家族という不安。
その電話は、下校後、『なぎ。』の配信アーカイブを見ている頃にかかってきた。その人から一月に一度は必ず電話がかかってきて、近況などを根掘り葉掘り聞くと満足して切っていくことになっている。けれど今日はそんな定期からは少しばかりズレていて、なんだろうと取ってみると、なんだか深刻そうな声色と表情で。
カメラを使ったグループ通話で、相手は両親。現在はベトナムだかにいるらしく、やはり部屋の感じが少し日本とは違うように思う。
用件を尋ねれば、やっぱり深刻な声色のまま。
「あー、なんというか……そうだな、それより」
「それよりとかないから。大体いつもの連絡一週間前に終わったばっかじゃん」
「……そうだな。その、実はだな」
相当言い辛そうにしているけれど、正直おっさんの逡巡なんて見ていて心地良いものじゃない。「はよ」と急かせば、ようやくだ。
「七月から、日本に戻ることになった」
「……それはつまり」
「ああ。海外赴任は終わり、日本に住む」
「そっか。……よかった、でいいのかな?」
「俺達としてはな。お前達がどうか、っていうのが、やっぱり大事だろ?」
一言も発してはいないが、母さんもやっぱり心配そうな表情で頷いている。
日本に住む。離れ離れになっていた家族が一緒に過ごせる。いいことだ。
――けれど。
「俺は大丈夫。ただ、まちがなぁ」
「そうか。まぁ、そうだろうなぁ」
「昨日友達を食事に連れてきたんだけど、やっぱ、疲れるみたいでさ」
両親を、知り合って間もない俺の友達と同列に扱うのはどうかと思う。けど、やっぱり「滅多に会わない」ってところで一致していて、だからこそ彼らは俺の方に電話をかけてきた。
「お前の方は相変わらず遠慮がなくて助かるよ。そうだな、ああ見えて気遣い屋だから」
「家族に遠慮もクソもないって。ただやっぱ、小さい頃の一年って大きいもんだからさ」
「そうだな。それで、色々相談したんだが、最初は義父さん……おじいちゃんおばあちゃんの家に住まわせてもらって、通いながら少しずつ慣れていこうってことで考えてる」
「……ごめん」
やっぱり、家族の扱いじゃないよなぁ。
この家だって、両親が一生懸命働いた金で買ったもの。毎日の食事も、着る服も、学費も、全部だ。それがどうだ、いざ帰れるとなったら、子供が遠慮するからとこの仕打ち。報われないとはこのことだ。
でも、やっぱりまちの体調は気がかりだし、彼女だって大事な家族だ。
「いや、大事な時期にお前達より仕事を選んだ俺達の責任だ。どうなろうが自業自得だろう、なぁ?」
「そうそう。あなた達が気にすることじゃないわ。……それより、ごめんなさいね、いつも板挟みにしてしまって」
「俺は大丈夫だって。おかげさんで図太く育ってるから」
「頼もしい限りだよ」
放任ここに極まれり、な家庭環境は、むしろ俺の性分に合っていたのかもしれない。あるいはまちという守るべき存在があったからだろうか。いずれにせよ、健康に育って健全に生きている。それで十分で、だからこそ両親には感謝もしているし、尊敬もしている。
だからまぁ、その提案はそれでいい。
「でもまぁ、とりあえずまちと話すよ」
「ああ。頼む」
「あなたも、無理はしないでね」
それからあれこれ雑談をしてから、名残惜しそうに両親は通話を切った。
両親が俺を頼ったのは、間違いじゃないと思う。親なら直接言え、なんてことを言うヤツもいるだろうけど、現状まちが一番心置きなく話せるのは俺だ。話題が深刻なら深刻なほど、俺というクッションを入れたほうがうまくいく。
だから部屋を出て、俺はまちの部屋のドアを叩いた。
白を基調にした、かわいらしい部屋。二人揃ってベッドに腰掛け、話を切り出せばやっぱり、複雑な表情だ。嬉しそうではあるけれど、でも、心のどこかに気がかりがある。
「そっかぁ。お父さんと、お母さんが」
「ああ。とりあえずじいちゃんばあちゃんちから通うって感じにするか、ってことらしいけど」
「ごめんね」
やっぱり、感づくよなぁ。気遣い屋だからこそ、気遣われることに。
「嬉しいのはほんとだよ。お父さんもお母さんも、ちゃんと好きだし」
「わかってるよ。でも、準備はいるだろ。親戚のおじさんおばさんと似たようなもんだ」
「ひどいなぁ」
くすくすと笑うまちの肩を叩き、頑張って微笑んでみる。
「まちのいいようにするよ」
「うん」
「って、それだけだとまちに責任を押しつけるみたいなもんだから、俺の意見も言っとこうな」
「うん」
「俺も正直、少しずつ慣れていきたいかな。まちと二人でいる時間が長いからさ、やっぱり」
「おにぃ」
「それに、まちの世話係を取られると思うと、ちょっと寂しいし」
「……めっちゃすき」
ぎゅうと抱きついてくるまちを受け止め、背中をぽんぽんと叩いてやる。
泣くわけじゃないし、両親が帰ってくるのを喜ぶ気持ちも本当。ただやっぱり、年に数回しか会わない両親と、気兼ねなし遠慮なしに過ごせと言われても無理なものは無理だ。気兼ね遠慮はもちろん、疲労に繋がるだろう。
そりゃあ、両親にだって同じことが言えるけれど。親なんだから、ちょっとくらい我慢してもらっていいだろう? 子供が親に甘える、みたいなもんだ。
「まあ、七月からだ。ゆっくり、準備してこうな」
「うん」
「まずは週イチでビデオ通話くらいから始めてもいいかもな」
「うん、やってみる」
「えらいえらい」
頭を撫でて、そっと身体を離した。名残惜しそうにしたのは見えたけど、見ないふり。
兄離れはいつになるだろうと心配はするものの、こうして頼られる甘えられる関係が心地良くもあり。
もう俺もまちも高校生だ。いつまでもこんなふうってわけにもいかないよなぁ。それに高二の夏といえば、一般的には受験の対策が求められる時期。それを考えると、両親の帰りってのも、いいタイミングだったのかもしれない。
何事も前向きに、だ。
「じゃあ、お風呂入ろっか」
沈黙。
「あ、うそうそ、拳構えないで」
俺も嘘だよ。
「そんなわけで、しばらくまちの様子を注意深く見守る所存」
「よきにはからえ」
特段報告する義務も義理もないけれど、なぜだか知り合ったばかりの郡山さんに事情を説明してしまった。し終わってから、なぜ彼女に説明したんだろうと困惑してしまうくらい、突拍子もない行動である。
場所は教室、時刻は八時半。ホームルームまで、あと十分。
「しかし改めて、結構変わった家庭環境ではあるよね」
「まぁ、不幸な身の上ってわけでもないから気にすることでもないんだけどね」
「なんか、ブラコンになるのわかるなぁ」
「……うん?」
なんか突拍子もないことを言われた気がするけど、突拍子もないからよくわからなかった。
「めっちゃいいお兄ちゃんじゃん。わかってたけどさ」
「わかってたのね」
「まちこのライブと配信見てればわかるよ。どんだけまちこ好きなんだよーって」
とにかく照れ臭いことを言われてるなぁ、ということだけはわかった。なにしろ俺という生き物は妹が好きで、生活の中心に妹がいるようなものだ。
「それだけ好きだと、妹離れも大変だねぇ」
……はて。
まちの兄離れを心配してばかりだったけれど、そういえば。
例えば彼女が実際に兄離れをしたとして、俺はその時本当に、素直にそれを祝福できるだろうか。恋の一つでもすりゃあ変わるだろうと楽観していたのも事実だけど、どうもそのことを考えるとたしかに、胸に迫るものがある。
「待てよ、もしかして俺って……シスコン、だったのか」
「えぇ!?」
「えぇ?」
「嘘でしょ」
いや、妹が好きな自覚はあるぞ。めっちゃかわいいし、かわいがってる自覚もある。でもだからってシスコンってことにはならないだろ?
コンプレックスっていうくらいだから、過度な愛着みたいな感情が伴っていなければそうは言わないはずだ。
「違うよな?」
「いや、シスコンでしょ」
「……そ、そっか」
「間違いないよ」
推しに間違いないとまで言われてしまっては、さすがに認めざるを得ない。
……俺はどうやら、シスコンだったらしい。
「めっちゃショック受けてるじゃん。しゃーないって、環境が環境なんだから」
「そうだよね、しゃーないよね」
「必死すぎてウケる」
ケラケラ笑う郡山さんに、どうにも羞恥を感じてしまった俺は、身体を黒板の方に向き直る。ああ、顔が熱い。まだまだ春先だってのに、汗かいてきた。
「まー、あたしはいいと思うよ。むしろもっとやれ」
「そりゃ郡山さんはそうだろうよ」
「あはは。……でもま、心配するならお互い好きな人でもできたら、でいいんじゃない?」
確かに、今のところ誰に迷惑をかけてるわけでもない。
好きな人ができて、それでもなお妹とベタベタくっついてちゃ、それは問題だ。うん、とっても理に適っていて隙のないろんり。
「というわけで、あたしのことはなぎとかなぎさでいいよ」
「というわけ……?」
「推し、も一個の好きでしょ?」
「……きゅん」
「なにそれ」
いや、冗談めかしてみたけど、本気でキュンときたんだよ。好きになれって言われてるみたいじゃんか。深い意味はないんだろうけど、それでもさ。
横目でちらりと見ると、郡山さん改めなぎさは、気の強そうな瞳を柔らかにたわめて微笑む。
「じゃああたしは、衛くんで」
「……なぎさんの方がいいかな」
「それはちょっとなんかやだな」
なぎささんは言い辛いなと提案した呼び名が、なんだか新しいあだ名みたいになってしまった。笑う俺に、応えるようになぎさが笑った。




