したヘアオイルを塗りましょう。とってもいい香りがしますよ」
そう言って、チェリーが手にオイルを馴染ませると、ルリの興味はその香りに移ったようだ。ふとチェリーと目が合うと、ウインクしてくれた。話を逸らすのに協力してくれたみたいだ。
私は、目を閉じてヘアオイルの香りに集中し、少し落ち着きを取り戻した。
「さあ、次は身体を清めますよ。こちらへ」
チェリーの声に従って、一旦浴槽から出て、シャワーの前に移動する。身体を洗うのに邪魔なので、髪は頭の高いところで団子のように結ばれてまとめられている。いつもの長い髪を下ろしているルリとは一風変わった雰囲気を感じて、少しどきっとする。
二人分のシャワーは対面で設置されていて、お互いのシャワーが跳ねてかからない程度の距離がある。先程みたいに肌が当たらないので、私の心臓はそこまで煩くないだろう。
そう思っていたのに。
「ああ、ルリ様、そう動かれると、洗いづらいですよ」
「だって、ふひっ、くすぐったいんだもん!」
キウイがブラシを使ってルリの身体を洗い始めると、ルリが笑い始めて、身体をくねくねとよじり始めた。そのたびに、何も纏っていないルリの身体の中心で、柔らかいものが、暴れるように動いているのが目に入る。
まるでいけないものを見ているように感じてしまうのに、なんとなく目を逸らすことができなくて、私の目は釘付けになってしまう。
「もう、キウイさん、力が弱すぎるのではないですか? 思い切って強くゴシゴシとした方が、気持ちが良いのですよ」
チェリーが小言を言う。チェリーのアドバイスによりくすぐったいのが収まったようで、ルリが動き回るのをやめ、私はほっとした。
「しかしルリさんの肌は、常に魔力のオーラに守られているようですね……。まるで身体が魔力でできているような……いや、そんなまさか」
キウイが興味ありげにルリの肌を観察して言った。私はその言葉が気になり、今朝ルリと交わした会話を思い出していた。
「そう言えば、ルリが、魔力が切れたら消えてしまうと言っていて……」
私は、朝にルリと魔力切れについて話したこと、ルリが泡になって消えると言い出した会話の子細を説明した。
「なんと、そんなことが……。昨晩は、魔力を乱用させてしまい、すみませんでした」
話を聞いたキウイは、恐縮そうにルリに頭を下げた。ルリは「ぜんぜんいいよ〜」と言いながら、身体についた泡で遊んでいる。
「そうですね、精霊などの魔力生命体は、魔力を使いすぎると消えることがあります。私も、下位精霊が光の粒子になって消える事を目撃したことがあります。もしかしたらルリさんたち人魚も、魔力生命体の一種なのかもしれません。魔力の残量には、常に気をつけていきましょう」
キウイの言葉に、心臓が冷えていくのを感じる。やっぱり、あの話は、本当だったんだ……。
「魔力の残量って、私にもわかる?」
思わず、食い気味に訪ねてしまう。
「うーん、魔術師の中でも、魔力を認識できる者は限られているのです……。ただ、魔力生命体が消滅する直前、例外なく、淡い発光をすると言われています。そして、そこから魔力を注入して、消滅を免れた実例もあります。それが助かる最後のリミットとしての目安にはなるかと」
淡い発光。その言葉を聞いて、私は、昨晩の光景を思い出す。バスタブの底で魔力を補充していたルリの身体からは、確かに、うっすら光が漏れ出ていた。
「魔力を注入……って、どうやるの?」
「魔力の流れを認識できるなら、自分の魔力を相手に移すイメージでできるのですが。ああそうだ、人間同士の話ではありますが、魔力を譲渡するのに最も効率的なのは、粘膜接触と言われています。一番簡単なのは、口の粘膜接触、つまり……」
キウイが、一呼吸おいて、言う。
「口づけですね」
キウイの言葉が、私の頭の中に、何度も木霊する。
口づけ。
その言葉は、まるで呪文のように、私の心臓を強く、強く締め続けている。私たちが今、成さないといけないのに、できないでいることだ。
「口づけ……」
思わず小さな声で呟いてしまう。
どうか、ルリが魔力を使い切るような危険な状況が、二度と来ませんように。そう願うしか、私にはできなかった。
「さあ、最後にローズバスにゆっくり浸かって、疲れを癒やしてくださいな」
少し重くなってしまった空気を壊したのは、チェリーの一声だった。
「わーい! 大きいおふろ〜」
「あっ、走ると危ないですよ!」
キウイの制止も聞かずルリは駆け出し、滑ってよろけてしまう。
「はわっ」
「ほら、危ないわ」
よろけたルリを支えると、ルリの体温が伝わってきて、心臓がどきっとする。
「ありがとうサクラ!」
ルリはそのまま自然に私に手を伸ばし指を絡めて、浴槽に誘ってきた。
心臓が早鐘のように激しく脈打つ。
だが、ルリの温かい手が、私のひどく冷えた指を温かく優しく包み込んでくるので、拒むことなど、できなかった。
そのまま、ルリに手を引かれるまま浴槽に浸かる。ルリは、隣に座ると、無邪気に身を寄せてきた。その瞬間、二人のの肩が、太腿が、ぴったりと触れ合う。不意に感じた、肌と肌が触れ合う感覚に、心臓がきゅんと締まる。
ルリの体温が肌越しに伝わってきて、お湯で温まるのとは別の熱さを私の身体に広げてゆく。ルリはそんな私の内心など知る由もなく、気持ちよさそうに目を細めていた。
「サクラといると楽しい! これからも、よろしくね?」
顎から雫を垂らしながら、上目遣いでそういうルリは。
どうしようもなく、美しく、儚くて。
まるで、呆気なく枯れてしまう、一輪の花のように思えた。
「ええ、こちらこそよろしくね、ルリ」
そう言って、絡まった手を、改めて握り返した。
心臓が熱くなったり冷たくなったり、早くなったり止まったりと忙しいサクラちゃんでした。
お風呂編を一話にまとめたかったので、いつもより文量が多くなってしまいました……。
ようやく、婚約三日目に進みます。