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 部屋に入ると、レモンとアルコールの匂いが充満していた。すでに、同居人は帰宅している様子だった。


 ベッドサイドのテーブルには、チューハイの缶やスナック菓子などが散乱していた。盛り上がった布団のふくらみから想像すると、唯はきっと壁に背中を預けながら、ベッドの上で三角座りをしているのだろう。


 チューハイの缶を持ち、中身を確かめるために、くるくると回して振った。液体の感触はない、500ミリリットルのチューハイをひとりで3本も空けていた。

「今日、飲み会じゃなかったっけ?」

 まだ時刻は19時だ。ボクが時計を見上げながら聞くと、唯が布団から顔を出した。

「20分で抜け出してきた」

 ずっと布団を頭からかぶっていたのだろう、前髪が汗で張りついたように、ぐしゃっと潰れていた。

 半年前、一番派手な金髪にしてと、唯に頼まれ、髪型もショートに切って、前髪だけ長く残した。

 この言い方をすると決まって不機嫌になるが、元々のボーイッシュな見た目が一層極まって、少し切れ長な目がよりそれを強調している。


 ボクも飲みたくなって、まだプルタブが閉じたままの、チューハイを手に取った。

「何か嫌なことでもあった?」

「仕事の飲み会って、何話せばいいか全然わかんねー」 

 投げやりな言い方でそう言うと、またチューハイを一気に飲んだ。 


 唯とは、小学生の頃からの友達だった。

 ボクの通う美容専門学校と、唯が就職したアパレルブランドの店舗が近くという理由で、一緒に住み始め、約一年になる。

 

 唯はアルコールで火照った身体を冷ますように襟元を引っ張り、バタバタと動かしながら服の中の空気を入れ替えた。


 一回り大きめのセーターを着た唯が屈む度に、小ぶりな胸が見え隠れする。元々痩せてはいるが、ここ数か月でさらに細くなり、くぼんだ鎖骨が痛々しく見えた。仕事先の人間関係に悩んでいると何度も聞いているので、余計にそう見えたのかもしれない。


「家の近くに動物園あるじゃん?」

「何の話?」

 突然、話が飛んだことにボクが聞き返すが、唯はお構いなしという様子で一方的に話を進めた。酔っているときの癖だ。

「こんな近くにライオンがいるって、よく考えたらなんか怖くないっすか?」

「は?」

 ボクが真顔になって聞き返すと、唯は嫌な記憶を思い出すように顔をしかめた。

「上司と、何話せばいいか分かんなかったから、こんな話してたら、席の周りに誰もいなくなってた」

 苦笑し、ボクも一口チューハイを飲む。喉がきゅっと締め付けられるような酸味で気付いた。無造作に置かれた缶の中で、ひとつだけ手付かずだったこのチューハイは、以前ボクが好きだと言っていたものだった。


「夕方にくれたLINEで言ってたことってさ、本当なの?」

 唯には、予約のDMのことは伝えていた。

 送り主を見て、動揺してしまったことも、正直に話した。


「前から思ってたんだけどさ、なんていうか」

 唯は、柄にもなく回りくどい言葉を選びながら、少しだけためらったように間を置いて続けた。

「女の子のアソコとか見たことあるの?」

「はあ?」

 思わず声が漏れた。酔っているのか、冷やかしているのか、そのどちらも含んでいるのか、顔を見ただけではわからなかった。


 唯には全て話してあった。

 ボクが自分の性別の違和感に気付いたことも、男性を好きになったことも含めて、すべて。知ってた、唯はそう言って、これまでと同じ関わり方を崩すことはなかった。


「中学のとき、ネットで検索した」

 ごまかしても、混ぜっ返してきそうだったので、正直に答えた。

 中学二年の冬、ネットカフェのパソコンを使って、女性器の画像を調べた。

 自分にとってそれは性の目覚めからの行動ではなく、本当の自分がそこにあるような気がして、夜にこっそりパソコンデスクに向かった。


 思春期なりに興味と嫌悪感を感じながらも、食い入るように覗き込んだ。自分の身体には存在しない、本物の女性を見たかった。そして心のどこかでは、他の男子がきっとそうだったように、女性器を見て性への衝動が湧き上がるのを期待していた。


 何かのスイッチが入って、違和感なく男であることを受け入れられる。そう思って、広告だらけの重いサイトをスクロールしたが、淡い憧れが胸に浮かぶだけで、期待していた性の衝動が湧き上がることはなかった。見ていると、頬が熱くなるのを感じたが、異性の性器に欲情するのではなく、息を切らしながら、遠くの景色をじっと見つめるような気持ちだった。海の向こう、到底たどり着けないような島を見据えながら、ひとり砂浜で立ちすくむ。そんな虚しさを感じずにはいられなかった。


「実物も見たことないの?」

 胃と食道からアルコールがこみ上げ、口の中で酒の臭いが弾ける。それも一緒に飲み込みたくて、底にわずかに残ったチューハイを缶を逆さにして飲み干した。

「見せてあげよっか?」

 冗談だと笑って、すぐに撤回すると思っていたのに、唯は寝転がったまま、身体を揺らしながらジーンズを下ろし始めた。


 ボクは逃げるように目をそらしたが、膝の上に脱いだばかりのジーンズが飛んできた。布越しに、生々しい唯の体温が伝わってきた。

 もう一度、身体をくねらせる振動がベッドに伝わった。下着を脱いでいるのかも知れない。そう気付くと、ますます目を向けられなくなった。唯が仰向けになって、下半身を裸のままベッドに投げ出していた。自分から言い出したくせに、恥ずかしくなったのか、伸ばした足をくねらせながら、じっと天井を見上げていた。


「一応恥ずかしいから、何か話そ」

 唯は腰を持ち上げ、シーツのシワを整えてから言った。ボクが話しのきっかけを見つける前に、「今日、メイクをしにきた人がさ」と唯の方から話を切り出した。

「中学の後輩って話、ホント?」

 唯の言葉に導かれるように思い出す。

「どんな人だったの?」

「初めて好きになった人」


 ボクが答えると、唯は小さく、寝返りを打って、背中をボクに向けた。

「一応聞くけど、男の子だよね?」

 黙って頷くと、唯もそれ以上は聞いてこず、足を抱き込むように折りたたんで、身体を縮めた。

「明日、会うことになった」

 唯の足に布団をかけながら、そう伝えた。


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