9. いっしょに泳ごう!
サンドイッチの余韻を楽しみながら、私たちは再び歩き出した。
「こっちの方から、海のにおいがする!」
ルリはキラキラとした瞳で、遠くの方を指差した。導かれるように街道を離れると、足元にはふかふかの芝生が広がっていた。川のせせらぎはだんだんとゆるやかになり、川幅が目に見えて広くなってゆく。
「そろそろかな?」
そして、視界が開けた先には――川面がはるか遠くまで広がっていた。
「わあ……!」
思わず声が漏れた。
バスケットを木陰にそっと置いて、きらめく川へと近づく。川は透き通っていて、時折魚が泳ぐのが見える。奥は、滝の源流になっているようだった。そこから下って、海に流れていっているのだろう。
「ひろい〜! ここなら、泳げそう!」
「えっ?」
止める間もなく、ルリがドレスのまま海に飛び込んだ。
ぱしゃんと、心地のいい水の音が響き、水しぶきが宝石のように煌めく。
少しすると、ルリがイルカのように水面を飛び跳ねた。その姿は人魚に戻っていて、ドレスはいつの間にか上半身だけの水着のようなデザインに変化していた。
「サクラも泳ごうよ〜!」
遠くからルリが楽しげに誘う。
「さすがに、私は泳げないわよ!」
「あっ、たしかに!」
言われるまで気づかなかった様子で、ルリが驚く。
しばらくして、ルリが水に潜り、見えなくなった。仕方ないから、一人で海に行ったのかな? そんなことを思っていると。
「わたしにまかせて!」
川の近くで見ていた私の手を、ルリが強く引っぱった。
「わ……っ!」
たくさんの泡を纏いながら水の中に沈み、瞬間、周りの音が鈍くなる。肺に水が入らないように、息を強く止めていると、全身の細胞が、優しい魔力に包まれて、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
「サクラ、目を開けてみて!」
気づいたら、音が澄んで聞こえるようになっていた。それに、息苦しさも感じない。息を止めていなくても問題ないようだ。
ゆっくり目を開けると、クリアな視界の真ん中に、眩しい笑顔のルリがいた。
「水の中にいらっしゃい、サクラ!」
そう言いながら、ルリが遠くまで泳いでいく。優雅に泳ぐルリも、水底で煌めいている小石も、全部はっきりと見ることができた。
「こっちにおいで〜!」
遠くで、ルリが手を振っている。
自然と、私は、脚――いや、尾に力を入れた。そう、いつの間にか私は、人魚になっていたのだ!
「私……っ! ルリの魔法なの?」
「そうだよっ! いっしょに泳ごう!」
ルリに追いつくと、手を握ってくれた。
そしてぐんぐん加速していく。不思議と、怖い気持ちはなく、ひたすらに気持ちよかった。ルリが魔法で与えてくれた珊瑚色の尾が、太陽の光を受けて、きらきらと輝いている。元々持っていたかのように、自由自在に動かすことができた。
水面から、空に向かって勢いよく飛び出す。空中に飛び散る水しぶきが眩しい。太陽に手を伸ばしたら、届くような気がした。
「ルリ! すごいわ! 最高の気分!」
「よかった〜! わたし、ずっと、サクラといっしょに泳いでみたかったの!」
そう言いながら、無邪気に笑う。
水の中できらきらと光る太陽も、楽しそうに泳ぐ小魚も、何もかも煌めいて見えるけれど。ルリの笑顔が、この水の中で、一番輝いていた。
時折、身体をくすめる泡が、くすぐったい。手を伸ばすと、身体いっぱいに水の流れを感じで、心地よかった。
しばらく全力で泳いで、興奮が落ち着いてくる。疲れた私は、水面から仰向けに浮かんで休憩することにした。するとルリも隣に来て、同じように仰向けになる。澄んだ空には、雲が静かに揺蕩っている。
水に揺られながら、ふと、肩が触れ合った。
とくり。心臓がわずかに跳ねる。
先程までルリに手を引かれながら泳いでいたのに、こうして静かな水面で触れ合うと、妙に意識してしまう。城にいた頃は、こんなに誰かと肌を寄せ合うなんて考えられなかった。
「どうしたのサクラ? 顔があかいよ?」
気がつけばルリが、きょとんとした目でこちらを見ていた。
「……っ! なんでもないっ!」
私は、ちゃぷんと水の中に潜って、火照った顔を誤魔化した。
人魚になっても水の中の音の聞こえ方は変わらないのでは?と思うところもあるのですが。ファンタジーなので、ヨシ!と思っています。